甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【宇治市】三室戸寺

今回は京都府宇治市の三室戸寺(みむろとじ)について。

 

三室戸寺は宇治市街東部の山際に鎮座する本山修験宗の寺院です。山号は明星山。

創建は不明。寺伝によると770年(宝亀元年)、光仁天皇の勅命を受けた行表によって開かれたらしいです。寛平年間(889~898年)には園城寺の円珍が当寺に逗留していて、遅くとも平安中期には確立されていたようです。当初は「御室戸寺」と称していましたが、天皇や上皇の離宮になることが3度あったため、寺号を「三室戸寺」に改めました。創建以来、天皇家の崇敬を受けて隆盛しましたが、1487年に火災で境内伽藍を全焼し、桃山時代には槙島城の戦い(1573年)で織田信長と敵対したため、寺領をすべて没収され衰退しました。江戸時代は1639年に道晃法親王によって再興され、江戸後期に現在の境内伽藍が再建されました。

境内は斜面上にあり、下段は庭園が広がり、上段は本堂などの伽藍が並びます。本堂や移築された三重塔は江戸後期の建築で、4棟が府指定の文化財です。三室戸寺の管轄ではないようですが、境内の一角には十八神社があり、こちらは室町中期の建築として国の重要文化財に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒611-0013京都府宇治市莵道滋賀谷21(地図)
アクセス 三室戸駅から徒歩20分
宇治東ICから車で5分
駐車場 なし(※周辺にコインパーキングあり)
営業時間 随時08:30-16:30(※冬季は16:00まで)
入場料 1000円
寺務所 あり
公式サイト 京都・宇治 西国第十番札所 三室戸寺
所要時間 30分程度

 

境内

山門と与楽園

三室戸寺の境内は南西向き。境内入口は住宅地の道路に面していて、拝観受付を通って参道を進むと山門があります。

一間一戸、薬医門、切妻造、本瓦葺。

 

柱は角柱。腕木の先端は繰型がつき、内部に天井が張られています。

 

拝観受付の近くには新羅大明神があります。

入口には石造明神鳥居。

社殿は見世棚造、一間社流造、銅板葺。

 

境内南東の一段低い区画には庭園「与楽園」があります。

訪問時は12月初頭でしたが、紅葉が落ちきらずに残っていました。

 

手水舎

庭園から参道に戻ると、本堂の手前に石段があります。

 

石段を昇ると、左手に手水舎があります。

宝形造、本瓦葺。

 

柱は円柱。正面と側面には唐獅子の木鼻。柱上の組物は出組。

軒裏は放射状の二軒繁垂木。

 

虹梁の上には台輪が通り、中備えに竜の彫刻がありますが、金網がかかっています。

軒桁の下の支輪板には雲の彫刻。

 

内部は格天井。

天井板には寄進者の名前が彫られています。

 

本堂

境内の中心部には本堂が鎮座しています。本尊は秘仏の千手観音。

 

桁行3間・梁間3間、一重、もこし付、入母屋造、向拝3間 軒唐破風付。

1814年(文化十一年)再建。府指定有形文化財。

 

向拝は3間。

手前にある石像は、向かって左が「福徳兎」、右が「宝勝牛」。

 

虹梁中備えは蟇股。中央の柱間の蟇股は、竜の彫刻。

中央の柱間は蟇股の上にも虹梁がわたされ、笈形付き大瓶束で唐破風の棟木を受けています。笈形の彫刻は菊水。

破風板の兎毛通には、鳳凰の彫刻が下がっています。

 

向かって左側。

中備えの蟇股の彫刻は、唐獅子。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。上端が絞られています。柱上の組物は皿付きの出三斗。

隅の柱には、側面に象の彫刻があります。

 

向拝の組物の上には手挟があります。手挟は菊(牡丹?)の籠彫り。

縋破風の桁隠しは菊の彫刻。

 

向拝の中央の1間を構成する柱にも、手挟があります。こちらは雲の彫刻。

手挟の上には唐破風の桁らしき材がありますが、全体に雲の彫刻が入っています。

 

母屋の下層部分は正面5間。いずれの柱間も桟唐戸が設けられています。

 

