甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】建勲神社

今回は京都府京都市の建勲神社(たけいさお-、けんくん-)について。

 

建勲神社は北区の市街地にある船岡山に鎮座しています。

創建は1869年(明治二年)。明治天皇により、織田信長の業績をたたえるために創設されました。当初は東京にある織田信敏(信長の子孫で天童藩知事)の邸宅に鎮座していましたが、1880年に船岡山の中腹に遷座されました。当地は豊臣秀吉が信長の廟所を造ろうと計画していた場所だった*1とのこと。1910年には、社殿を山頂付近に移築しています。

現在の境内は明治前期に整備されたもので、高台から京都市街を一望できます。社殿は1880年のもので、本殿や拝殿など多くの社殿が国の登録文化財となっているのに加え、当社を含む船岡山の全体が国指定史跡となっています。ほか、非公開のようですが社宝として太田牛一の『信長公記』を所蔵しています。

 

現地情報

所在地 〒603-8227京都府京都市北区紫野北舟岡町49(地図)
アクセス 北大路駅から徒歩15分
京都東ICから車で30分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 京都 建勲神社
所要時間 20分程度

 

境内

参道と境内社

建勲神社の境内は南向き。入口は住宅地の生活道路に面しています。

入口には木造明神鳥居。「大鳥居」という名称で国登録有形文化財となっています。白木の鳥居として府内最大とのこと。

右の社号標は「建勲神社」。

 

参道の石段を登って行くと、途中に境内社が西面しています。

鳥居の扁額は「稲荷社」。

 

拝所は、切妻(妻入)、銅板葺。

 

拝所の奥にある本殿は、義照稲荷社。手前の拝所と屋根がつながっています。

一間社流造、銅板葺。見世棚造。

 

義照稲荷社のとなり(北側)には命婦本宮。

一間社流造、銅板葺。

 

柱や中備えには、彩色された彫刻が入っています。

虹梁にかかげられた扁額は「命婦本宮」。

 

命婦本宮の裏には船岡稲荷。

ほか、石碑や木の柱が並んでいます。

 

参道を登ると二の鳥居があらわれ、境内の中心部に到着します。大鳥居から二の鳥居までは、のぼりで3分程度。

二の鳥居は石造明神鳥居。左の社号標は「別格官幣建勲神社」。

 

鳥居からうしろ(南方)を振り返ると、京都の市街地を一望できます。

晴天の日は比叡山なども見えるとのこと。

 

手水舎と拝殿

参道左手には手水舎があります。

切妻、檜皮葺。

国登録有形文化財。

 

柱は大面取り角柱。明治の建築ですが、古式を意識したのか面取りの幅が広いです。

柱上は舟肘木。虹梁の上の妻飾りは豕扠首。

破風板の拝みには猪目懸魚。

 

境内の中心部には拝殿が鎮座しています。

梁間3間・桁行3間、入母屋(妻入)、檜皮葺。

国登録有形文化財。

 

柱間は4面すべて吹き放ち。

内部は折り上げ格天井。

内部の柱間にならぶ扁額は、織田信長に仕えた功臣たちが描かれています。

 

柱は角柱。軸部は長押と貫で連結されています。木鼻はありません。

柱上は舟肘木。

軒裏は二軒まばら垂木。建築の規模のわりに、軒の出が深いと思います。

 

神門と本殿

拝殿の先には、神門(祝詞舎)があり、その奥に本殿が鎮座しています。

神門は、一間一戸、切妻(妻入)、檜皮葺。

本殿と、神門およびその左右の透塀は国登録有形文化財。

 

柱はいずれも円柱。柱上は舟肘木。

飛貫の上の中備えは板蟇股。菊の紋があります。

妻飾りは豕扠首。内部は化粧屋根裏。

 

神門と接続する透塀。

切妻、桟瓦葺。

柱は角柱で、柱間はまばらな菱組みの格子。

柱上から腕木を伸ばし、軒桁を受ける構造になっています。

 

本殿は、遠目に屋根を見ることしかできません。

一間社流造、檜皮葺。

1880年(明治十三年)建立、1910年(明治四十三年)移築

祭神は織田信長。信長の嫡子で、父とともに本能寺で亡くなった織田信忠も合祀されています。

 

母屋柱は円柱で、柱上は舟肘木、破風に懸魚が4つあるのが確認できます。

 

以上、建勲神社でした。

(訪問日2023/02/23)

*1:根来寺(和歌山県岩出市)の大伝法堂を当地に移築し、天正寺という寺院を開く計画があった。根来寺の移築作業は解体まで着工されたものの、計画中断のため移築も頓挫し、部材は大阪で放置され腐朽してしまったといわれる。