甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【春日井市】内々神社

今回は愛知県春日井市の内々神社(うつつ-)について。

 

内々神社は市北部の内津町地区の山際に鎮座しています。

創建は不明。『延喜式』に記載された式内社であり、平安時代には確立されていたようです。平安から鎌倉にかけての沿革は不明ですが、創建以来、当地の総鎮守として近隣の住人や武家の崇敬を集めました。室町前期には、同市の密蔵院を開いた慈妙によって当社境内に神宮寺(内津妙見寺)が開かれ、幕末まで妙見宮と呼ばれました。

現在の境内は江戸後期に整備されたものと思われます。内々神社の東側には内津妙見寺が並立し、神仏習合の時代のおもかげが色濃く残ります。境内北側には禅宗寺院風の庭園があり、伝承によると夢窓疎石の作庭とのこと。社殿は江戸後期に諏訪の立川和四郎富棟によって造られたもので、権現造の社殿が県の文化財に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒480-0301愛知県春日井市内津町24(地図)
アクセス 小牧東ICから車で10分
駐車場 20台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 20分程度

 

境内

参道

内々神社の境内は南向き。境内入口は旧国道に面し、境内の裏手の山には国道19号が通っています。

左の社号標は「内々神社」

境内入口には明神鳥居。扁額は「内々神社」。

 

鳥居をくぐってすすむと境内中心部に拝殿(写真右端)があり、その左手前に手水舎があります。

手水舎は、切妻、銅板葺。

 

手水舎の妻面。

柱は几帳面取り角柱で、頭貫に木鼻がつき、柱上は大斗と肘木を組んだものが使われています。

妻飾りは虹梁と大瓶束。

破風板の拝みには蕪懸魚。左右の鰭は波とも若葉ともつかない意匠です。

 

手水舎の近くには「すべらずの松」と「すべらず天神社」。

 

拝殿左手前(南西)には2棟の境内社が東面しています。

左は「開運福神社」、右は「天王社」。

 

開運福神社には、虹梁中備えの蟇股や向拝柱の木鼻に彫刻があります。

 

拝殿、幣殿、本殿

参道の先には拝殿、幣殿、本殿の3棟が一体化した前後に長い社殿が鎮座しています。

権現造*1、銅板葺。

3棟とも文化年間(1804~1817年)の造営。「内々神社社殿」3棟として県指定有形文化財*2

 

手水舎の内部には、拝殿、幣殿、本殿の西面(向かって左の側面)の図が掲載されています。

図の右には「妙見宮■社拝殿 二十分一之圖」(※■部判読できず)、左には「信州諏訪城下 立川内匠冨棟/同 和蔵冨之*3/同 四郎次冨方*4」とあり、諏訪の初代立川和四郎とその息子たちによって造られたことがわかります。

 

前方に位置する屋根が拝殿。

拝殿部分は、桁行3間・梁間3間、入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間 軒唐破風付。

 

正面の軒唐破風と千鳥破風。両者とも、鬼板には菊の紋があります。

写真右下の軒唐破風には、菊唐草の意匠の兎毛通が下がっています。

写真左奥の千鳥破風には、猪目懸魚とも蕪懸魚ともつかない意匠の懸魚が下がり、その左右に若葉状の鰭が付いています。破風の内側には虹梁らしき部材が見えます。

 

向拝の軒下。

虹梁は波の彫刻が浮き彫りになっており、その上の中備えに竜の彫刻が配されています。

竜の彫刻の上の虹梁は、雲状の絵様が細い線で彫られています。その上には鳳凰の彫刻。

 

向かって左の向拝柱。

向拝柱は几帳面取り角柱が使われ、正面には唐獅子、側面には獏の木鼻がついています。

柱上の組物は出三斗。

 

向拝柱と母屋柱のあいだにわたされた梁には、竜が彫られています。梁の向拝側は木鼻や虹梁の位置から出て、母屋側は頭貫の位置に取りついています。

 

向拝の内側から見た図。

梁の彫刻は降り竜。

向拝柱の上の手挟にも彫刻があり、題材は波に亀。

 

向かって右側の梁と手挟を、向拝の内側から見た図。

こちらの梁の彫刻は昇り竜。手挟は波に亀です。

 

母屋の正面と両側面には切目縁がまわされ、擬宝珠付きの欄干が立てられています。

正面の軒下には角材の階段が設けられて、こちらも擬宝珠付きの昇高欄があります。

軒裏は二軒繁垂木。

 

正面は3間で、建具は格子戸。白い垂れ幕には五三の桐。

軸部は貫と長押で固定されています。

 

母屋柱は円柱。隅の柱には、頭貫の位置に唐獅子の彫刻があります。

柱上の組物は出組。中備えは、額の影になってしまいましたが蟇股が使われています。

軒桁の下の支輪板には、菊水の彫刻。

 

側面は3間。正面も3間ですが、側面は柱間が狭く取られているため、奥行きがあまり深くありません。

柱間の建具は舞良戸。頭貫の中備えは蟇股。

 

