今回は静岡県静岡市の清水寺(きよみずでら)について。
清水寺は静岡市街に鎮座する高野山真言宗の寺院です。山号は音羽山。
創建は室町時代末期。1559年(永禄二年)に今川義元が兄(今川氏輝)の遺命を受けて開山したのがはじまりです。1568年の武田氏による侵攻や、今川氏の滅亡により荒廃しますが、徳川家康によって復興されました。江戸時代には徳川家の崇敬を受けて隆盛しますが、幕末には火災や地震によって荒廃し衰微しました。
現在の境内伽藍は江戸時代から近現代に整備されたもので、境内周辺は公園となっています。観音堂は徳川家康の寄進で造られたと伝わり、県の文化財に指定されています。ほか、本堂、鐘楼、庫裏の3棟が国登録有形文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒420-0834静岡県静岡市葵区音羽町27-8(地図) |
アクセス | 音羽町駅から徒歩3分 静岡ICから車で15分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 境内は随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 静岡 音羽山清水寺 |
所要時間 | 20分程度 |
境内
薬師堂と本堂
清水寺の境内は南向き。境内は清水山公園の一画にあり、入口はきよみずさん通りという道路に面しています。
入口から階段を上った先には薬師堂があります。
入母屋、向拝1間、桟瓦葺。
造営年不明。もとは静岡浅間神社境内に護摩堂として造られたものです。明治初期の神仏分離令を受けて当寺に移築されました。
向拝の虹梁中備え。
菊の花の彫刻がありますが、経年により退色しています。
正面の軒下。
向拝柱、母屋柱ともに角柱。母屋柱は柱間に長押が打たれ、柱上に組物はありません。
母屋の建具は格子戸、半蔀、舞良戸が使われています。
薬師堂から向かって右(境内東側)へ進むと本堂と庫裏があります。こちらは本堂。
窓の下の欄間や、側面に設けられた八角形の窓など、中華風の意匠が取り入れられています。向拝部分は軒先がめくれ上がったような形状になっており、雨樋の排水管が向拝柱のような位置に立っています。
RC造。切妻、桟瓦葺。
1931年再建。国登録有形文化財。
中央の向拝部分の軒下。扁額は「薬師瑠璃光如来」。
柱は円柱で、柱間には桟唐戸が設けられています。
組物は二手先。虹梁中備えには透かし蟇股があります。
向かって左側。
こちらは柱間に頭貫が通り、端部(左端)に禅宗様木鼻がついています。
柱上の組物は出組。中備えは、人の字型の蟇股が入っています。
本堂向かって右側には庫裏が西面しています。
切妻(妻入)、玄関部分は入母屋(妻入)、桟瓦葺。
本堂と同年の再建で、こちらも国の登録有形文化財です。
母屋部分の妻壁には、海老虹梁と格狭間、蟇股と笈形付き大瓶束などの意匠が見えます。
鐘楼堂
参道に戻って薬師堂の左側を進むと、参道左手に鐘楼堂があります。
入母屋、本瓦葺。
1919年再建。国登録有形文化財。
南面および東面。撞木(鐘を突く棒)が吊るされている面が南面です。
主柱は円柱。主柱の内側に各2本の控柱が添えられ、つごう12本の柱が使われています。
東面の軒下。
主柱のあいだには太い梁がわたされ、その中央に笈形付き大瓶束が置かれています。
東面向かって右側の柱上。
柱上の組物は非常に複雑な構造となっています。柱の側面から腕木を伸ばして大瓶束を立てたり、繰型のついた尾垂木を出したり、独創的な造りです。
斜め方向に出た腕木の先端は、象の鼻のような垂れた形状になっています。そして下面は銅製のつっかい棒で支えられています。
