甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】仁和寺 その3 御影堂など

今回も京都府京都市の仁和寺について。

 

その1では二王門と本坊について、

その2では中門、金堂、観音堂について述べました。

当記事では鐘楼、御影堂、経蔵などについて述べます。

 

鐘楼

金堂から境内西側の御影堂へ向かうと、通路の北側に鐘楼があります。

鐘楼は、桁行3間・梁間2間、入母屋、本瓦葺。袴腰付。

1644年(寛永二十一年)再建。「仁和寺 14棟」として国重文

 

上層を北西から見た図。

見づらいですが、柱は円柱で、柱間は連子窓が張られています。

桁行(長手方向)は3間で、中央の1間は吹き放ちです。

 

東面。

上層の組物は和様の尾垂木三手先。

縁側は切目縁。欄干は跳高欄、縁の下の腰組は二手先。

組物のあいだの中備えは、間斗束。

 

南面。

組物や中備えの意匠は、ほかの面と同様。

軒裏は二軒繁垂木。

 

破風板の拝みには猪目懸魚。

妻飾りは豕扠首が使われています。

 

鐘楼から脇道に入ると、閼伽井と水掛不動があります。こちらは閼伽井(あかい)。

 

閼伽井から北へ進むと、水掛不動があります。

小屋の中には不動明王の石像と、「菅公腰掛石」なる石が安置されています。

案内板によると、菅原道真は太宰府に配流される際に当寺を訪れ、宇多法皇との謁見を待つあいだ、この石に腰かけていたとのこと。

 

御影堂中門

境内の北西には、御影堂が鎮座しています。上の写真は、御影堂の手前の中門(ちゅうもん)と築地塀。

御影堂中門は、一間一戸、平入唐門、檜皮葺。

1641~1645年の再建。「仁和寺 14棟」として国重文

 

内部、向かって右側。

主柱から前後に梁をのばし、後方(写真左)のみ控柱を立てています。

梁の上では板蟇股が棟木を受けています。

茨垂木(化粧垂木)は数本しか入っていませんが、茨垂木が少ないおかげで、化粧屋根裏の曲面が映えていると思います。

 

御影堂

中門の先には御影堂(みえどう)。

堂内には真言宗の開祖・空海(弘法大師)らの像が安置されています。建物には、京都御所の清涼殿(1613年造営)の部材が転用されているとのこと。

 

桁行5間・梁間5間、宝形、向拝1間、檜皮葺。

1641~1645年の造営。「仁和寺 14棟」として国重文

 

向拝柱は面取り角柱。面取りの幅はあまり大きくありません。

柱上の組物は連三斗。柱の側面の象鼻に皿斗が乗り、組物を持ち送りしています。

 

虹梁中備えは蟇股。

彫刻の題材は麒麟。

 

向拝を側面から見た図。

柱上の手挟は、唐草の絵様が彫られています。

縋破風の桁隠しには猪目懸魚。

 

向拝の階段の欄干は、擬宝珠付き。

母屋の正面は5間。柱間の建具は、上半分を跳ね上げる半蔀です。

 

母屋柱は、向拝柱と同様の面取り角柱。柱間には長押が打たれ、頭貫木鼻はありません。

柱上は舟肘木。柱間に中備えはなく、白壁が張られています。

軒裏は二軒まばら垂木。

 

京都御所の清涼殿の部材が使われているからか、金堂と同様に和様の住宅建築風の造りです。

 

右側面(東面)。

側面も5間。柱間の建具は、板戸と舞良戸が使われています。こちらも和様の意匠です。

縁側はくれ縁が4面にまわされ、欄干は跳高欄。

 

背面は、中央に板戸が設けられています。

建具のない柱間には、縦板壁と腰長押が使われています。

縁側の隅には片流れ屋根の閼伽棚(写真の中央左手前)が設けられています。

 

屋根の頂部。

路盤には格狭間が2つ並んでいます。

宝珠は受花の上に乗り、火炎の意匠がついています。

 

経蔵

金堂の東側には、経蔵が西面しています。

桁行3間・梁間3間、宝形、本瓦葺。

1644~1648年の造営。「仁和寺 14棟」として国重文

 

柱間は正面側面ともに3間。中央の柱間は広く取られ、桟唐戸が設けられています。左右の柱間は、緑色の連子が入った火灯窓。

内部は土間床で、縁側はありません。

 

柱はいずれも円柱。上端が絞られています。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

柱上の組物は、木鼻のついた出組。

 

背面(東面)。

こちらは扉がなく、3間すべてが横板壁となっています。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

横板壁と平行垂木は和様の意匠のため、この経蔵は和様と禅宗様の折衷といったところでしょう。

 

各面の中央の柱間には、台輪の上に中備えがあります。

中備えは蟇股。

 

屋根の頂部の宝珠。

路盤には格狭間、宝珠には受花と火炎がついています。

 

鐘楼、御影堂、経蔵などについては以上。

その4では、五重塔、九所明神について述べます。