甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【三島市】三嶋大社 後編(舞殿、拝殿・幣殿・本殿)

今回も静岡県三島市の三嶋大社について。

 

前編では総門、芸能殿、神門などについて述べました。

当記事では、舞殿や拝殿・幣殿・本殿などの境内中心部の社殿について述べます。

 

舞殿

回廊の先には舞殿が鎮座しています。

梁間3間・桁行3間、入母屋(妻入)、瓦棒銅板葺。

1866年(慶応二年)再建。市指定文化財。

 

正面の入母屋破風。

妻面には妻虹梁が使われ、破風板の拝みに蕪懸魚が下がっています。

 

正面の軒下。

柱間は正面側面ともに3間で、ガラス戸がはめられています。

縁側は切目縁が4面にまわされています。

 

柱はいずれも円柱で、柱上に台輪が通っています。頭貫の位置には象鼻がついています。

台輪の上と下には「二十四孝」を題材とした欄間彫刻があります。この舞殿は4面とも柱間が3つあり、ひとつの柱間に2つの欄間彫刻があるため、二十四孝の物語を網羅しています。

 

左側面(西面)。

側面も3間ですが、正面よりも側面のほうが柱間が広く取られ、やや前後に長い平面となっています。

軒裏は二軒繁垂木。垂木は放射状に伸び、禅宗様の扇垂木です。

 

左側面前方の欄間彫刻。

台輪の上は、笠と蓑をまとった人物が竹藪に分け入る構図で、題材は「孟宗」。下の彫刻は題材を特定できませんでした。

 

背面。

縁側には跳高欄が立てられ、正面と背面の中央部は欄干が途切れています。

 

背面の軒下。こちらも二十四孝の欄間彫刻があります。

柱上の組物は出組が使われています。

 

拝殿・幣殿・本殿

舞殿の奥には、当社の中枢となる社殿が鎮座しています。拝殿・幣殿・本殿の3つが一体化し、1棟の社殿となった権現造(ごんげんづくり)という建築様式です。

上の写真は拝殿部分で、桁行7間・梁間4間、入母屋、正面千鳥破風付、向拝3間 軒唐破風付、瓦棒銅板葺。

拝殿・幣殿・本殿いずれも1867年(慶応三年)の造営。各所の彫刻は伊豆の小沢半兵衛・小沢希道父子や駿河の後藤芳次郎らによって造られたもの。

「三嶋大社本殿、幣殿及び拝殿」1棟として国指定重要文化財*1

 

正面の千鳥破風。

拝みには、蕪懸魚を変形させたような懸魚が下がっています。左右の鰭は雲の意匠。

妻面は懸魚の影になってよく見えませんが、虹梁が使われているのが確認できます。

 

向拝は3間。上の写真は向かって左側。

向拝柱は几帳面取り角柱で、正面に唐獅子、側面に象の木鼻があります。柱上は出三斗。

虹梁には絵様のかわりに立体的な花鳥の彫刻がついています。虹梁の上の中備えや、下の端の持ち送りにも彫刻が使われています。

 

向拝の中央。

虹梁の上には、何らかの故事を題材にした彫刻があります。

中備えの彫刻の上にも虹梁がわたされ、唐破風の軒下の小壁は雲の彫刻が入っています。

破風板の兎毛通は、仙人らしき人物像と雲の彫刻。

 

向かって左側の向拝柱を、外側(西側)から見た図。

外側の向拝柱は、向拝柱と母屋との間にまっすぐな梁がわたされています。梁には樹木の彫刻があり、向拝柱の側についた持ち送りにも花鳥の彫刻が施されています。

向拝の組物の上には手挟があり、軒裏を受けています。彫刻の題材は鶴と仙人。

 

内側の向拝柱には、湾曲した海老虹梁が使われています。こちらの虹梁(海老虹梁)は、唐草状の絵様を陰刻した標準的な造りです。

 

向拝の下や母屋の前方は石畳や土間の床となっていて、縁側も向拝の付近で途切れています。拝殿としては少し風変わりな造りだと思います。

母屋の正面は7間で、中央の3間は板戸、左右各2間は半蔀。

 

母屋の左側面(西面)。

側面は4間で、柱間は板戸と半蔀。

縁側は切目縁で、跳高欄が立てられています。

 

