甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【斑鳩町】法隆寺 その3(五重塔、金堂)

今回も奈良県斑鳩町の法隆寺について。

 

当記事では五重塔と金堂について述べます。

 

その1 南大門、西園院

その2 西院伽藍の配置、中門

その3 五重塔、金堂

その4 大講堂、鐘楼、経蔵

その5 西大門、西円堂

その6 三経院、聖霊院

その7 綱封蔵、細殿と食堂、東大門

その8 東院四脚門、夢殿

その9 伝法堂、東院鐘楼

 

五重塔

中門の奥には、五重塔と金堂が並立しています。

 

中門と大講堂をむすぶ中心線の、向かって左側(西側)にあるのが五重塔。

三間五重塔婆、本瓦葺、初重もこし付、板葺。全高32.55m。

飛鳥時代後期の造営。日本最古の五重塔で、世界最古の木造建築のひとつです。

国宝に指定されています。

 

初重の軒下には裳階(もこし)という庇がつき、二層の外観となっています。そのため、五重塔ですが六重にも見えます。

このような構造の五重塔はめずらしく、海住山寺五重塔(京都府木津川市)など数棟しか例がありません。

 

塔は二重の基壇の上に設けられています。

初重は正面側面ともに3間ですが、外周に1間のもこしが付くため、もこしの下は正面側面が5間となります。もこしの下の柱間は、腰壁と連子窓が張られています。

 

もこしの屋根は板葺。柱から出た斗栱で軒先を支えています。

母屋の屋根は本瓦葺。母屋柱から雲肘木と尾垂木を突き出し、尾垂木の上の巻斗と花肘木で軒先を支えています。

 

南面向かって右側。

隅の柱は、雲肘木と尾垂木が斜め(隅)向きに突き出ています。

 

南面向かって左側の隅。

尾垂木の下側には、しゃがんだポーズの力神が添えられ、尾垂木を支えています。この力神は後補の部材でしょう。

母屋の屋根の軒裏は、一重の繁垂木。もこしの軒裏は板軒です。

 

二重の南面。

二重より上層には縁側が設けられています。縁側は組高欄で、中門と同様の卍崩しの木組みが入っています。

母屋柱は円柱で、中央の柱間に連子窓が設けられています。

 

柱上の組物は雲肘木と尾垂木を組んだもの。

母屋壁面にある組物は、巻斗のかわりに雲斗が使われています。雲斗は先端が2つに割れたY字型となっています。

 

三重および四重。

各所の意匠は二重と同じ。

五重塔や三重塔は上層に行くほど屋根や母屋が小さくなりますが、この五重塔は逓減率が高く、上層の大きさと下層の大きさの差が大きいです。

 

五重は、正面側面ともに2間の平面となっています。

このように最上層が2間四方となる塔は少数ながら例があり、同町の法起寺三重塔は三重が2間、同県葛城市の當麻寺東塔は二重と三重が2間となっています。ほか、同町の法輪寺三重塔も三重が2間となっていますが、こちらは昭和時代に焼失しています。いずれの例も飛鳥時代から奈良時代のきわめて古い遺構であり、最上層を2間四方とするのは古風な技法といえます。

 

頂部には宝輪。

伏鉢、反花の上には九輪がつきますが、九輪の下のほうのすきまに鎌が取り付けられています。この鎌は雷除けのためにあるらしいです。

九輪の上には水煙が乗り、先端に小ぶりな宝珠がついています。

 

金堂

西院伽藍の中心線の右側(東側)に鎮座するのが金堂(こんどう)。当寺の本堂に相当する伽藍で、内部には本尊の釈迦三尊像(623年造立、国宝)が安置されています。

金堂は、桁行5間・梁間4間、二重、初重もこし付、板葺、入母屋造、本瓦葺。

飛鳥時代後期の造営。五重塔とともに日本最古の建築であり、世界最古の木造建築とされます。

国宝*1に指定されています。

 

下層南面。

金堂も五重塔と同様に、二重の基壇の上に建てられています。

五重塔と同じく、初重(下層)の外周にはもこしが設けられています。そのため、二重の建築ですが屋根は三重に見えます。

母屋は上層下層ともに正面5間・側面4間ですが、下層は1間のもこしが前後左右の計4面にまわされるため、もこしの下はつごう正面7間・側面6間となります。

 

南面の中央には板戸。

ほかの柱間は、腰壁と連子窓が設けられています。

 

柱からは細い肘木が伸び、その先端の平三斗でもこしの軒桁を支えています。

もこしの軒裏に垂木はなく、板軒です。

 

もこしは板葺。

下層の屋根は本瓦葺。軒裏は一重の繁垂木。

 

母屋の組物は、柱から雲肘木と尾垂木を伸ばし、尾垂木の上に斗と花肘木を乗せて軒桁を受けています。五重塔と同じ構造です。

隅の柱から出る尾垂木は斜め方向に出ていて、下側は唐獅子の彫刻で支えられています。この彫刻は後補の部材でしょう。

 

上層南面。

軒裏は一重の繁垂木。

 

上層も正面は4間。欄干の影になっていますが、中央の2間には板戸が設けられています。

欄干は組高欄で、卍崩しの木組みや、人の字型の割束が入っています。

 

上層の組物は下層のものと同じ構造。雲肘木と尾垂木で桁を持ち出しています。

母屋壁面にある組物の雲斗は、先端が2つに割れていません。五重塔のものと少し意匠が異なります。

 

隅の尾垂木の下には、補強のための束(つっかい棒)が入っています。束は竜がからみついた造形。

この束は後補の部材で、当初からあったものではありません。いつ付加されたのかは判然としないようですが、寺社建築にこのような立体的な彫刻が使われるのは桃山時代以降のため、17世紀以降のものかと思います。

 

左側面(西面)。

母屋側面は3間。細部の意匠は正面と同様です。

 

上層側面。

中央の1間に板戸が設けられています。

 

妻飾りは豕扠首。

破風板に懸魚はなく、懸魚のような形状をした飾り金具が、拝みの位置から垂れ下がっています。

 

右側面(東面)全体図。

下層の扉が開けられており、こちらから堂内に入って本尊を拝むことができます。

 

金堂と五重塔を、背面から見た図。

日本最古の建築2棟が、飛鳥時代の姿をとどめて整然と並ぶ様は、この上ない壮観の景色です。

 

五重塔と金堂については以上。

その4では、大講堂、鐘楼、経蔵について述べます。

*1:附:古材3284点、旧初重軸部(組物を含む)1構