甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【府中市】妙光院と安養寺

今回は東京都府中市の妙光院安養寺について。

 

妙光院

所在地:〒183-0027東京都府中市本町1-16-13(地図)

 

妙光院(みょうこういん)大國魂神社の南側に鎮座する真言宗豊山派の寺院です。山号は本覚山、寺号は真如寺。

創建は859年(貞観元年)。平城天皇の皇子によって開基されました。当初は仁和寺の末寺で、当地の中心的な真言宗道場として隆盛したようです。創建後の詳細な沿革は不明ですが、室町後期には北条氏照の帰依を受け、江戸時代には幕府の庇護を受けています。

 

境内

妙光院の境内は西向き。境内入口は都道9号に面していて、北へ100メートルほど行くと大國魂神社の西側の鳥居があります。

境内入口の山門は、薬医門、切妻、本瓦葺。

 

山門をくぐって参道を進むと、仁王門があります。

三間一戸、八脚門、入母屋、桟瓦葺。

1782年(天明二年)造営。

 

正面中央の柱間。

柱はいずれも円柱。柱間は飛貫と頭貫でつながれており、中央の柱間は飛貫虹梁をわたして中央に大瓶束を立てています。この部分は武蔵国分寺仁王門と似た造りです。

 

向かって右の柱間。

柱は上端が絞られ、頭貫に木鼻がついています。頭貫の上の中備えは蟇股で、菊の紋が入っています。

柱上の組物は出組。桁下の支輪板には波の彫刻。

 

右側面(南面)。

側面は2間で、柱間は横板壁。

中備えは正面と同様に蟇股が使われています。

 

破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。鰭は波の意匠。

妻飾りには、板蟇股と虹梁が見えます。

 

内部の通路部分は、飛貫より若干低い位置に太い虹梁がわたされ、笈形付き大瓶束が立てられています。虹梁には白い波の絵様が彫られています。笈形は波の意匠。

主柱(扉筋の柱)には挿肘木の斗栱がつき、桁を介して天井を支えています。

 

背面。

ほぼ前後対称の構造となっています。

 

参道の先には本堂が西面しています。

宝形、向拝1間、桟瓦葺。

 

向拝は1間。軒下に格天井が張られています。

虹梁は素木の材が使われ、左右両端の下面には持ち送りが添えられています。中備えは、中央が蟇股、その左右には大瓶束が使われています。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。正面と側面に象鼻がついています。柱上の組物は出三斗。

向拝柱と母屋のあいだには繋ぎ虹梁がわたされ、その上には格天井の部分と軒裏を仕切る梁と小壁が設けられています。

 

母屋柱は角柱が使われ、軒桁を直接受けています。軒裏は一重のまばら垂木。

柱間の建具は引き戸が入っています。

 

以上、妙光院でした。

 

安養寺

所在地:〒183-0027東京都府中市本町1-17-10(地図)

 

安養寺(あんようじ)は妙光院とともに大國魂神社の南側に鎮座する天台宗の寺院です。山号は叡光山。

創建は不明。寺伝によると859年(貞観元年)に円仁によって開かれたらしいです。その後は衰微したようですが、勅命を受けた尊海によって1296年(永仁四年)に再興され、大國魂神社の別当寺として隆盛しました。江戸時代は幕府の庇護を受けましたが、江戸中期後期の火災で寺宝や寺記の多くを焼失しています。明治時代には神仏分離令によって大國魂神社から独立した寺院となりました。

 

境内

安養寺の境内は西向き。北側には妙光院が隣接していて、両寺のあいだを直接行き来することができます。

西側の入口から境内に入って中心部へ向かうと、山門が西面しています。

山門は、高麗門、切妻、桟瓦葺。

 

背面。

門扉は板戸が使われています。

木鼻や懸魚などの意匠は使われていません。

 

山門をくぐると、左手に本堂が南面しています。

入母屋、向拝1間、銅板葺。

幣串の記載より、1789年(寛政元年)の再建とされます。

 

向かって左の向拝柱。

向拝柱は几帳面取り角柱で、側面に見返り唐獅子の木鼻がついています。

柱上の組物は、皿付きの出三斗をベースとし、左右に二手出た構造のもの。

 

虹梁は若葉の絵様が彫られ、中備えに竜の彫刻が配されています。

 

向拝柱と母屋とのあいだには海老虹梁がわたされています。母屋側は、引き戸の上の微妙な位置に取りついています。

海老虹梁の上にも虹梁がわたされ、中央に笈形付き大瓶束を置いて軒桁を受けています。

縋破風には竜の彫刻が下がり、向拝の軒桁の木口を隠しています。

 

母屋柱は角柱。柱間は貫でつながれ、柱上に台輪が通っています。頭貫には木鼻が付いています。

柱上の組物は出組。中備えは蓑束。

軒裏は二軒まばら垂木。

 

破風板の拝みには鰭付きの猪目懸魚。鰭は若葉の意匠。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

境内の東側には観音堂が西面しています。後方に見える建物は東京競馬場。

観音堂は、入母屋(妻入)、向拝1間 軒唐破風、銅板葺。

 

向拝の軒唐破風。

兎毛通は鳳凰の彫刻。

 

虹梁は若葉の絵様が彫られ、両端の下面に持ち送りが添えられています。

虹梁中備えは竜の彫刻。その上の唐破風の小壁は、鰐口の影になって見づらいですが板蟇股が使われています。

 

向かって右の向拝柱。

向拝柱は几帳面取り角柱。正面は唐獅子、側面は象の木鼻があります。柱上の組物は連三斗。

虹梁と向拝柱との接続部にある持ち送りは、波に亀の彫刻。

 

向拝柱と母屋柱のあいだには、2本の梁がわたされています。前述の本堂と似た構造。

下側の梁の向拝側には持ち送りがあり、こちらも波に亀の彫刻です。梁の上の中備えは平三斗。

 

向かって右手前(南西)の隅の柱。

母屋柱は角柱。軸部は貫と長押で固定され、柱上に台輪が通っています。

頭貫には象鼻がつき、柱上は出三斗と平三斗。台輪の上の中備えは板蟇股。

 

右側面。

縁側は側面の途中までまわされていて、終端部に脇障子を立てています。

 

背面は3間。

側面および背面も、中備えは板蟇股です。

 

破風板の拝み懸魚には、雲状の鰭がついています。

妻飾りは、蟇股、平三斗、妻虹梁が確認できます。

 

以上、安養寺でした。

(訪問日2024/05/31)