今回は群馬県桐生市の桐生天満宮(きりゅう てんまんぐう)について。
桐生天満宮は桐生市街の北東部に鎮座しています。
創建は不明。社伝では第12代・景行天皇の時代の創建とされます。当初は磯部岡という場所に鎮座し、磯部明神と呼ばれていたようです。社伝によると桐生国綱によって現在地に遷座され、北野天満宮(京都市)から勧請された天神が合祀されたとのこと。
史料上では1575年に由良成繁によって創建されたとする説と、1591年の桐生新町の造成にともなって現在地へ遷座されたとする説とがあります。江戸時代には近隣の総鎮守として崇敬を集めました。明治時代には別当の大蔵院が分離されています。
現在の主要な社殿は江戸後期のもの。本殿・幣殿・拝殿が一体となった権現造の社殿は多数の彫刻で飾られた壮麗な建築で、国の重要文化財に指定されています。境内社の春日社本殿は桃山時代のものと考えられ、こちらも重要文化財です。また、境内周辺の桐生新町と呼ばれる地区は幕末から近代の街並みが残り、重伝建に指定されています。
当記事ではアクセス情報および本殿・幣殿・拝殿について述べます。
現地情報
| 所在地 | 〒376-0052群馬県桐生市天神町1-2-1(地図) |
| アクセス | 桐生駅から徒歩30分、または西桐生駅から徒歩25分 太田桐生ICまたは太田藪塚ICから車で25分 |
| 駐車場 | 10台(無料) |
| 営業時間 | 境内は随時、本殿周辺は06:00-17:00 |
| 入場料 | 無料 |
| 社務所 | あり |
| 公式サイト | 桐生天満宮 |
| 所要時間 | 30分程度 |
境内
参道

桐生天満宮の境内は南向き。入口は市街地の幹線道路に面し、重伝建の町並みの一画に境内があります。
入口には石造神明鳥居。
右の社号標は「桐生天満宮」。

参道を進むと二の鳥居があります。
石造明神鳥居。扁額は「天満宮」。
右奥には末社の機神神社の覆屋が見えます。

神門の手前には、石造の橋。
通行はできず、左右を迂回して進みます。
本殿・幣殿・拝殿

境内の中心部には、拝殿(左)、本殿(右端)、幣殿(拝殿と本殿のあいだの低い棟)が一体となった社殿が鎮座しています。祭神は菅原道真と天穂日命。
権現造、瓦棒銅板葺。
本殿と幣殿は1789年(寛政元年)造営、拝殿は1802年(享和二年)造営。
国指定重要文化財*1。末社春日社本殿と「本殿・幣殿・拝殿」とで、「天満宮」2棟として指定されています。

拝殿部分を神門付近から見た図。
拝殿は、桁行正面3間背面5間・梁間3間、入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間 軒唐破風付。

屋根の千鳥破風。
妻飾りは虹梁と大瓶束。破風板の拝みに猪目懸魚が下がり、鰭は若葉の意匠です。

向拝の軒唐破風。
兎毛通は鳳凰の彫刻。
屋根瓦の鬼板や棒瓦、破風板の飾り金具には、梅鉢の紋があしらわれています。

向拝は1間。

虹梁は絵様が浮き彫りされ、「天満宮」の扁額がかかっています。中備えの意匠はありません。
唐破風の小壁の部分にも目立った意匠はありません。

向かって右の向拝柱。
向拝柱は几帳面取り角柱。正面は拳鼻、側面は象鼻がついています。
柱上の組物は、連三斗をベースとしたもの。虹梁の上にも組物があり、柱上の組物とつながっています。

向拝柱と母屋柱とのあいだには、湾曲した海老虹梁がかかっています。
向拝の縋破風の桁隠しには、猪目懸魚。

母屋正面は3間。
中央の柱間は桟唐戸、左右の柱間は蔀が使われています。

向かって右の柱間。
柱間には飛貫がわたされ、中央に大瓶束を立てています。


母屋柱は上端が絞られた円柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。
頭貫には竜の彫刻がついています。
柱上の組物は出組。中備えはありません。

右側面。
側面は3間で、柱間は舞良戸。舞良戸の上には長押が打たれています。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。後方には脇障子が立てられています。

台輪の上に中備えがない点は正面と同様です。
軒裏は二軒繁垂木。

背面は柱間が5間となっていて、中央の1間で後方の幣殿(写真右)とつながっています。

右側面の入母屋破風。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
妻飾りは暗くて見づらいですが、虹梁と大瓶束がありました。

拝殿の後方には幣殿。
幣殿は、梁間1間・桁行4間、両下造。
幣殿と本殿は1789年の造営で、拝殿より少し古いものです。

側面は3間。柱間の羽目板に彫刻があります。
柱は円柱で、柱上に頭貫と台輪が通っています。
柱上の組物は出組。桁下の支輪板にも彫刻が入っています。


柱には文様が彫られ、窓枠には竜の彫刻がついています。
窓の下には腰貫が通り、その下の羽目板には牛の彫刻。
幣殿にも縁側が設けられており、縁の下の羽目板には猫らしき獣の彫刻があります。


反対側(西面)の壁面。
こちらも窓枠に竜が彫られ、腰貫の下に牛の彫刻が配されています。

拝殿の後方には本殿がつながっています。

桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝1間、背面軒唐破風付。


本殿の向拝部分。
向拝柱は几帳面取り角柱。正面側には唐獅子、側面には獏の木鼻があります。
向拝柱と母屋柱のあいだには海老虹梁がわたされ、その上下にも花鳥の彫刻が配されています。海老虹梁の下には引き戸が設けられています。

向拝の下には階段が設けられ、逆蓮のついた欄干が立てられています。
引き戸の下にも壁が張られ、壁面の羽目に雲の彫刻があります。
階段の下には浜床が設けられています。

母屋の側面は2間。
柱は円柱で、波が彫られています。軸部は貫と長押で固められています。
柱間の羽目には故事を題材にしたと思われる彫刻が入っています。

妻飾りは二重虹梁。
大虹梁の上には唐獅子の彫刻が配され、二重虹梁の上は笈形付き大瓶束で棟木を受けています。
破風板の拝みには三花懸魚。桁隠しには鶴の彫刻が下がっています。

縁の下。
母屋は亀腹の上に据えられています。
縁側は4面にまわされ、欄干は跳高欄。床下は腰組で支えられています。

背面。
大棟には鰹木と外削ぎの千木が各3つ乗り、軒先には唐破風がついています。

背面の軒唐破風。
兎毛通は植物の彫刻となっています。

背面は3間。
柱間の彫刻は「竹林の七賢」。

背面の縁の下。
こちらも柱間に彫刻があり、腰組の下の木鼻や、床下の支輪板にも彫刻が入っています。


左側面。

母屋の柱上の組物は三手先。
肘木には唐獅子や竜の木鼻がつき、斜め方向には象と獏の木鼻がついています。
組物のあいだの中備えや、軒支輪のあいだの欄間、支輪板にも彫刻が配されています。


左側面の床下。
本殿・幣殿・拝殿については以上。
*1:附:宮殿、棟札4枚、絵図、文書、末社機神神社本殿