今回は大阪府堺市の大鳥大社(おおとり たいしゃ)について。
大鳥大社は市北西部の住宅地に鎮座している和泉国一宮です。正式名称は大鳥神社。
創建は不明。社伝では、ヤマトタケルの墓から飛んだ白鳥が当地に降りたのが由来。史実的には、当地に住む大鳥連が氏神を祀ったのが始まりのようです。
平安期の『延喜式』では名神大社に列しています。平安~鎌倉期にかけては、近隣の寺社とともに武家の崇敬を集めました。安土桃山期は織田信長の寄進や片桐且元による再建を受けますが、大坂の陣による戦火で焼失しています。江戸初期~中期に幕命で再建されますが、明治期の廃仏毀釈と落雷により社殿を喪失し、現在の社殿は明治末期に再建されたものです。
前述のとおり社殿は明治期のものですが、本殿は大鳥造という当社特有の古式の建築様式が保たれています。また、境内に鎮座する摂社の美波比神社が式内社に列しています。
現地情報
所在地 | 〒593-8328大阪府堺市西区鳳北町1-1-2(地図) |
アクセス | 鳳駅から徒歩5分 堺ICから車で10分 |
駐車場 | 30台(無料) |
営業時間 | 05:30-18:00 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 大鳥大社・公式ホームページ |
所要時間 | 20分程度 |
境内
参道
大鳥大社の境内は南向き。正面の入口は境内西側にあり、一の鳥居は西向き。
境内周辺は市街地ですが境内は深く広大な社叢に覆われ、一宮にふさわしい風格。
一の鳥居は木造の明神鳥居。明神鳥居ですが笠木はまっすぐな形状。
向かって右の社号標は「大鳥大社」。
参道を右手(境内南)に外れると絵馬殿があります。内部はベンチと自販機が置かれ、休憩所になっています。
切妻、本瓦葺。
柱は円柱。
妻飾りは二重虹梁になっており、蟇股、大瓶束、笈形付き大瓶束などが使われています。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
境内の中心部近くまで行くと参道が左に曲がり、南向きの社殿が現れます。
二の鳥居は木造の神明鳥居。神明鳥居(笠木がまっすぐで、貫が柱の左右から突き出ない)ではありますが、上部が笠木と島木の2部材で構成されていて、明神鳥居のような造り。
拝殿と本殿
拝殿は切妻(妻入)、向拝1間、銅板葺。
後述の本殿を意識したような切妻屋根になっています。
大棟には千木と鰹木。
左側面(西面)。
柱はいずれも円柱で、軸部は貫で連結されています。柱間に建具はなく、4面すべてが吹き放ち。
軒裏は一重の繁垂木で、内部に天井はなく化粧屋根裏になっています。
拝殿の先には中門。写真左の塀の向こうに見えるのは本殿。
中門は、一間一戸、四脚門、切妻、銅板葺。
形式的には四脚門(2本の主柱の前後に控柱を立てる)ですが、屋根が直線的な形状をしていて、大鳥造(あるいは住吉造)や神明造を意識したように見えます。
本殿は近くで見ることができず、屋根しか見えません。
本殿は、桁行正面1間・背面2間・梁間2間、大鳥造、銅板葺。
1909年(明治四十二年)再建。
祭神はヤマトタケルと大鳥連祖神。
大鳥造は当社に特有の建築様式で、正方形の平面に切妻(妻入)の屋根を乗せた様式。縁側はまわされず、内部は内陣外陣の2区画に分けられているとのこと。住吉大社本殿(大阪市)の住吉造の奥行きを半分にして簡略化した様式といえます。
非常にめずらしい様式が採用された本殿ですが、ほとんど見えないのが惜しいです。本殿の全体図は、わずかに見える屋根を手掛かりにしつつ住吉大社を参考に想像するしかありません...
境内社
二の鳥居の手前で拝殿のほうへ曲がらず、そのまま直進すると摂社・大鳥美波比神社(おおとり みはひ-)が西向きに鎮座しています。
大鳥五社のひとつで、『延喜式』に記載のある式内社。当初は北王子村(現 堺市西区)にありましたが、1879年に神宮寺・神鳳寺の五重塔跡に遷座され、1934年に神鳳寺本堂跡に遷座して現在に至るようです。
拝殿の手前には石造の明神鳥居。右の社号標は「攝社大鳥美波比神社」。
拝殿は入母屋、銅板葺。
前述の大鳥大社拝殿と同様に柱間は吹き放ちで、土間になっています。
柱は円柱で、軸部は長押を多用して固定しています。柱上は舟肘木。
扁額は「大鳥美波比神社」。
本殿は桁行1間・梁間2間、一間社流造、銅板葺。
祭神は天照大神。ほか、4柱が合祀されています。
向拝柱は角柱、母屋柱は円柱。柱上は舟肘木。
破風板の拝みには懸魚。
大棟には鰹木と千木が載っています。
大鳥美波比神社拝殿の手前には、織姫神社が南向きに鎮座しています。
切妻(妻入)、向拝1間、銅板葺。
前述の大鳥大社本殿(大鳥造)の小型版といった感じですが、正面に庇が付いていて春日造のプロトタイプのような構造。
以上、大鳥大社でした。
(訪問日2021/11/21)