母屋柱は面取り角柱が使われています。柱間は貫と長押でつながれ、頭貫には象鼻のような木鼻があります。

柱上の組物は出組。

中備えや支輪板は松などの樹木を題材とした彫刻がありますが、かすみ網のような鳥よけが張られていて、明瞭な写真が撮れませんでした。

 

縁側の脇障子。故事を題材とした彫刻が入っています。

 

側面の入母屋破風。

正面の千鳥破風と同様に、蕪懸魚のような意匠と雲状の鰭が下がり、妻面には妻虹梁が使われています。

 

拝殿(写真右)の後方には本殿などの棟が接続しています。写真中央の高い棟が本殿で、影になって見えないですが拝殿と本殿とのあいだに幣殿がつながっています。写真中央手前の低い棟は脇殿と思われ、拝殿・幣殿・本殿とは別の棟のようです。

 

幣殿部分は、梁間1間・桁行3間、両下造、瓦棒銅板葺。

本殿部分は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、瓦棒銅板葺。

 

本殿の妻面。

破風板の拝みには三花懸魚。三花懸魚の鰭や、桁隠しには雲の彫刻。

妻飾りは二重虹梁。大虹梁の上に一手先の組物が置かれ、二重虹梁を受けています。二重虹梁の上はよく見えませんが、大瓶束らしき部材があります。

 

反対の右側面(東面)。

向拝部分にはS字状に湾曲した海老虹梁が使われています。

側面の扉の上には長押が打たれ、長押の上の欄間には竜らしき彫刻が入っています。

母屋柱は円柱で、柱上の組物は二手先。中備えにも二手先の組物が配され、組物と組物のあいだには彫刻があります。

大棟には千木と鰹木。千木は先端を水平に切ったもの。鰹木は大棟に5本並んでいます。

 

祭神はオオヤマツミと事代主が祀られています。

 

境内社

舞殿および拝殿の周辺には、境内社が点在しています。

こちらは拝殿向かって左隣にある摂社の若宮神社。祭神は誉田別命と神功皇后のほか、物忌奈乃命*2なる神が祀られているとのこと。

桁行3間・梁間1間、三間社流造、向拝1間、瓦棒銅板葺。

1868年再建。

 

向拝柱は糸面取り角柱。側面に見返り唐獅子の木鼻。組物は出三斗。

虹梁は眉欠き、袖切、絵様が彫られた標準的なもの。中備えはありません。

 

母屋柱は円柱。頭貫には象鼻がつき、柱上の組物は出三斗。こちらも中備えはありません。

妻飾りは虹梁と大瓶束。

破風板の拝みに蕪懸魚が下がり、左右の鰭は雲の意匠。

 

母屋の正面には3組の扉が設けられ、その手前に角材の階段が3段あります。階段の下には浜床が張られ、向拝柱につながっています。

 

若宮神社(写真右奥)の手前には、摂社の見目神社が西面しています。三嶋神(オオヤマツミと事代主)の妃の女神6柱が祀られているとのこと。

一間社流造、瓦棒銅板葺。

1868年再建。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。側面に見返り唐獅子の木鼻がつき、柱上は出三斗。

虹梁中備えは蟇股。

 

母屋柱は円柱で、頭貫に木鼻があります。

柱上の組物は出三斗。頭貫の上の中備えは、独特な形状の蟇股が使われています。

破風板の拝みには、鰭付きの蕪懸魚。

 

見目社の左手(南側)には末社の西五社。祭神は不明。

母屋の正面には5組の扉があり、五間社(ごけんしゃ)というめずらしい規模の本殿となっています。

桁行5間・梁間1間、五間社流造、向拝5間、瓦棒銅板葺。

造営年不明。

 

向拝柱は角柱、母屋柱は円柱。組物は出三斗と平三斗が使われています。

破風板の拝みには蕪懸魚が下がり、懸魚の鰭と桁隠しは雲の意匠。

 

西五社から舞殿をはさんだ向かいには、末社の東五社が東面しています。こちらも祭神不明で、社殿は五間社です。

桁行5間・梁間1間、五間社流造、向拝5間、瓦棒銅板葺。

造営年不明。

 

構造や細部意匠は西五社とほぼ同じ。見目神社や若宮神社と似た造りをしているため、東五社と西五社も幕末の造営かと思います。

 

以上、三嶋大社でした。

(訪問日2024/09/28)

*1:附:棟札1枚

*2:案内板によると“三嶋大神の御子神”とのことだが、オオヤマツミと事代主のどちらの子なのか不明。伊豆諸島にある神津島の鎮守の祭神らしい。