今回は山梨県甲州市の大善寺(だいぜんじ)について。
大善寺は市の南東部の国道沿いに鎮座している真言宗智山派の寺院です。山号は柏尾山。別名はぶどう寺。
創建は寺伝によると718年。奈良時代に隆盛をきわめたようですが、平安期の火災で境内伽藍を焼失し、鎌倉期には北条貞時によって再建されています。戦国期の甲州征伐や、江戸末期の戊辰戦争では当地が戦場となりました。
現在の境内は、鎌倉期に造営された本堂(薬師堂)が戦災を乗り越えて現存しており、県内や首都圏で最古級の建築であることから国宝に指定されています。また、堂内では多数の国重文の仏像を拝観することができます。
現地情報
所在地 | 〒409-1316山梨県甲州市勝沼町勝沼3559(地図) |
アクセス | 勝沼ぶどう郷駅から徒歩30分 勝沼ICから車で3分 |
駐車場 | 20台(拝観料を払うことで駐車できる) |
営業時間 | 09:00-16:30 |
入場料 | 500円 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 真言宗智山派 ぶどう寺 柏尾山 大善寺 |
所要時間 | 40分程度 |
境内
山門
大善寺の境内は南向き。
受付で拝観料を払って駐車場に車を置き、境内を進むと山門が鎮座しています。
三間一戸、楼門、二重、入母屋、桟瓦葺。
案内板*1には“銅版(原文ママ)葺”とありましたが、上層も下層も桟瓦葺です。
建立は1704年。県指定文化財。
案内板によると、棟札より1798年(寛政十年)の再建。土屋但馬守英直の寄進で、棟梁は下山大工の土橋文蔵茂祇。土橋文蔵は同市初鹿野の諏訪神社本殿も造営しています。
柱はいずれも円柱。木鼻は獏。
虹梁には唐草が彫られ、下部は挿肘木で持ち送りされています。
組物は二手先で、一手目は連三斗の肘木で大きく持出ししています。持ち出された桁の下には軒支輪と格子の小天井。
側面(西面)。
こちらも獏の木鼻が使われています。中備えは蟇股。
母屋は後方が吹き放ちになっています。
内部の通路部分は板張りの天井。
柱から内に向けて出た唐獅子が、桁を持ち送りしています。
上層。
暗くて見づらいですが、扁額は山号「柏尾山」。
軒裏は上層・下層ともに二軒繁垂木ですが、上層は扇垂木、下層は平行垂木。
背面。
上層の組物は尾垂木三手先。
柱間にはとくに意匠はありません。
下層の軒下にはこのような案内板がありました。
これは戊辰戦争の甲州勝沼の戦いを描いた錦絵。右上の建物が大善寺山門です。
この門前で板垣退助の率いる新政府軍と、近藤勇の率いる甲陽鎮撫隊が衝突しています。近藤らは大善寺に本陣を置こうとしたようですが、寺宝に徳川家ゆかりの品があるとの理由で断念したため、大善寺は戦災を免れました。
絵に描かれている山門は細部の意匠が省かれていたり縦横比のバランスがおかしかったりしますが、建築様式は忠実に描かれています。
楽屋堂と稚児道
石段を登ると、楼門風の堂があります。パンフレットによると「楽屋堂」というようです。
五間一戸の楼門?、入母屋、銅板葺。
内部は展望台を兼ねた休憩室になっていました。
組物や木鼻、擬宝珠などの意匠が使われています。
千社札が張られているあたり、それなりに古いもののように思われます。
楽屋堂の先には「稚児堂」。外観からわかるように、用途は神社の神楽殿と同じです。
上の写真は右側面(東面)。
切妻(妻入)、本瓦葺。1846年再建。
柱はいずれも角柱。中備えの蟇股には彩色された花が描かれています。
梁の上で棟を受ける板蟇股は、白地に赤で花菱が描かれています。
内部に天井はなく、化粧屋根裏です。
背面の妻。
こちらの蟇股は松が描かれていました。
拝みには蕪懸魚。
本堂(薬師堂)
境内の最奥部には本堂が鎮座しています。本尊の薬師如来が安置されていることから、薬師堂とも呼ばれます。
桁行5間・梁間5間、寄棟、檜皮葺。
鎌倉後期の再建。柱の銘より1286年に柱が立てられたことがわかっており、1291年上棟、1306年(徳治二年)頃竣工。
山梨県内で最古の建造物。国宝に指定されています。
屋根は江戸初期に大棟周辺が改造されていて、造営当初の形態は不明とのこと*2。
内部の柱はさまざまな年代のものが混在し、再建前(鎌倉以前)の柱を再利用したと思われるものから、1954年の改修で新しく交換された柱まであるとのこと*3。
正面の軒下。
柱はいずれも円柱。軸部は貫と長押で固定されています。
柱間は、狭間のないシンプルな桟唐戸と、連子窓。
頭貫の木鼻は直角三角形に近いシルエットで、斜め上の面は雲状の曲面に削られています。典型的な原初の大仏様(天竺様)木鼻です。
柱上の組物は二手先。中備えは間斗束。桁下には軒支輪。
軒裏は平行の二軒繁垂木。
側面(西面)。
前方の1間は桟唐戸が立てつけられています。あとの4間は横方向に壁板が張られています。
縁側は切目縁が4面にまわされています。欄干はなく、縁の下は縁束。
背面。
こちらは中央の柱間に桟唐戸。桟唐戸は上部に連子が入っています。
そのほかの柱間は横板壁。
堂内は撮影禁止となっています。
内陣は幅3間・奥行1間の空間に須弥壇が設けられ、内陣を構成する柱や梁は非常に太い材が使われていました。また、金箔が貼られていたような痕跡がありました。
内陣には大型の厨子(様式は撞木造、板葺?)があります。1485年(文明十七年)の墨書があり、本堂の附として国宝指定。
厨子の内部の薬師如来像は秘仏で、5年に一度の御開帳でのみ公開されます。像高85.4cm、製作年は1227~1228年、脇侍の日光・月光菩薩像(こちらは常時公開)とあわせて国重文。
ほか、薬師如来像と同年代の十二神将像(国重文)も常時公開されています。
鐘楼と行者堂
本堂の右手(東)には鐘楼と行者堂があります。
鐘楼は宝形、本瓦葺。
1714年再建。梵鐘は戦後のもの。
柱は円柱で、禅宗様木鼻が使われています。
少し奥まった場所にある行者堂。
二重、寄棟(妻入)、銅板葺。1700年建立。
内部には木像役行者像が安置されているようです。鎌倉後期の作で、もとは御坂峠にあったとのこと。なお、のぞき込んでもそれらしき像は見えませんでした。
前後に長い平面構成で、屋根は二重。軒裏は平行まばら垂木で、上層は二軒。
寸詰まりな感のある箱棟が印象的。妻入の寄棟という点も風変わりです。
これらの伽藍のほか、受付の近くにある庭園も拝観できましたが割愛。
以上、大善寺でした。
(訪問日2021/01/23)