甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【豊川市】大恩寺

今回は愛知県豊川市の大恩寺(だいおんじ)について。

 

大恩寺は市西部の山際の住宅地に鎮座する浄土宗の寺院です。山号は御津山。

創建は不明。寺伝によると、慧灌*1が同市の新宮山に開いた浄土院という寺院が前身とのこと。実質の創建は室町中期の1477年(文明九年)で、松平親忠によって新宮山に新宮山大運寺という浄土宗寺院が開かれたのが当寺のはじまりです。大運寺は開山ののちに現在地へ移転し、松平広忠(徳川家康の父)によって現在の寺号に改められました。江戸時代は幕府の庇護を受けて隆盛しました。

現在の境内伽藍は江戸中期以降のもので、二重の山門が県の文化財に指定されています。ほか、重要文化財の絹本著色王宮曼荼羅図など多数の寺宝を所蔵しています。

 

現地情報

所在地 〒441-0321愛知県豊川市御津町広石御津山5-5-1(地図)
アクセス 愛知御津駅から徒歩20分
音羽蒲郡ICから車で15分
駐車場 20台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 なし
公式サイト なし
所要時間 20分程度

 

境内

総門

大恩寺の境内は北東向き。めずらしい方角を向いています。境内入口は隣接する飲食店の駐車場に面した場所にあります。

入口の総門は、一間一戸、薬医門、切妻、本瓦葺。

左右は袖塀に接続しています。

 

向かって右の柱。

柱は角柱。前方(写真右)に腕木(男梁と女梁)を伸ばし、組物を介して軒桁を受けています。

 

妻面を内部から見た図。

頭貫の上には蟇股が入っています。その上の妻虹梁には笈形付き大瓶束が乗り、棟木を受けています。

 

左側面(南面)。

破風板の拝みには三花懸魚が下がっています。

 

背面。

背面側の控柱も角柱で、側面と背面に木鼻がついています。

虹梁中備えは板蟇股。

 

山門

総門の先には二重の山門が鎮座しています。

三間一戸、楼門、二重、入母屋、本瓦葺。

大垣藩主・戸田氏信の寄進により1672年(寛文十二年)に造営されたもの。県指定有形文化財。

 

下層は正面3間。中央の柱間は通路で、左右の柱間よりもやや広く取られています。

 

正面中央の柱間。

柱は上端が絞られた円柱。柱間は飛貫と頭貫でつながれ、柱上に台輪が通っています。

柱と台輪の上の組物は出組。真下に柱のない位置にも組物が配置されています(詰組)。

 

向かって左の柱間。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻がついています。

隅木の下に添えられた部材には、渦状の彫刻が入っています。

 

下層内部。写真右が正面側です。

下層は鏡天井が張られ、主柱(写真中央)は天井を突き抜けて上層まで伸びているようです。

 

下層左側面(南面)。

側面は2間で、柱間は横板壁。

正面と同様に、中備えに詰組が入っています。

 

背面。

柱間や軒下の意匠は正面と同様の造りとなっています。

左右には、上層へ昇るための階段が設けられています。

 

上層。扁額は院号「浄土真院」。

正面の柱間は3間。

 

中央の柱間には桟唐戸、左右の柱間には火灯窓が設けられています。どちらも禅宗様の意匠です。

柱は上端が絞られた円柱で、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。

柱上の組物は尾垂木二手先。柱間にも詰組が配されています。

縁側の欄干の親柱には逆蓮。これも禅宗様の意匠です。

 

軒裏は上層下層ともに平行の二軒繁垂木。

禅宗様の門は上層だけを扇垂木にすることが多いですが、この門は上層も下層も平行垂木です。

 

上層左側面。

上層も側面2間で、前方(写真右)は引き戸、後方は横板壁です。

 

背面。こちらは3間とも横板壁。

木鼻や組物の意匠は、正面や側面と同様です。

 

入母屋破風。

妻飾りは虹梁と大瓶束が使われています。破風板に懸魚はありません。

 

念仏堂跡

山門をくぐると、左手(境内南側)に念仏堂跡の石碑と案内板があります。

 

念仏堂は1553年造営(天文二十二年)建立、1994年焼失。重要文化財に指定されていましたが、火災により焼失し指定解除となっています。

建築様式は、桁行5間・梁間5間、入母屋、檜皮葺。

 

母屋は正方形の平面で、室内は外陣と内陣に区切られていたとのことで、密教本堂(中世仏堂)に近い構造だったようです。写真を見ると正面には桟唐戸、妻飾りには大瓶束が確認でき、和様と禅宗様の混在した折衷様の建築だったことがわかります。

浄土宗寺院の遺構としては、岡崎市の信光明寺観音堂(1478年)や京都市の知恩院勢至堂(1530年)に次いで古いものだったようで、焼失が惜しまれます。

 

念仏堂跡の左手には、長屋のような建物に石仏が並んでいます。

 

本堂と鐘楼

参道を進むと、境内の中心部に本堂が鎮座しています。

入母屋、向拝3間、桟瓦葺。

 

向拝は3間あります。

向拝柱は几帳面取り角柱で、上端が絞られています。

柱間には虹梁がわたされ、中備えは蟇股。蟇股は竜や唐獅子の彫刻となっています。

柱上の組物は出三斗と連三斗。隅の柱の側面には獏の木鼻がついています。

 

向拝柱と母屋柱のあいだには、まっすぐな虹梁がわたされています。

向拝柱の上には手挟があり、軒裏を受けています。手挟は菊の花の籠彫り。

 

母屋の正面は7間あり、いずれも桟唐戸が設けられています。

縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。

 

母屋柱は面取り角柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。

組物は出三斗と平三斗。中備えは蟇股。

 

側面の建具は舞良戸が使われていました。

 

本堂向かって左手前には鐘楼。

入母屋、桟瓦葺。袴腰付。

 

柱は上端が絞られた円柱で、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は出三斗。中備えは平三斗が置かれています。

 

以上、大恩寺でした。

(訪問日2024/04/14)

*1:生没年不明。百済出身の渡来僧。日本に三論宗を伝えたとされる。