甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【甲州市】恵林寺

今回は山梨県甲州市の恵林寺(えりんじ)について。

 

恵林寺は市の北部の住宅地に鎮座している臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は乾徳山。

創建は1330年で、甲斐国守護・二階堂貞藤が夢窓疎石を当地に招いて開山しました。戦国期に武田氏の菩提寺として再興されていますが、甲州征伐で焼き討ちを受けて伽藍を消失しています。その後ふたたび再建されたようですが1905年の火災で焼失しており、現在の境内伽藍は一部をのぞくほとんどが明治以降のものです。

広大な境内には多数の堂宇が鎮座し、江戸初期の四脚門は国重文に指定、夢窓疎石が造ったとされる庭園は国指定名勝となっています。また、武田氏にまつわる寺宝が展示された信玄公宝物館も併設されています。

 

現地情報

所在地 〒404-0053山梨県甲州市塩山小屋敷2280(地図)
アクセス 塩山駅から徒歩50分
一宮御坂ICまたは勝沼ICから車で20分
駐車場 20台(無料)
営業時間 08:30-16:30
入場料 無料(内部や庭園の拝観は500円)
寺務所 あり
公式サイト 乾徳山 恵林寺
所要時間 50分程度

 

境内

総門(黒門)

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恵林寺の境内は南向き。広大な境内の南端には総門が鎮座しています。通称は黒門。

一間一戸、高麗門、切妻、桟瓦葺。

扁額は「雑華世界」。

 

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柱は角面取り。

後方に控柱が伸び、主柱と控柱のあいだには切妻の屋根が設けられています。これは高麗門という様式のセオリー。

 

四脚門(赤門)

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参道を進むと丹塗りの四脚門が鎮座しています。通称は赤門。扁額は山号「乾徳山」。

一間一戸、四脚門、切妻、檜皮葺。

1606年(慶長十一年)再建国指定重要文化財

 

織田氏の甲州征伐で焼失して天正壬午の乱を経たのち、徳川家康によって再建されたもの。なお、大棟の紋は武田菱です。

江戸時代の最初期の造営のため、安土桃山時代の作風が色濃く残っているようです。

 

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背面の軒下。

柱はいずれも円柱で、上端が絞られて粽になっています。

柱の上部には頭貫と台輪が通っています。木鼻は禅宗様で、台輪木鼻は台輪と同一の部材になっています。

軒裏は二軒まばら垂木。垂木は先端に向けて細くなっており、微妙な曲線になっていて繊細な印象。

 

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側面。

主柱(写真中央)からは小さい海老虹梁が出ていて、黒い組物を介して左右の控柱につながっています。

内部に天井はなく、化粧屋根裏。

開放的で軽快な印象を受けますが、主柱と控柱を直接つなぐ梁がないので強度的に弱そうな感がなきにしもあらず。

 

三門

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四脚門の先には楼門形式の三門。

一間一戸、楼門、入母屋、こけら葺。

造営年は不明。おそらく明治以降の再建。県指定文化財。

 

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下層。

柱は角柱。楼門としては簡易的な造り。

 

柱に掲げられている木札は、向かって右が「安禅必ずしも山水を須(もち)いず」、左が「心頭滅却すれば火自(おのず)から涼し」。

これは当寺の住職だった快川紹喜が、甲州征伐の焼き討ちを受けて焼死したときに残した言葉。なお、この逸話は後世の脚色だとする説もあります。

 

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柱上に組物はなく、柱から突き出た肘木と腕木が上層の縁側を持ち送りいます。

写真中央の腕木は曲線的な形状かつ波型の意匠がついています。あまり見ない意匠ですが、個性的でおもしろいと思います。

 

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上層。柱は円柱。扁額は判読できず。

頭貫木鼻は拳鼻。柱上の組物は出組。中備えは間斗束。桁下には軒支輪。軒裏は二軒繁垂木。

縁側は切目縁で、欄干は擬宝珠付き。

 

