甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【湖西市】本興寺

今回は静岡県湖西市の本興寺(ほんこうじ)について。

 

本興寺は浜名湖畔の市街地に鎮座する法華宗陣門流の東海本山です。山号は常霊山。

普門寺(愛知県豊橋市)の末寺であった薬師堂が前身で、行基による開基と伝えられています。現在の宗派・寺号となったのは南北朝時代で、当寺の僧侶が陣門流の開祖・日陣との法論に敗れたため改宗・改称しています。江戸期には幕府の庇護を受け、三つ葉葵の紋の使用も許可されました。

境内は現在も江戸期の隆盛のおもかげを留めており、参道脇には数件の塔頭寺院が立ち並びます。本堂は室町後期の大規模な茅葺で、国重文に指定されています。また、小堀遠州の作とされる庭園も拝観できます。

 

現地情報

所在地 〒431-0431静岡県湖西市鷲津384(地図)
アクセス 鷲津駅から徒歩15分
三ケ日ICから車で25分
駐車場 50台(無料)
営業時間 09:00-17:00
入場料 無料(庭園の拝観は300円)
寺務所 あり
公式サイト なし
所要時間 20分程度

 

境内

山門(惣門)

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本興寺の境内は北東向き。めずらしい向きです。

日蓮宗系の寺院なので久遠寺(山梨県身延町)の方角を向いているのでは、と思ったのですが、単に浜名湖と正対させただけのようです。

 

山門は一間一戸、高麗門、切妻、本瓦葺。

造営年不明。1674年に吉田城(豊橋市)から移築されたもの。市指定文化財。

扁額は山号「常霊山」。

 

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背面側から見た図。

左右に低い切妻屋根を設け、後方に伸ばしています。これは高麗門という形式の特徴。

 

本堂

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山門から本堂への距離は100メートル程度。参道は現代風の石畳で舗装されています。参道の左右には4院の塔頭(境内の中にある小寺院)が立ち並んでいます。

また、小堀遠江守政一(小堀遠州)の作とされる遠州流庭園も有料(300円)で拝観できます。

なお今回は夕刻の訪問だったため時間外で閉門しており、庭園は拝観できず。同様の理由で塔頭も割愛。

 

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本堂は桁行5間・梁間5間、寄棟、茅葺、正面背面向拝1間、桟瓦葺。

1552年(天文二十一年)再建。今川氏の全盛期、義元の時代のもの。国指定重要文化財

本尊は釈迦如来を中心とした三宝尊のようです。

 

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5間四方の平面のため、仏堂としても大規模な部類。広さもさるものながら屋根のボリュームが圧巻で、重厚で渋みのある堂々としたたたずまい。

屋根の稜線はあまり丸みがなく、直線的・平面的。ぴしっと面が出てエッジが立ち、折り目正しく清廉な印象。

「庇が茅葺でない」という点が秀逸で、このおかげで正面の屋根の軒先がまっすぐなラインを保てています。なんとも絶妙なデザイン。

 

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正面向拝。庇の部分だけ桟瓦葺となっています。

向拝柱は几帳面取り。

白い垂れ幕には6弁の桜(ふつうの桜は5弁)の紋。法華宗陣門流の紋のひとつで、六本桜というようです。余談ですが、桜の中には6弁の花を咲かせる品種もある模様。

母屋正面の柱間はいずれも桟唐戸が使われています。

 

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柱上の組物は連三斗。向拝柱側面には象鼻が設けられ、巻斗を介して組物を受けています。

写真左端、虹梁中備えは板蟇股。中央部はくり抜かれておらず、宝輪の図案が浮き彫りされています。

 

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向拝の軒裏。

外から見ると母屋と向拝が別々のような印象を受けますが、軒裏を見るとひとつづきになっていることが分かります。

向拝柱と母屋のあいだには海老虹梁がわたされ、海老虹梁の中央では木鼻付き平三斗が桁を受けています。海老虹梁の上に組物を置くのは、あまり見かけない風変わりな構造です。

 

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海老虹梁の母屋側(写真左端)は頭貫の高さに取りつき、下部は挿肘木(柱にささった肘木)の斗栱で持ち送りされています。挿肘木は大仏様(天竺様)の意匠。

柱上の組物は出三斗。中備えは間斗束。

 

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頭貫木鼻。拳鼻で、こちらは禅宗様の意匠です。

頭貫の下方、写真下端には長押が打たれています。長押は純粋な禅宗様建築では使われない部材のため、和様の意匠といえます。

 

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縁側は切目縁が4面にまわされています。欄干は和様の擬宝珠付き。縁の下は角柱の束。

母屋は亀腹の上に建てられています。

 

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向かって右側面(西面)の軒下。

組物などの意匠は正面と同様。軒裏は二軒繁垂木。

正面は桟唐戸が使われているのに対し、側面はいずれも引き戸(舞良戸)が使われています。

 

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背面。こちら側にも向拝が設けられています。正面と同様、庇(向拝)の屋根は桟瓦葺です。

背面に向拝を設ける例は、寺院・神社問わず非常に数が少なくめずらしいです。私の知っているところだと、玉諸神社本殿(山梨県甲府市)や鑁阿寺本堂(栃木県足利市)くらいしか例がありません。

背面に扉や庇を設ける理由として「後方の山を遥拝するため」という説が定番ですが、案内板やウェブの情報を見てもこれに関連しそうな記述は見当たらず。

 

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背面の向拝柱は角面取り。木鼻は側面に拳鼻。

柱上の組物は大斗に実肘木を組んだもの。

向拝柱と母屋はまっすぐな梁でつながれています。

正面向拝とくらべると簡素であっさりした造り。目立ちにくい箇所なので当然といえば当然でしょう。

 

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屋根は寄棟、茅葺。

大棟は箱棟になっています。

 

その他の伽藍

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本堂向かって右手には鐘楼。

入母屋、桟瓦葺。下層は袴腰。

1822年再建。1915年修復。梵鐘は太平洋戦争で供出され、戦後に再鋳造されたもの。

 

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上層。軒裏は二軒繁垂木。

1間四方で、柱は円柱。

頭貫木鼻は唐獅子のようなシルエットの籠彫。虹梁の上には台輪がまわされ、中備えは詰組。組物は出組で、桁下の板支輪には波の彫刻。

彫刻が多用され江戸後期らしい作風。

 

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下層。

縁側は切目縁。欄干は擬宝珠付き。縁の下は二手先の腰組で支えられています。

袴腰には下見板が使われています。

 

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本堂向かって左手には三十番神堂。西向き。

入母屋、桟瓦葺。

1821年再建。市指定文化財。

祭神は三十番神。八幡神をはじめとする30の神々が日替わりで1ヶ月を守護するというもの。日蓮宗系寺院の境内社として祀られることが多いです。

 

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向拝柱は几帳面取り。木鼻は正面が唐獅子、側面が象。柱上は連三斗。

虹梁中備えは竜の彫刻。

 

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向拝と母屋は大きく曲がった海老虹梁でつながれ、母屋側が挿肘木の斗栱で持ち送りされています。

母屋柱は角柱。中央の柱間は二つ折りの桟唐戸。その上の扁額は「三十番神」。

 

以上、本興寺でした。

(訪問日2020/03/20)