世をひねる

甲信地方(山梨県と長野県)の寺院・神社建築を語る雑記。

【大町市】若一王子神社 ~見所は三重塔だけじゃない!~

今回は長野県のマイナー観光地ということで、若一王子神社(にゃくいちおうじ-)について。

 

若一王子神社は大町市の市街地に鎮座しています。

広い社叢の中には中信地方で唯一の三重塔があるだけでなく、桧皮葺の本殿や、観音堂などなど非常に見どころが多く、寺社好きならば必見の充実した内容になっています。

 

 

現地情報

所在地 〒398-0002長野県大町市大町俵町2097(地図)
アクセス

北大町駅から徒歩10分

安曇野ICから車で40分

駐車場 20台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 信州仁科の里 若一王子神社 | 長野県大町市
所要時間 15分程度

 

境内 

参道および拝殿

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若一王子神社の社叢は大町市の中心市街地にあるのですが、境内は鬱蒼と茂った社叢が広がっており、とても町中とは思えない雰囲気。

入口は境内の南西側にあり、舗装された桜並木を進んで行くと赤い両部鳥居があります。

上の写真は高札で、懸魚や持送りに彫刻が施されていて、高札にしては豪華です。札に書かれている内容は、鳥獣の殺生を禁ずる旨など、よくある禁止事項です。

 

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鳥居は南向きに立っており、前後に角柱がついた両部鳥居です。扁額の字は「若一王子神社」。

写真左に見切れているのは銅板葺の手水舎で、ちょろちょろと水が出ていました。

写真右には三重塔の屋根がわずかに見切れていますが、こちらについては後述します。

 

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拝殿は銅板葺の切妻。なんとなく流造(ながれづくり)の本殿っぽい屋根をしています。

軒下については特筆するほどのものはなかったので割愛。「若一宮」と書かれた扁額が掲げられていました。

祭神は若一王子で、ほか4柱が合祀されているとのこと。

 

三重塔

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参道の右手には三重塔が立っています。

三重塔はこけら葺。正面3間・側面3間、3層。高さについては不明ですが、案内板(設置者不明)によると1712年の造営で、県宝に指定されているとのこと。

 

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1層目の西側。訪問時、扉が開いており、中を覗き込むと観音像が安置されていました。

扉は桟唐戸(さんからど)というタイプの板戸。母屋の柱はいずれも円柱。縁側は壁面と直行に板を張った切目縁(きれめえん)。

 

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東側から見上げた図。

屋根裏の垂木は二重で、いずれの層も平行に並べられています。2層目・3層目の縁側は跳高欄の欄干がついており、床板は切目縁。床板の下は組物で支えられています。

また、3層目・2層目と比べて1層目の屋根が大きめに作られており、見上げたときに高く感じるよう工夫されています。また、離れて見たときに安定感のあるプロポーションに見せる効果もあります。

 

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1層目の壁面。

写真上半分では組物で桁を持ち出ししています。組物は三手先(みてさき)という構造のもので、尾垂木(おだるき)がとび出ていて、側面から見ると刺々しいシルエットに感じます。

組物と組物の間には、中に獣が彫られた蟇股(かえるまた)があります。この蟇股は十二支を彫ったもののようで、東西南北の各面に3つずつ配置されています。

 

ちなみに写真は秋に撮影したのものですが、大町は県内でも豪雪地帯なので冬場は塔の屋根にもかなり雪が積もり、見学の際は落雪注意です。

 

観音堂

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拝殿の右手には、“仁科三十三番札所”の第一番に指定されているという観音堂があります。
観音堂は茅葺の寄棟(妻入)で、正面3間・側面3間。正面には1間の庇がつけられています。1706年の造営で、こちらも県宝。

 

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正面の庇の軒下。

白っぽい彫刻が配置されていますが、率直に言ってあまり洗練された造形ではありません。諏訪大社下社(1780年頃)に代表される立川流・大隅流の彫刻とくらべると、野暮ったさが否めないです。

とはいえ、寺社に派手な彫刻を施すのが一般化するのは江戸後期なので、この観音堂の造営年を考えると彫刻の出来を貶めるのは酷というものでしょう。

観音堂の内部には、観音像が収められているであろう入母屋の厨子(ずし)が安置されていました。

 

本殿

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拝殿の裏には本殿があります。

本殿は檜皮葺の一間社春日造(いっけんしゃ かすがづくり)。1556年に仁科盛康の寄進によって建立されたことが棟札からわかっているとのこと。重要文化財です。

1556年というと室町末期ですが、江戸初期の1654年に金原周防によって大幅に改修されており、“その際に江戸時代の作風が多分に取り込まれたと思われる”とのこと(大町市教育委員会の案内板より)。

宮大工の金原周防は国宝・仁科神明宮の「神明造」という古式な建築様式の造営を代々継承している名跡で、この本殿を改修したのは4代目・定兼とのこと。

 

 

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春日造は、切妻(妻入)の正面側に庇がついた様式です。
背面側は普通の切妻なのですが、正面側は垂木の伸び方が入母屋のような構成になっており、このような春日造を“隅木入り春日造”(すみきいり かすがづくり)と言います。

なお、隅木入りでない春日造はむしろレアなので、とくに断りなく春日造といったら隅木入りのほうだと思っていいでしょう。

 

各所に施されたこまごまとした彫刻は、ほとんどが江戸期の改修で付加されたものと思われます。

 

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背面の屋根は、赤鬼の面がついた棟と真っ黒な破風板が特徴的。

観音堂の近くにあった手作り感あふれる案内板(設置者不明)によると、鬼面は信州の神社の特色とのこと。鬼面のついた神社はそこまで多くないと思うのですが、私の知る範囲だと粟狭神社旧本殿があります。

 

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背面の妻壁。

写真中央で棟を受けている束は大瓶束(たいへいづか)。もともとは天竺様の寺院建築の意匠ですが、江戸後期になると神社にも普通に使われるようになります。

この大瓶束は当初からあったものなのか、あるいは江戸初期の改修で加えられたものなのか、どちらなのか気になるのは私だけでしょうか...?

大瓶束の下で梁を受けているのは蟇股。この蟇股は内側に彫刻がなく、くり抜かれていません。

 

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背面の壁。

神社の縁側の終端には脇障子(わきしょうじ)という板が立てられることが多いですが、この本殿は擬宝珠の欄干が立てられているだけです。

母屋の柱は円柱で、写真では見づらいですが床下も横着せず円柱に成形されていました。

 

本殿の解説は以上。

おそらくこの神社に来る人のお目当ては三重塔で、その三重塔も立派で見ごたえのある素晴らしい物件です。しかし拝殿の裏にある本殿も、規模こそ決して大きくはないものの中信地方で屈指の歴史を持つ建築物であり、必見の内容です。

規模はともかく文化財としての価値は明らかに本殿のほうが格上なので、三重塔だけ見て満足して帰ってしまうのは非常にもったいないです。忘れずに本殿も見ていってください。

 

以上、若一王子神社でした。

(訪問日2019/03/15,11/02)