開山堂

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山門の先には開山堂。

入母屋(妻入)、銅板葺。市指定文化財。

内部には当寺の開山や中興に貢献した仏僧3人の木像が安置されているようですが、訪問時は修理中のため見られませんでした。

 

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柱はいずれも円柱。柱間には桟唐戸。

扁額は判読できず。

 

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柱は上端が粽で、柱上には台輪がまわされています。

組物は出組で、柱間にも配置した詰組になっています。

軒裏は二軒で垂木がなく、雲状の彫刻がついた板軒。

 

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正面の入母屋破風。

破風板の拝みには鰭のついた懸魚。こちらも雲の意匠で、精巧な彫刻。

妻壁には妻虹梁。

鬼板の紋は武田菱。

 

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側面の軒下。

こちらの軒裏は、通常の二軒繁垂木になっていました。

壁面にはひとまわり小さい桟唐戸と、火灯窓が設けられています。後方には脇障子のような意匠。

 

庫裏と本堂

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庫裏と本堂の前には薬医門。

一間一戸、薬医門、切妻、銅板葺。

 

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柱から前方に男梁をのばし、組物と桁を介して軒を受けています。

男梁の先端には白い繰型。下に添えられた女梁にも、複雑で見栄えのする繰型がついています。

 

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薬医門の先にある、本堂入口の玄関。

向唐破風、銅板葺で、軒が高いからなのか、腰に庇がついています。

 

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庫裏。ここから本堂や庭園は有料区画

券売機で拝観料を払って堂内へ入ります。受付は無人でしたが、寺で飼われているらしい猫が入口で見張っていました。

 

庫裏の様式は切妻(妻入)、銅板葺。

非常に棟が高く、屋根が急勾配になっているのが印象的。

 

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庫裏内部。

天井がないため、壮大な小屋組を見上げることができます。

 

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うぐいす張りの廊下を抜けた先には本堂(中央奥)。こちらの写真は塀の外から撮ったもの。

入母屋、銅板葺。庫裏と同様、非常に棟が高くなっています。

 

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本堂に入ることはできませんが、縁側から内部をのぞき見ることができます。

桟唐戸の狭間や欄間の彫刻、巨大な木鼻などを確認できました。

 

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本堂から橋を渡った先には武田不動尊と武田家の墓がありますが、撮影禁止でした。

武田不動尊の像は信玄が京から招いた仏師に造らせたものとのこと。

 

境内の最奥には武田晴信(信玄)をはじめ、武田家一族の墓が多数あります。

7年くらい前に訪問したときは信玄の墓の前まで行けたはずなのですが、今回の訪問では立入禁止になっており、遠目に見ることしかできませんでした。

 

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本堂の裏には庭園。国指定史跡。

造園の名手である夢窓疎石の作といわれますが、戦乱で幾度も荒廃しているため、当初の姿とは異なる可能性も否定できません。

なお、こちらの庭園は撮影OK。案内板が猛烈に撮影をお勧めしていたので、冬枯れのうえ雨降りという最悪のコンディションでしたが掲載。

 

その他の伽藍

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本堂の手前には通用門(四脚門)。

一間一戸、四脚門、切妻、銅板葺。

 

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柱はいずれも円柱。頭貫木鼻は象鼻。

柱上には台輪がまわされ、組物は出三斗。中備えは平三斗。

 

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桟唐戸の羽目には五三の桐らしき紋がありました。

 

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境内西端には仏舎利塔。

三間三重塔婆(?)、銅板葺。

初重は柱間に扉や窓がありますが、二重三重はしっくいで塗り込められていて、のっぺりした印象。

 

ほか、境内東には信玄公宝物館(恵林寺拝観とは別料金500円)がありますが撮影禁止のため割愛。

重要文化財の刀剣や、武田軍が合戦で掲げたといわれる「風林火山」「諏訪大明神」の旗(両者とも県指定文化財)、さまざまな作者による武田二十四将図が展示されていました。

 

以上、恵林寺でした。

(訪問日2021/01/23)