側面の縁側の終端には、脇障子が立てられています。

羽目板の彫刻は牡丹に唐獅子。

 

反対側(西面)。

脇障子の彫刻は獅子の子落とし。

 

拝殿(写真左端)と本殿(写真右)のあいだにある妻入りの棟が幣殿。

幣殿部分は、梁間1間・桁行2間、両下造*5、銅板葺。

この社殿のように、拝殿と本殿のあいだに両下造の幣殿を設けて、拝殿・幣殿・本殿の3棟を連結した建築様式を権現造といいます。ただし、後述する本殿部分は流造のため、この社殿は厳密には権現造とはいえないかと思います。

 

反対側(西面)の軒下。

幣殿の柱は角柱が使われ、柱間は舞良戸と火灯窓。その上の欄間には連子が入っています。

写真左の本殿とのあいだの空間は、格子を張ってふさいでいます。

 

社殿の後方の棟が本殿。

本殿部分は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、銅板葺。

 

西面から見た図。

妻面は多数の彫刻で埋め尽くされており、母屋とくらべて屋根や小屋組が大ぶりに造られているように感じられます。

 

向拝の軒下。

向拝柱(写真中央)と母屋(写真左)とのあいだにも格子が入り、母屋の正面や階段の様子がよく見えなくなってしまっています。

向拝の下には、幣殿の床と同じ高さに浜床が張られています。

 

向拝柱は几帳面取り角柱が使われ、正面(写真右)に唐獅子、側面(写真手前)に象の彫刻がついています。柱上の組物は出三斗。

手挟は菊唐草の彫刻が入っていますが、部材が前方に大きく伸びていて、幣殿の桁の近くに接続しています。

向拝柱と母屋をつなぐ海老虹梁は、立体的な造形で波に千鳥が彫られています。

 

母屋柱は円柱が使われ、軸部は長押と頭貫でつながれています。

柱間は桟唐戸と横板壁。

縁の下は三手先の腰組で支えられています。腰組のあいだには蟇股が配されていて、波に兎の彫刻が入っています。

 

頭貫には牡丹と思しき花の籠彫りがついています。

柱上の組物は二手先。隅の組物には竜の頭の彫刻があります。

頭貫の上の中備えの蟇股には花鳥の彫刻がありますが、金網がかかっていてよく見えず。支輪板には波と雲の彫刻。

 

妻飾りは二重虹梁。

大虹梁の上には鶴乗り仙人の彫刻が配され、その左右に大瓶束が立てられています。

二重虹梁の上では、しゃがんだポーズの力神が棟木を支えています。その左右には雲の意匠の彫刻(笈形?)。

破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。桁隠しの懸魚はありません。

 

東側の妻面。

うまく写真が撮れませんでしたが、大虹梁の上には亀乗り仙人の彫刻があります。その上の力神は西面のものとほぼ同じポーズのもの。

 

背面は3間。柱間は横板壁。

縁の下には蟇股がありますが、こちらは彫刻の入っていないものが使われています。

 

本殿の裏手には池をそなえた庭園があり、夢窓疎石の作庭という伝説もあるようですが、写真を撮り忘れてしまったため割愛。

 

内津妙見寺

内々神社の鳥居を出て東側へ行くと、内津妙見寺があります。出入口は独立しているものの、後述の妙見殿と内津神社拝殿とのあいだに通路があり、両者の境内間は自由に行き来することができます。

寺号標は、左が「内津妙見寺」、右が「北辰妙見尊」。

入口の門は、高麗門、銅板葺。

 

門の先には本堂に相当する妙見殿があります。手前の屋根は拝所のものです。

妙見殿は、入母屋(妻入)、向拝1間、銅板葺。

 

拝所から妙見殿を見た図。

奥にかかっている垂れ幕の紋は、7つの赤い丸を六角形状に配置した図案。あまり見かけないめずらしい紋ですが、妙見の象徴である北斗七星をかたどったものです。

 

左側面から見た図。

縁側を3面にまわし、側面前方に脇障子を立てています。

 

正面の軒下。扁額は「北辰妙見殿」。

母屋柱は円柱。柱間は長押や頭貫が使われ、柱上に台輪が通っています。

母屋と向拝のあいだには海老虹梁がわたされています。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。正面には唐獅子、側面には獏の彫刻。

柱上の手挟は、波間を飛ぶ怪鳥が彫られています。

 

以上、内々神社でした。

(訪問日2024/04/27)

*1:この社殿は本殿部分が入母屋ではなく流造のため、「広義の権現造」になる

*2:附:棟札

*3:富棟(初代和四郎)の長男の富昌(2代目和四郎)のこと。富昌を名乗る前は和蔵富興を名乗っていた。

*4:冨棟の三男で、富昌の弟。四郎治富方、のちに立川治右衛門富保を名乗っていた。

*5:妻入の切妻のこと。権現造の幣殿(石の間)はこの形式の屋根で造られることがほとんど。