甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【東近江市】妙楽寺

今回は滋賀県東近江市の妙楽寺(みょうらくじ)について。

 

妙楽寺は伊庭町の集落に鎮座する浄土真宗本願寺派の寺院です。山号は恵日山。

創建は寺伝によると奈良時代で、藤原不比等とその兄の定恵(定慧)によって伊庭山のふもとに開かれたとされます。当初は天台宗の寺院でした。その後は衰微しましたが、建武年間(1334-1338)に了念が真宗佛光寺派の寺院として再興し、1428年(正長元年)に現在地へ移転しました。1739年(元文四年)には本願寺派に転派しています。

境内は堀で囲われていて、その中に4件の寺院が塔頭のように並び、小さな寺町を形成しています。大規模な本堂は江戸後期の再建です。

 

現地情報

所在地 〒521-1235滋賀県東近江市伊庭町2286(地図)
アクセス 能登川駅から徒歩30分
八日市ICから車で25分
駐車場 10台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 なし
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

山門

妙楽寺の境内は南東向き。境内入口は水路に面し、石橋がかかっています。

入口の山門は、薬医門、切妻、本瓦葺。左右袖塀付。

 

正面には虹梁がわたされています。

中備えは、木鼻のついた平三斗と、唐獅子の彫刻。

 

虹梁の右端。

虹梁の両端は、側面に獏の頭、手前に菊の花の彫刻がついています。

 

向かって右側の主柱。

主柱は円柱で、手前に唐獅子の木鼻がついています。

柱上には冠木がわたされています。

 

背面の虹梁。

こちらも中備えに平三斗と唐獅子の彫刻があります。

 

背面向かって左の控柱(北の隅の柱)。

控柱は几帳面取り角柱。背面(写真手前)は唐獅子、側面は獏の彫刻がついています。

 

左の妻面を外側(南西方向)から見た図。写真右が正面側です。

妻虹梁の下の中備え(欄間)には、牡丹と思しき花の彫刻が入っています。

妻虹梁の上は、笈形付き大瓶束。笈形は波の意匠。

破風板の懸魚には、波と菊の彫刻がついています。

 

鐘楼

山門向かって左側には鐘楼。

入母屋、本瓦葺。

 

柱は上端が絞られた円柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。

柱上の組物は出三斗。中備えは平三斗。

 

妻飾りは虹梁と大瓶束。

破風板の拝みには、三花懸魚が下がっています。

 

門内四ヶ寺

山門から本堂へとつづく参道の両脇には、4つの寺院がならんでいます。それぞれ独立した寺院らしいですが、宗派はいずれも妙楽寺と同じ浄土真宗本願寺派です。

山門をくぐってすぐ右側には源通寺(げんつうじ)。

寺伝によると1657年、佐々木六角氏の菩提寺として開かれたとのこと。基本的に住職はおらず、ときおり妙楽寺住職の隠居所として使われるという、風変わりな運営がなされていました。現在は閉山というあつかいで、檀家信徒は妙楽寺に合流・吸収されたようです。

 

建物は、入母屋、桟瓦葺。

1819年の地震で倒壊し、そののち再建されたものです。

 

参道左手には浄福寺(じょうふくじ)。山号は報恩山。

元久年間(1204-1205)の創建で、もとは徳恩院と称したようです。1793年に現在地に移転し、山号と寺号を現在のものに改めました。

 

建物は、入母屋、向拝1間、桟瓦葺。

2018年再建。

 

浄福寺の後方には手水舎があります。

切妻、桟瓦葺。

 

柱は几帳面取り角柱。

虹梁には木鼻がつき、中備えは蟇股。妻飾りも蟇股です。

破風板の拝みには蕪懸魚。

 

浄福寺と手水舎の先には法光寺(ほうこうじ)。山号は唯称山。

寺伝によると、建久年間(1190-1198)に佐々木氏家臣の岡田団蔵という人物が開いたとのこと。当初は柳瀬(やなぜ)*1という場所にありましたが、妙楽寺の移転にともなって現在地へ移転しました。

 

建物は、入母屋、向拝1間、桟瓦葺。

1822年再建。

 

向拝には竜の中備えや、獏の木鼻があります。

 

どの寺の管轄かわかりませんが、法光寺の向かいには土蔵造りの経蔵があります。

宝形、桟瓦葺。

 

経蔵の手前には、露盤と宝珠が置かれていました。おそらくこの経蔵の旧材でしょう。

ふつうは宝形屋根の頂部に乗っているものなので、間近で見る機会はあまりないと思います。

 

法光寺の反対側、参道右手には誓教寺(せいきょうじ)。山号は歓喜山(かんぎさん)。

創建年不明。開山の了清は1597年没のため、桃山時代の創建と考えられます。

 

建物は、入母屋、正面庇付、桟瓦葺。

1872年再建。

再建時は廃仏毀釈でいくつもの寺院が廃寺・破却に遭っていた時期で、誓教寺はその難を避けるため、建物をあえて寺院風でない造りにしたらしいです。

 

本堂

門内四ヶ寺のあいだを通って参道を進むと、大規模な本堂が鎮座しています。

入母屋、向拝3間、本瓦葺。

1834年(天保五年)再建。棟梁は美濃国石津郡の伝兵衛という人物で、高木作右衛門*2の弟子らしいです。

 

向拝は3間。

鳥の侵入をふせぐため網が張られています。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。側面に木鼻がありますが、網がかかっていてよく見えず。

柱上の組物は出三斗です。虹梁中備えは蟇股。

 

向拝柱の組物の上では、手挟が軒裏を受けています。手挟は牡丹と思しき花が籠彫りされています。

 

向拝の階段から母屋部分を見た図。

母屋は前面と左右の各1間通りが庇(吹き放ちの空間)となっており、1間奥まった柱間に建具が設けられています。西本願寺・東本願寺の御影堂・阿弥陀堂とよく似た構造です。

 

母屋の外周の柱(側柱)は几帳面取り角柱。

柱間に虹梁がわたされ、虹梁と台輪に禅宗様木鼻がついています。

柱上の組物は出三斗と平三斗。

 

外周の柱(写真左)と外陣の柱(写真右)のあいだには、海老虹梁がわたされています。

外陣の柱の上では、海老虹梁や隅木に沿って竜の彫刻が突き出ています。

 

母屋の外陣の柱は面取り角柱。柱間は長押、飛貫虹梁、頭貫、台輪などでつながれています。

柱上の組物は、木鼻のついた出組。

 

扉と長押の上の羽目板は、波の欄間彫刻。

飛貫虹梁の上には笈形付き大瓶束が立てられ、頭貫を受けています。笈形は波の意匠。

台輪の上の中備えは蟇股で、植物を題材にした彫刻が入っています。

 

右側面。

側面はトタンの波板でふさがれていました。

側面の縁側は後方に建具を入れて区切られ、その後方は脇陣と思しき空間になっていました。

 

以上、妙楽寺でした。

(訪問日2024/02/17)

*1:同市五箇荘簗瀬町のことか

*2:弘誓寺本堂(東近江市五個荘町)や専修寺唐門(三重県津市)の棟梁をつとめた宮大工の名跡