甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】清凉寺(嵯峨釈迦堂) 後編 多宝塔、豊臣秀頼公首塚、一切経蔵など

今回も京都府京都市の清凉寺について。

 

前編では仁王門と本堂について述べました。

当記事では多宝塔、豊臣秀頼公首塚、一切経蔵などについて述べます。

 

多宝塔と聖徳太子殿

本堂向かって左、境内の南東には多宝塔が東面しています。

三間多宝塔、銅瓦葺。

1703年(元禄十六年)移築・再建。府指定有形文化財。

当寺の出開帳が護国寺(東京都文京区)で行われた際に寄進され、その後、江戸から当地へ移築されたようです。

 

下層。正面側面ともに3間。

柱は円柱。軸部の固定には長押を多用し、頭貫や木鼻は見当たりません。

柱間は、中央が桟唐戸、左右が連子窓。

縁側は切目縁で、欄干は擬宝珠付き。

 

2本の長押のあいだの欄間には、菊水の彫刻。

組物は、木鼻のついた出組。中備えの蟇股には鳳凰の彫刻。

 

上層は、円形の平面になっています。

組物は四手先。竜の頭の彫刻がついています。

軒裏は、上層下層ともに平行の二軒繁垂木。

 

頂部の相輪。

路盤の上に受花が乗り、中腹部は九輪、頂部は水煙のついた宝珠。

 

多宝塔の脇を通って境内の南西へ行くと、聖徳太子殿が東面しています。

八角円堂、本瓦葺。

 

法隆寺夢殿を模した、八角形の平面。

柱は八角柱。組物は、平三斗を八角形の平面にあわせて曲げた構造のもの。

柱間は板戸と連子窓。

 

頂部には八角形の路盤があり、丸い宝珠が乗っています。

 

鐘楼と豊臣秀頼公首塚

本堂の左手には鐘楼。

切妻、本瓦葺。

内部の梵鐘は、1484年(文明十六年)頃のもの。府指定有形文化財。足利義政、日野富子、足利義尚による寄進。

 

柱は上端が絞られた円柱。内に転び(傾斜)をつけて立てられています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

飛貫の上には蟇股が2つ。

組物は出三斗。台輪の上の中備えは木鼻のついた平三斗。

 

妻飾りは笈形付き大瓶束。

破風板の拝みには鰭付きの懸魚。

 

鐘楼の向かいには、「豊臣秀頼公首塚」なる墓標と慰霊碑があります。

豊臣秀頼は1615年、大坂城山里丸にて自害しました(大坂夏の陣)。死亡当時、首級や遺体は発見されていません。

しかし1980年の発掘調査で、首のない遺骨と切り落とされた頭骨が大坂城から発掘され、埋葬状態や身体的特徴から秀頼のものではないかと推測されています。発掘された骨は、1983年に現在地に埋葬されました。

ここに眠る遺骨が本当に秀頼のものかどうかは不明。本物の可能性も大いにありえますが、現状の調査結果で本物と断言するのは難しいでしょう。

 

薬師寺

本堂の左隣(西)には、塔頭の薬師寺。

入母屋、向拝1間、桟瓦葺。

 

向拝柱は面取り角柱。側面には平板な造形の象鼻。

柱上は連三斗。

 

虹梁中備えの蟇股には、虎の彫刻。

 

向拝の組物の上に手挟はなく、繋ぎ虹梁がわたされています。

繋ぎ虹梁は母屋の高い位置に取り付き、斗栱で持ち送りされています。

 

母屋柱は角柱。柱上には舟肘木。

軒裏は一重まばら垂木。

 

薬師寺の門と玄関。

小規模ながらよく手入れされた苔の庭があります。

 

薬師寺の左手、境内西端には西門。西向きです。

一間一戸、高麗門、切妻、本瓦葺。

 

阿弥陀堂(棲霞寺)

つづいて境内の東側に移ります。

本堂の右後方(北東)には、清凉寺の前身となった棲霞寺が西面しています。棲霞寺は清凉寺の成立後、それに吸収されるかたちで廃寺となり、現在は阿弥陀堂として残っています。

阿弥陀堂は、入母屋、向拝1間、本瓦葺。

1863年(文久三年)再建。

本尊の阿弥陀三尊像は平安時代の作で、国宝。現在は境内の宝物庫(霊宝館)に収蔵され、特別公開のときのみ拝観できるようです。

 

向拝柱は、上端が絞られた几帳面取り角柱。

側面は獏の木鼻。柱上は連三斗。

 

虹梁中備えは竜の彫刻。

 

向拝は1間ですが、母屋の3間分の幅があり、幅いっぱいに階段が設けられています。

母屋の建具は、舞良戸と障子戸。

 

母屋柱は面取り角柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻。

柱上には、花肘木を組んだ部材が置かれ、桁を受けています。

軒裏は二軒まばら垂木。住宅建築風の軽快な軒裏です。

 

一切経蔵

本堂の右手前の池の近くには、一切経蔵が西面しています。

桁行3間・梁間3間、宝形、本瓦葺。

1885年(明治十八年)再建。

 

正面中央の柱間は桟唐戸。

中央の像は、輪蔵(回転式の経蔵)の発案者とされる傅大士(善慧大士)。両脇の像は、普浄、普現という人物。

 

向かって右の柱間。火灯窓が設けられています。

柱は上端が絞られた円柱で、頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

柱上は出三斗。中備えはありません。

 

右側面の遠景。

正面と同様に、中央は桟唐戸、左右は火灯窓があります。

 

頂部の宝珠。

路盤の上に受花があり、擬宝珠状の宝珠が据えられています。宝珠の周りには火炎の意匠。

 

経蔵や、堂内の軸部は、極彩色に塗り分けられています。

内部の柱の組物は、大仏様の挿肘木。

天井は、中心部(写真左上)が鏡天井、その周囲の1間通りは化粧屋根裏で、禅宗様の造りとなっています。

 

愛宕権現社

境内の南東には、愛宕権現社が西面しています。社殿の手前には、石造明神鳥居。

愛宕権現社は、一間社春日造、銅板葺。

造営年不明。私の予想になりますが、おそらく江戸後期以降のもの。

 

虹梁中備えは蟇股。彫刻は欠損しています。

向拝柱は糸面取り角柱。側面には木鼻。

組物は、皿付きの大斗と、花肘木を組んだもの。

 

側面。

向拝柱の組物の上から海老虹梁が出て、母屋の頭貫の位置に取り付いています。

 

向拝の軒裏(写真左)と、母屋の軒裏(右上)のあいだには、破風板が入っています。

海老虹梁のカーブした部分が破風板に接触しており、この接触部を境界にすることで、向拝軒裏と母屋軒裏の取り合いを巧妙に処理しています。

 

母屋柱は円柱。柱間は横板壁。

柱上の組物は、大斗と花肘木を組んだもの。

頭貫の上の中備えは蟇股。

 

蟇股は、実肘木と一体化したような形状で、軒桁を直接受けています。

中心部には法輪の紋。

 

縁側は、切目縁が3面にまわされ、跳高欄が立てられています。背面側は脇障子を立ててふさいでいます。

 

背面。

おそらく当初は茅葺で、その上に現在の屋根をかけたため、このような不格好な状態になったと思われます。

 

背面も、中備えは蟇股。

妻飾りは豕扠首。

 

以上、清凉寺でした。

(訪問日2022/02/22)