今回は静岡県菊川市の大頭龍神社(だいとうりゅう-)について。
大頭龍神社は菊川市街の南西の山際に鎮座しています。
創建は伝承によると792年(延暦十一年)とされます。また、大竜院という別当寺院もあったようです。1574年に武田氏の侵攻を受けて社殿や社記をすべて焼失しており、創建や沿革についての詳細は不明となっています。1580年に社殿が再建され、江戸時代を通して広く崇敬を集めました。明治初期までは「大頭龍権現」を称していましたが、神仏分離令を受けて1873年に現在の社号に改称しています。
現在の社殿は江戸時代の中期から後期にかけてのもので、彫刻の多い派手な造りとなっています。境内入口に立つ鳥居は当地の同時代の鳥居の中でも規模が大きいことから、市の文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒439-0031静岡県菊川市加茂947(地図) |
アクセス | 菊川駅から徒歩30分 菊川ICから車で5分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 境内は随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 静岡県菊川市鎮座 大頭龍神社 |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
大頭龍神社の境内は南東向き。入口は住宅地の生活道路に面しています。
入口には青銅製明神鳥居。扁額は「正一位大頭龍神社」。
1824年(文政七年)造営。市指定有形文化財。
太平洋戦争の際の金属回収令で供出の対象となりましたが、解体がはじまる前に終戦をむかえたため、供出をまぬかれて現存しています。
鳥居をくぐると、参道左手に手水舎があります。
入母屋、銅板葺。
柱は面取り角柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。
柱上の組物は出三斗。
柱間には虹梁がわたされ、雲状の絵様が彫られています。
台輪の上の中備えは、詰組(平三斗)と撥束。
妻飾りは虹梁と大瓶束。
破風板は銅板でカバーされ、懸魚はありません。
拝殿
参道の先には拝殿があります。
入母屋、向拝1間 軒唐破風付、瓦棒銅板葺。
公式サイトによると1763年(宝暦十三年)再建とのこと。
正面中央の軒唐破風。
唐破風の兎毛通は、竜の彫刻が下がっています。
鬼板は中央に大の字があしらわれ、左右には菊水の彫刻がついています。
唐破風の軒下。
虹梁中備えの蟇股は波の彫刻。彩色されておらず、真っ白な状態です。
その上の唐破風の小壁には、笈形付き大瓶束。笈形は波の意匠。
向かって右の向拝柱。
向拝柱は几帳面取り角柱。正面と側面には木鼻が付いています。
柱上の組物は出三斗。
向拝柱と母屋柱のあいだには、大きく湾曲した海老虹梁がわたされています。海老虹梁は、向拝側も母屋側も下面に持ち送りが添えられています。
向拝柱の上の手挟は板状のもので、繰型や渦が彫られています。
母屋の正面は5間。柱間は桟唐戸と舞良戸が使われています。
母屋柱は面取り角柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻が付いています。
柱上の組物は出組。台輪の上の中備えは透かし蟇股。
右側面。
側面は3間。柱間は舞良戸で、組物や中備えの意匠は正面と同様です。
破風板の拝みと桁隠しには懸魚が下がっています。
妻飾りは虹梁と笈形付き大瓶束。
本殿
拝殿の後方には幣殿(写真左の棟)が伸び、本殿につながっています。
祭神は大物主、オオヤマツミ(日吉大社)のほか、出雲龍神なる神も祀られているようです*1。
本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、銅板葺。
公式サイトによると1814年(文化十一年)再建とのこと。
側面は2間。柱間は板戸と横板壁。
母屋柱は円柱で、柱間は貫と長押で固定されています。
柱上の組物は出組。中備えは撥束。
妻飾りは豕扠首。
破風板の拝みには梅鉢懸魚が下がっています。桁隠しはありません。
本殿向かって右側(東側)には、山上を拝むための拝所があります。
主柱の前後に控え柱を立てた構造で、両部鳥居に屋根をかけたような造りです。屋根は切妻、銅板葺。
拝所の先には石段がありますが、一般の参拝者は立入禁止となっています。
以上、大頭龍神社でした。
(訪問日2024/04/13)
*1:境内の石碑より