世をひねる

甲信地方(山梨県と長野県)の寺院・神社建築を語る雑記。

【甲府市】玉諸神社 ~甲斐国三宮は世にも奇妙な「背面向拝」付き~

今回は山梨県のマイナー観光地ということで、甲府市の玉諸神社(たまもろ-)について。

 

玉諸神社は甲府市街東部の住宅地の中に鎮座しています。

甲斐国(山梨県)で第3位の格を持つ三宮(さんのみや)とされている由緒正しい古社であり、特に江戸初期の造営である本殿は他の神社で見られない独特の造りを観察することができます。

 

 

現地情報

所在地 〒400-0815山梨県甲府市国玉町(地図)
アクセス

酒折駅から徒歩20分

甲府昭和ICまたは一宮御坂ICから車で20分

駐車場 10台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

参道

f:id:hineriman:20191113121111j:plain

境内の入口には、一の鳥居として赤い両部鳥居が立っています。鳥居の前後の柱(稚児柱)には瓦葺の屋根が付いていました。

奥に見える二の鳥居は石製で、稚児柱のない明神鳥居でした。

 

f:id:hineriman:20191113121135j:plain

二の鳥居をくぐると、参道の左手に手水舎(左)と神楽殿(中央)があります。

神楽殿は銅板葺の入母屋で、前後左右に妻があるため棟が十字になっています。全方向が吹き放ち。破風板には懸魚(げぎょ)、虹梁には蟇股(かえるまた)などの意匠が確認でき、神楽殿としては凝った造りをしています。

 

f:id:hineriman:20191113121200j:plain

神楽殿の後ろには社務所があり、壁がショーケースになっていて各種の資料をいつでも自由に見学できます。

中には社殿の造営年や棟梁の名前などが記される棟札(むなふだ)もあります。棟札は附(つけたり)というあつかいで文化財指定されることが珍しくなく、ここまでびっしりと文字が書かれているとなると歴史資料として何かしらの価値がありそうな感じがするのですが、こんな無防備な場所に置いておいていいのかと心配になってしまいます。

 

拝殿・本殿

f:id:hineriman:20191113121236j:plain

拝殿は銅板葺の入母屋(平入)で、向拝は向唐破風(むこう からはふ)となっています。

2004年のものとのことで、屋根の銅板や柱などが真新しいです。

 

f:id:hineriman:20191113121308j:plain

拝殿(左)の裏には本殿(右)があり、拝殿・本殿が切妻の建物(石の間という)でつながれて一体化しています。このような建築様式を権現造(ごんげんづくり)といいます。日光東照宮と同じ様式です。

 

f:id:hineriman:20191113121400j:plain

本殿を左前から見た図。

本殿は銅版葺で、おそらく三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)。“おそらく”と書いたのは、正面側がふさがれていて間口の数が確認できないため、この規模からして三間社だろうと推測しただけで、確証が持てないからです...

正面側の屋根が長く伸びており、屋根を横から見ると「へ」の字を描いています。これは流造(ながれづくり)という様式。案内板(設置者不明)によると様式は“権現流造り”で、本殿の造営は1609年(慶長14年)のようです。

以前の本殿は武田信玄によって建立されたのですが、織田の甲州討伐によって焼失し、江戸時代に徳川家康の命で再建されたのが現在の本殿とのこと。そのため、本殿の大棟には三つ葉葵の紋がついています。

1609年の造営というとそれなりに古い部類に入るのですが、甲府盆地には室町以前の寺社建築が多数あるからなのか、とくに文化財指定はされていません。

 

f:id:hineriman:20191113121651j:plain

左側面の妻壁。

いちおう言っておきますが、右が正面側、左が背面側です。寺社建築に詳しい人はある異常に気づくかもしれないですが、それについては後述します。

本殿の母屋は側面2間で、柱はいずれも円柱。柱の上には出三斗(でみつど)というタイプの組物で梁を持出ししています。持出された梁の下には支輪(しりん)があります。

支輪と頭貫(かしらぬき)の間には蟇股が配置されていますが、左側の蟇股が欠落しており、壁には蟇股の形の日焼け跡が残っています。

ほか、目立つ装飾や彩色はなく、シンプルな印象です。

 

本殿の「背面向拝」

玉諸神社の社殿でもっとも特異かつ特徴的なのが、本殿の背面。本殿の室外に、屋根の軒を支える柱が2本立っています。

f:id:hineriman:20191113121752j:plain

このような柱のついた軒下のことを向拝(こうはい)といい、本来の向拝は正面側の階段を雨から守るためのものです。普通の神社本殿は背面側に階段を設けるようなことはしないので、背面に向拝が付くことはありえません

にもかかわらず背面に向拝がある理由については、案内板(設置者不明)によると

後面の屋根が普通より長いので支えるためですが、この背面から真北の酒折山の山上に玉諸神社の山宮があるので、ここの里宮より山宮を仰ぐ遥拝門であるという説もあります。

とのこと。

 

奇妙な背面向拝についてしっかりと説明してくれたのは非常にありがたいのですが、私としてはこの説明はいまひとつ腑に落ちないところがあります。

まず、屋根を支えるためという説明がなされていますが、この屋根は支えが要るほどではないと思います。とはいえ、建築構造の技術があまり洗練されていない時代だと、この長さの突き出しでも支えが要るかもしれないです。そして時代が下って構造的に不要になったあとも、そのまま残されたという説も考えられます。

次に、遥拝門だという説ですが、地図を見ると山宮との位置関係は納得行くものの、本殿の母屋の背面の中央に円柱が立っていて、遥拝の邪魔になりそうなのが気がかりです。背面中央の円柱が後付けである可能性も思いついたのですが、円柱の材質や上に乗っている組物の経年のぐあいを見る限り、この可能性はなさそうです。

よって私は前者の「往時は屋根の支えが必要で、それがそのまま残された」説を支持したいと思います。しかしこの説が正しかった場合、「なぜ背面の軒をわざわざ長くしたのか?」という疑問が出てきますね...

これ以上の考察は文献での調査が必要な上、底なし沼にはまりそうなので止めにしておきます。

 

f:id:hineriman:20191113122014j:plain

向拝の柱と本殿は海老虹梁(えびこうりょう)という湾曲した梁でつなげられています。向拝の柱の側面に突き出した木鼻には、唐獅子の彫刻が施されています。

唐獅子の上のほうで垂木を受けている赤い桁は、屋根の端から端まではカバーできておらず、本当に屋根の軒の支えとして機能しているのか少々疑問です...

 

社殿については以上。

甲府盆地の神社本殿は個性派が多いですが、その中でも玉諸神社の本殿は特に個性が際立っていて、神社建築に興味があるならば必見といっていい好物件です。

また、前述したように甲斐国三宮でありアクセスも良好ですので、この点でもお薦めできます。

 

以上、玉諸神社でした。

(訪問日2019/02/23,11/09)