甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【柳津町】円蔵寺 前編(仁王門と本堂)

今回は福島県柳津町の円蔵寺(えんぞうじ)について。

 

円蔵寺(圓藏寺)は川沿いの温泉街に鎮座する臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は霊巌山。通称は福満虚空藏菩薩。

創建は不明。寺伝によると807年に徳一が空海作の虚空蔵菩薩を当地に祀ったのがはじまりで、その別当として円蔵寺が開かれたとされます。創建以来、庶民や歴代の領主の崇敬を受けて隆盛し、当寺の門前町が現在の柳津町の中心地となっています。宗派は至徳年間(1384-1487)に臨済宗に改められ、江戸初期に天台宗に改められましたが、1627年(寛永四年)にふたたび臨済宗に改められました。

現在の主要な伽藍は江戸後期以降のものと思われます。大規模な本堂は妻入りの二重屋根となっており、崖の上というロケーションも相まって個性的な外観です。本堂からやや離れた境内の外には弁天堂があり、こちらは室町時代の折衷様建築として国の重要文化財に指定されています。

 

当記事ではアクセス情報および仁王門と本堂について述べます。

国重文の奥之院弁天堂については後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒969-7201福島県河沼郡柳津町柳津寺家町甲176(地図)
アクセス 会津柳津駅から徒歩10分
会津坂下ICから車で10分
駐車場 100台(無料)
営業時間 境内は随時
入場料 無料
寺務所 あり
公式サイト なし
所要時間 40分程度

 

境内

仁王門

円蔵寺の境内は南向き。正面の入口(境内南側)は温泉街の北端にあります。駐車場は南側にも少数ありますが、今回は境内北側にある広い駐車場を利用しました。

右の寺号標は「福満虚空蔵大菩薩」。

 

山門を境内の外の道路から見た図。

写真左奥は本堂、右手前が山門で、両者とも川で浸食されたような外観の岩の上に造られています。

 

山門は、三間一戸、八脚門、入母屋、正面背面千鳥破風付、銅板葺。

造営年不明。私の推測になりますが、江戸後期か近現代のものかと思います。

 

正面中央の軒下。

扁額は「無怖畏」。左端の落款のとなりは「文麿」と書かれています。近衛文麿の揮毫でしょうか。

扁額の下の虹梁は、波状の絵様が彫られています。虹梁の左右の柱には、正面に唐獅子の木鼻があります。

唐破風の小壁の、軒桁の位置にも虹梁がわたされており、蟇股が唐破風の棟木を受けています。

 

正面の唐破風の兎毛通は、鳳凰の彫刻。

 

向かって左の柱間。

柱は円柱で、柱間は飛貫と頭貫でつながれています。飛貫と頭貫のあいだの欄間には波の彫刻が入っています。

隅の柱は、正面と側面に唐獅子の木鼻がついています。柱上の組物は出組。

柱上には台輪が通り、中備えは蟇股。

 

左側面と右側面。

側面は2間で、柱間は縦板壁。

こちらは中央の柱に木鼻がなく、飛貫の上の欄間彫刻も省略されています。

 

内部。

通路部分は格天井が張られ、中央に竜が描かれています。

 

扉筋の柱の上にも虹梁と台輪がわたされ、中備えに蟇股が使われています。

彫刻は、松の木の下に、杖を持った人物(右)と斧をふるう老人(中央)、ひざまずく女性といった構図。

 

背面。こちらも軒唐破風が設けられています。

兎毛通の彫刻は、正面と同様に鳳凰です。

 

本堂

仁王門をくぐって石段を昇った先には本堂が鎮座しています。上の写真は仁王門の下の車道から、本堂を見上げた図。

本堂は、梁間5間・桁行6間、二重、入母屋(妻入)、下層正面軒唐破風付、左右両側面向拝各1間 軒唐破風付、銅板葺。

1830年(文政十三年)再建。会津藩主の松平家による寄進とのこと。(境内案内板より)

 

石段を昇ると本堂の右側面(東面)に出て、こちらから縁側や堂内へあがることができます。

 

正面の軒下。

軒裏は上層下層ともに二軒繁垂木。下層が平行垂木であるのに対し、上層は放射状の扇垂木です。

 

下層の正面は7間。中央に軒唐破風が設けられています。

柱間は、中央が桟唐戸、ほかの6間は火灯窓と板壁です。

 

正面の唐破風の軒下。扉の上の扁額は「福満」。

唐破風の軒下には虹梁がわたされ、その上に樹木の彫刻が入っていますが、右側が欠損してしまっています。

破風板の兎毛通は蕪懸魚。牡丹唐草の彫刻と一体化しています。

 

右手前(南東)の隅の柱。

柱は円柱で、上端が絞られています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

柱上の組物は出組です。

 

上層も上端の絞られた円柱が使われ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。

組物は尾垂木三手先。びっしりと組物が並べられ、禅宗様の詰組となっています。

 

正面の入母屋破風。

破風板の拝みには、蕪懸魚を変形させた形状の懸魚が下がっています。左右の鰭は波の意匠。

妻飾りについては観察できませんでした。

 

つづいて右側面。

側面には1間の向拝が設けられ、軒下は多数の彫刻で飾られています。

 

虹梁は波が浮き彫りされ、中備えは竜の彫刻。

その上の軒桁の部分にも虹梁がわたされ、唐破風の小壁には何らかの故事を題材にした彫刻があります。

唐破風の兎毛通は猪目懸魚。左右の鰭は雲や樹木の彫刻となっています。

 

向かって左の向拝柱。

向拝柱は几帳面取り角柱で、正面は唐獅子、側面は象の木鼻がついています。

 

向かって右の向拝柱。

こちらも唐獅子と象の木鼻がついています。

虹梁の端のほうの中備えにも彫刻があり、人物像が彫られています。

 

向拝柱と母屋とのあいだには、まっすぐな繋ぎ虹梁がわたされています。向拝側は木鼻の高さから出て、母屋側は頭貫よりやや低い位置に取りついています。

繋ぎ虹梁の中央では大瓶束を立てて軒桁を受け、大瓶束の上から小さい海老虹梁が出て母屋の組物に取りついています。

 

向拝の組物の上には手挟があり、軒裏を受けています。手挟は籠彫りとなっており、題材は牡丹唐草や葡萄に栗鼠。

 

母屋側面の向拝のある部分には桟唐戸が設けられ、ここから堂内に出入りすることができます。

扉の上には扁額と人物像の彫刻が置かれています。

 

右側面上層。

正面と同様に、こちらも尾垂木三手先の組物がびっしりと配されています。

 

左側面(西面)にも同様の向拝が設けられ、こちらからも堂内に出入りできます。

彫刻の内容は微妙に異なりますが、構造は右側面のものと同様のため割愛。

 

背面の軒下。

下層の背面は7間で、柱間は縦板壁。

 

後方の丘から上層背面を見た図。

背面の軒下も詰組が並んでいます。

妻飾りには妻虹梁や大瓶束、そのほか波状の彫刻が確認できます。

 

仁王門と本堂については以上。

後編では本堂周辺の伽藍や奥之院弁天堂について述べます。