甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【立科町】津金寺

今回は長野県立科町の津金寺(つがねじ)について。

 

津金寺は旧中山道の沿線に鎮座している天台宗の寺院です。山号は慧日山。

創建は702年とされ、行基が戸隠権現の霊験を受けて聖観音を安置したのが始まりと伝えられています。鎌倉期には学問所として知られ、以降は滋野氏や武田氏の庇護を受けたようです。天正壬午の乱ののち、依田氏によって再興されています。

現在の伽藍は江戸中期から後期のもので、仁王門と妙見堂は立川流の工匠によって造られています。また、カタクリの寺としても知られています。

 

現地情報

所在地 〒384-2307長野県北佐久郡立科町山部279(地図)
アクセス 上田菅平ICまたは東部湯の丸ICから車で30分
駐車場 40台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料(※カタクリ・野草まつり期間中は300円)
寺務所 あり
公式サイト カタクリと野草の寺 信州佐久津金寺
所要時間 20分程度

 

境内

仁王門

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津金寺の境内は東向き。国道142号線から少しはずれた県道に面しています。

境内入口には存在感あふれる茅葺の仁王門。

 

三間一戸の八脚門、切妻、茅葺。

1813年(文化十年)再建

立川流の上原市蔵(旧上諏訪町)と田中円蔵(立科町茂田井)の作。田中円蔵は同町茂田井の諏訪社を造営した人物。

 

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柱はいずれも円柱。扁額は山号「慧日山」。

内部の仁王像は未完成のようですが町指定文化財となっています。

 

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頭貫の木鼻は正面が唐獅子、側面が象。

柱上の組物は出組で、桁下の板支輪にも波状の彫刻があります。

中備えの蟇股には、波頭が彫られています。

 

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側面(北面)。

前方の1間は壁のない吹き放ち。柱はそろばん珠のような台盤の上にのっています。

妻壁は二重虹梁。大虹梁の上に出三斗が載り、二重虹梁の上では笈形付き大瓶束が棟を受けています。

 

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反対側(南面)。

端正な茅葺の屋根が空に映えます。

大棟は箱棟になっています。棟の前面や鬼板には武田菱。武田氏や武田家臣だった依田氏から庇護を受けたためでしょう。

 

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内部は鏡天井。

頭貫の上には蟇股が配置されており、こちらも波の意匠の彫刻。

 

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背面。

こちらは木鼻など一部の意匠が省略されていました。

 

鐘楼

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仁王門の裏手には鐘楼。入母屋、銅板葺。

2008年再建。梵鐘は2007年鋳造。

 

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柱は粽の円柱。内に転びがついています。

円柱のあいだには面取りされた角柱が2本立てられています。

貫の上には蟇股。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

内部は格天井、軒裏は二軒繁垂木。

 

観音堂

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仁王門をくぐると池があり、橋の先には観音堂が鎮座しています。

 

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観音堂は桁行3間・梁間3間、入母屋(平入)、銅板葺。

1702年(元禄十五年)の再建。町指定文化財。

宮大工は不明ですが、境内案内板によると“部材の形や絵様などから、佐久郡下の工匠によって建てられたものと推定されます”とのこと。

本尊は聖観音。

 

こちらも垂れ幕や大棟に武田菱が描かれています。

平面のわりに母屋・小屋組ともに高く、腰高なプロポーション。

 

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扁額は寺号「津金寺」。

柱上の組物は尾垂木の出た三手先。

 

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柱は上端が絞られた粽。

頭貫と台輪の両方に木鼻がつき、禅宗様の木鼻となっています。

軒裏は二軒まばら垂木。

 

阿弥陀堂

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観音堂の左手(南)には阿弥陀堂。

寄棟(平入)、銅板葺。1981年再建。

 

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柱はいずれも大面取り角柱。

組物は出三斗と平三斗。軒裏は二軒まばら垂木。

 

妙見堂

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観音堂の右手(北)には、南向きで妙見堂が鎮座しています。

写真は鞘堂(覆い屋)。

 

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妙見堂は桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝1間・軒唐破風付、こけら葺。

1836年(天保七年)建立

宮大工は2代目和四郎こと立川和四郎富昌と、前述の仁王門を手掛けた茂田井の田中円蔵。2代目和四郎は諏訪大社上社本宮の社殿を造営した人物。

 

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向拝柱は几帳面取り角柱。木鼻は正面が唐獅子、側面が象。

中備えはよく見えないですが、唐破風の下の小壁には立川流がよく題材にする宝尽くしの彫刻があります。

 

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向拝柱と母屋をつなぐ海老虹梁には竜が彫刻されています。これは江戸後期の立川流や大隅流でよく見られる意匠。

海老虹梁の母屋側は、柱のない中途半端な位置に取りついています。母屋と向拝のサイズのバランスをとるための工夫でしょう。

向拝柱の組物は出三斗で、手挟は菊が籠彫りされています。

母屋正面には3組の桟唐戸。紋は中央が六角形に九曜、右と左は武田菱。

 

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階段や縁側の下にも彫刻があります。

階段の下は鯉の滝登り、縁側の下は波や唐獅子など。

 

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母屋柱は円柱。頭貫木鼻は唐獅子。

組物は二手先。中備えや板支輪に彫刻がありますが、角度のせいで題材が判らず。

妻壁は二重虹梁。二重虹梁の上は笈形付き大瓶束。

 

縁側はくれ縁が3面にまわされています。欄干は擬宝珠付き、縁の下は腰組。

 

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縁側の背面は脇障子でふさがれています。

羽目には梅の木の下に立つ老人が彫刻されています。

 

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背面。組物のあいだの中備えには、波頭と菊らしき花が彫られています。

 

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西面。

彫刻の題材は反対側とほぼ同じ。

 

宝塔

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境内の裏山には滋野氏の供養塔(宝塔)が立てられています。

滋野氏は御牧のひとつである望月牧を経営していた一族。

右手前の2基は滋野氏の夫妻(具体的な名前は不明)が生前供養に立てたもので、1220年建立。左奥の1基は写経を納めたもので、1227年建立。長野県宝に指定されています。

 

以上、津金寺でした。

(訪問日2020/12/27)