今回は滋賀県近江八幡市の摠見寺(そうけんじ)について。
摠見寺(捴見寺)は安土城内に鎮座する臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は遠景山。
創建は天正年間で、開基は織田信長。1576年から1579年にかけて安土城が築城され、それにともなって城内に摠見寺が開かれました。創建時の伽藍は、信長の命によって近江国内の寺社から移築されたものと伝わります。安土城は本能寺の変(1582年)の際に焼失し、1585年に廃城となりましたが、摠見寺は全焼を免れて存続しました。江戸時代には寺領を安堵されていますが、1854年の火災で主要な伽藍を焼失し、明治時代には寺領を失って衰微しました。
現在の摠見寺は、史跡・安土城跡の一部となっています。本堂は近現代の再建ですが、城内西側にある二王門と三重塔は創建当初のものが現存し、国の重要文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒521-1311滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6371(地図) |
アクセス | 安土駅から徒歩25分 八日市ICから車で25分 |
駐車場 | 100台以上(無料) |
営業時間 | 08:30-17:30(入場は16:30まで) |
入場料 | 700円 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 摠見寺 |
所要時間 | 1時間程度 |
境内
安土城跡
摠見寺および安土城跡の入口は、城の南側にあります。駐車場や案内所なども設けられています。
摠見寺境内に入るには、安土城跡の入場料が必要になります。
今回は摠見寺の伽藍が主目的でしたが、安土城跡の遺構も大まかに紹介します。
入場料を払って石段を登り始めると、右手には伝・前田利家屋敷跡があります。
反対側、左手には伝・羽柴秀吉屋敷跡の石垣。
石垣の中腹の段は通路となっており、犬走りならぬ「武者走り」と呼ばれているようです。
石段の屈曲部。
本丸へつづく石段や通路は直線的で幅の広いところがほとんどで、上の写真のように屈曲して狭い箇所はあまりありません。
これは、城塞としての守備能力よりも、政庁としての利便性・実用性を重視して造られたためと考えられます。
石段の踏み板の部分の石材には、ときおり「石仏」が使われている箇所があり、よく見ると人型のシルエットがうっすらと残っています。
これは築城時に大量の石材を確保するため、近隣から石仏や墓石などを集めて代用品としたもののようです。
このような「石仏」は階段のいたるところにあり、400年以上の歳月を経てその正体がわからなくなったものもあると思います。おそらく私も、知らずのうちに石仏や墓石を踏んでしまっていたことでしょう。
山頂に近づくと平坦な地形になり、二の丸や本丸の跡地があります。
こちらは二の丸の入口付近にある黒金門跡。
黒金門跡を通って進むと二の丸跡があります。
礎石などの遺構は、とくにないようです。
二の丸の奥には信長公本廟。
上の写真は廟所の門で、2023年の再建。
門の先には2段の礎石が立ち、その上に石が置かれています。
本能寺の変ののち、信長の遺品をここに埋葬して霊廟としたようです。
なお、織田信長の墓や廟は、京都の大徳寺や建勲神社、高野山の奥の院などなど多数あります。
二の丸から進むと広い平地が現れます。本丸はこの近辺にあったようです。
本丸跡からさらに石段を登ると「天守閣址」の石碑があります。
天守閣の礎石。
多くの礎石が並んでいますが、ここは天守閣の地下1階部分で、地上部分は周囲の石垣の上に覆いかぶさっていたようです。周囲の石垣は年月を経て上部が崩れてしまっており、礎石の配置から建物の規模の大きさを推定・イメージするのはむずかしいです。
安土城跡については以上。
三重塔
黒金門跡へ引き返し、案内板に沿って城内の西側へ行くと、三重塔が現れます。
三間三重塔婆、本瓦葺。
1454年(享徳三年)建立、天正年間に移築。もとは長寿寺(湖南市)の伽藍として造られたもので、当寺の創建時に現在地へ移築されました。
「捴見寺三重塔」として国指定重要文化財。
初重。
柱は円柱が使われ、軸部の固定には長押が多用されています。
柱間は正面側面ともに3間。中央は板戸、左右は連子窓。
縁側は切目縁がまわされ、欄干の親柱は擬宝珠付き。
柱に頭貫木鼻はありません。
柱上の組物は和様の尾垂木三手先。
中備えは蟇股と間斗束。
細部意匠はいずれも和様で構成され、純粋な和様建築といえます。
中央の扉の上の中備え(蟇股)。
蟇股の両端には若葉状の意匠がつき、内側には菊のような花を題材にした彫刻が入っています。
二重。
中央の柱間には扉のようなものがありますが、左右は窓がなく横板壁になっています。
中備えは3間とも間斗束で、蟇股はありません。
縁側の欄干は跳高欄。
三重も二重と同様に窓がなく、中備えは間斗束です。
軒裏はいずれの重も平行の二軒繁垂木。
三重の組物。
二重および三重の組物も、初重と同じく和様の尾垂木三手先です。
頂部の宝輪。
露盤の上に受花、九輪、水煙、宝珠が乗る、標準的な構成です。
三重塔近辺からの眺望。
眼下には西の湖(にしのこ)が見えます。これは内湖(琵琶湖と接続した湿地帯)であり、琵琶湖の本体ではありません。
現在の安土城周辺はほとんどが農地となっていますが、これは戦後の干拓によるもので、昭和初期までの安土城はこのような内湖に周囲を囲われていたようです。織田信長も、そういった地勢を考慮してこの地を本拠地としたのでしょう。
二王門
順路に従って石段を下ると、二王門があります。
三間一戸、楼門、入母屋、本瓦葺。
1571年(元亀二年)建立、天正年間に移築。もとは柏木神社(甲賀市)の社殿として造られたもので、当寺の創建時に現在地へ移築されました。
「捴見寺二王門」として国指定重要文化財。
下層。
正面3間で、中央の1間は通路として広く取られています。
中央の通路上の柱間。
頭貫の上の中備えは蟇股。先述の三重塔初重にあったものと似た構成で、牡丹のような花が彫られています。
向かって左の柱間。
柱の上部には頭貫が通り、隅の柱には禅宗様木鼻がついています。長押は使われていません。
頭貫の上の中備えは蓑束。
柱上の組物は二手先。
内部の通路部分には板戸が設けられ、格天井が張られています。
左右の柱間に安置される仁王像(木造金剛力士立像)は室町時代に作られたもので、国指定重要文化財です。
上層は正面3間。
石段の途中に鎮座しているため、正面から上層を観察するのはむずかしいです。
上層背面。
上層も桁行(正面および背面)は3間で、中央が広く取られています。柱間は中央が板戸、左右は連子窓。
軸部は長押と頭貫で固定され、頭貫には禅宗様木鼻があります。
柱上の組物は和様の尾垂木三手先。中備えは撥束。
背面全体図。
左右には袖塀がつながっています。
石部神社
城内の西端には、鎮守社の石部神社が鎮座しています。
こちらは無料で出入りできる区画ですが、安土城本丸跡や二王門から直接行くことはできず、拝観受付を出て城の西側から入る必要があります。
入口には石造明神鳥居。扁額は「石部神社」。
拝殿は、入母屋、桟瓦葺。
柱間に壁や建具がなく、内部は土間となっています。
本殿は、一間社流造、銅板葺。
向拝柱は几帳面取り角柱。虹梁中備えには蟇股があります。
母屋柱は円柱。正面には花狭間のついた扉が設けられています。
母屋側面はトタン板で覆われていて見づらいですが、中備えの蟇股や妻飾りの大瓶束が確認できます。
以上、摠見寺でした。
(訪問日2024/02/17)