正面中央の唐破風の部分は、軒桁の上の小壁に蓑束があります。

 

母屋柱は上端が絞られた円柱。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

柱上の組物は尾垂木二手先。

 

右側面。

柱間は4間。建具は前方の3間が舞良戸、後方の1間が連子窓。

背面の軒下には孫庇のような小屋が設けられています。

 

台輪の上の中備えは蟇股。

 

上層。

正面は3間。扁額は判読できず。

軒裏は、上層下層ともに平行の二軒繁垂木。

 

上層も、上端の絞られた円柱が使われ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は尾垂木のない出組。台輪の上の中備えも出組が配されています。下層(尾垂木二手先)よりも上層のほうが簡素な組物が使われているのは風変わりだと思います。

 

右側面の入母屋破風。

拝みは鰭付きの蕪懸魚。

見づらいですが妻飾りは虹梁の上に笈形付き大瓶束が確認できます。妻虹梁の下は大きな蟇股のような意匠があり、独特な曲線状に彫られています。

 

阿弥陀堂と鐘楼

本堂向かって右側には阿弥陀堂が並立しています。

寄棟造、本瓦葺。

府指定有形文化財。本堂と同様に、江戸後期のものと思われます。

 

正面は中央が半蔀、左右が連子窓。側面は2間あり、白壁です。

柱は角柱が使われ、柱上な舟肘木。

縁側は正面にだけ設けられています。

 

阿弥陀堂向かって右には鐘楼。

切妻造、本瓦葺。

府指定有形文化財。こちらも江戸後期のものと思われます。

 

柱は面取り角柱。

柱の上には、白っぽい材の梁が直接乗り、梁の上に軒桁が乗っています。

破風板の拝みには蕪懸魚。

 

三重塔

境内東端の最奥部の区画には三重塔が鎮座しています。

 

三間三重塔婆、本瓦葺。

1704年(元禄十七年)造営。もとは佐用郡三日月村(兵庫県佐用町)の高蔵寺にあった塔で、1910年に買い取られて当寺境内に移築されています。1977年に現在地に再移築されました。

府指定有形文化財。

 

母屋は亀腹の上に据えられています。

縁側は切目縁で、欄干の親柱は擬宝珠付き。

 

母屋は3間四方。

中央の柱間は桟唐戸、左右の柱間は火灯窓。どちらも禅宗様の意匠です。

桟唐戸の上には長押が打たれ、連子窓の下にも長押が打たれています。

 

柱はいずれも円柱。

軸部の固定は長押が多用され、頭貫木鼻はありません。こちらは和様の意匠です。

柱上の組物は和様の尾垂木三手先。組物のあいだに中備えはありません。

 

右側面(南面)。

こちらは左右の柱間に火灯窓が設けられていません。

 

二重。

縁側の欄干は跳高欄。

柱間には窓や建具が使われておらず、白壁となっています。

組物は初重と同様に和様の尾垂木三手先。

 

二重と三重。

三重も、二重と同様に窓や建具がありませんでした。

軒裏はいずれの重も二軒繁垂木。平行に配置された、和様の垂木です。

 

頂部の宝輪。

露盤の上に伏鉢と反花が乗り、軸のまわりに九輪と水煙がつき、頂部に宝珠がついた構成。

 

十八神社

境内北東、本堂の左奥には鎮守社の十八神社(いそは-)があるようですが、存在に気付かず見落としてしまいました。参考としてWikipediaに掲載された画像を転載しておきます。

なお、下の画像は素木の本殿となっていますが、現在は修理によって丹塗りになっているようです。

(十八神社本殿 2013年撮影 ※画像はWikipediaより引用*1 )

桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、こけら葺。

1487年(長享元年)造営国指定重要文化財*2*3

 

以上、三室戸寺でした。

(訪問日2024/12/06)

*1:著作権者:小池 隆 氏、File:十八神社.JPG - Wikimedia Commons

*2:附:棟札3枚、旧軒付板

*3:文化庁の国指定文化財等データベースでは、読みが「じゅうはちじんじゃほんでん」と表記されている