控柱は几帳面取り角柱。
控柱と主柱は短い貫でつながれ、控柱の内側には禅宗様木鼻があります。柱上には皿斗が乗り、組物の肘木を受けています。
梁を受ける組物は主柱の側面から出ており、大仏様の挿肘木となっています。
柱の根元にも貫が通り、主柱の正面と側面に木鼻のような意匠がついています。
主柱の腰からは斜め方向に貫が出て、つっかい棒とつながっています。
つっかい棒の根元部分。
灯篭の基部に見られるような、花弁状の意匠(反花)がついています。
内部は格天井。
H字状に梁がわたされ、その中央に梵鐘が吊るされています。
梵鐘は戦後の再建。もとあった梵鐘は明治時代に静岡市から奉納されたものでしたが、戦時中に供出されました。
南面の入母屋破風。
破風板の拝みには、鰭のついた懸魚が下がっています。懸魚は渦状の意匠が左右に各2つついた独特の形状のもの。鰭は波の意匠。
奥まっていて見づらいですが、妻飾りは虹梁と大瓶束が使われていました。
観音堂
境内の最奥部には観音堂が南面しています。
梁間3間・桁行4間、寄棟(妻入)、向拝1間、桟瓦葺。
造営年不明。墨書および建築様式から、慶長年間(1596-1615)の造営と考えられています*1。県指定有形文化財。
徳川家康の寄進によって造営されたと伝わりますが、当初の形態がどこまで残っているのかは不明です。
向拝には虹梁がわたされ、中備えには雲間を飛ぶ竜の彫刻があります。
向かって左の向拝柱。
向拝柱は几帳面取り角柱で、上端が絞られています。
柱上の組物は連三斗。肘木には繰型がついていて、先端に渦状の意匠が入っています。
向拝柱の側面には拳鼻。上に巻斗を置き、連三斗を持ち送りしています。
向拝柱と母屋柱のあいだには、繋ぎ虹梁がわたされています。
向拝側は組物の上から出て、母屋側は頭貫の位置に取りついています。中央には組物が置かれ、桁を受けています。
母屋の正面は3間。扁額は山号「音羽山」。
建具は、中央が桟唐戸、左右各1間は舞良戸。
母屋柱は円柱が使われ、貫と長押で軸部を連結しています。
頭貫には木鼻がなく、和様の造りとなっています。
柱上の組物は出組。頭貫の上の中備えは撥束。
桁下には軒支輪。
左側面。
母屋の側面は4間で、柱間は舞良戸や縦板壁が使われています。
縁側は切目縁が4面にまわされています。側面および背面の縁側では、縁束を軒裏まで伸ばし、軒先の支えとしています。
このような縁束は、本願寺御影堂(京都市)のような大型の仏堂や、勝興寺本堂(富山県高岡市)のような雪国の寺社で見られます。とはいえ、この堂は特筆するほど大きいわけではなく、当地は雪国でないため、なぜこのような縁束が採用されたのかは解りません。
縁束は几帳面取り角柱。
柱上に大斗と実肘木を置き、軒桁を受けています。
背面。
背面は3間で、柱間は縦板壁。こちらも縁束が軒裏を支えています。
背面の縁束と母屋のあいだには、短い虹梁がわたされています。
虹梁は背面の柱から少しずれた位置に取りついています。
熊野神社
参道を引き返し、鐘楼堂の向かいにある坂道を進むと、境内社の熊野神社があります。
入口には石造明神鳥居。
拝殿は切妻、向拝1間、桟瓦葺。
拝殿の後方にはコンクリート造の覆屋があり、内部に熊野神社本殿が鎮座しています。
熊野神社本殿は、一間社流造、屋根葺不明。
造営年不明。私の予想になりますが、江戸後期の造営かと思います。
向拝柱は几帳面取り角柱がつかわれ、虹梁中備えには竜の彫刻。
側面や妻飾りについては、壁に阻まれて観察できませんでした。
以上、清水寺でした。
(訪問日2024/04/13)
*1:静岡県公式ホームページ しずおか文化財ナビより、2024/07/18閲覧