甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【甲府市】玉諸神社

今回は山梨県甲府市の玉諸神社(たまもろ-)について。

 

玉諸神社は甲府市街東部の住宅地の中に鎮座する甲斐国三宮です。

創建は不明。社伝によると当初は酒折宮の北の山中にあり、ヤマトタケルが東征の帰りに当地で杉の木を植えたため、後年、当地に遷座して社殿を造営したらしいです。創建に関する史料は残っておらず、創建後から中世にかけての沿革は不明。平安時代の『延喜式』に「玉諸神社」の記載がありますが、甲州市にも同名の神社があるため、式内論社にとどまっています。室町時代には武田氏によって社殿が造営されたようですが、1582年の武田氏滅亡時に焼失しています。江戸時代には徳川氏の崇敬を受け、1609年(慶長十四年)に社殿が再建されました。

現在の境内は江戸初期以降のもの。拝殿と本殿は一体化され広義の権現造となっているだけでなく、本殿背面には庇がついていて、独特な構造をしています。

 

現地情報

所在地 〒400-0815山梨県甲府市国玉町(地図)
アクセス 酒折駅から徒歩20分
甲府昭和ICまたは一宮御坂ICから車で20分
駐車場 10台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

鳥居と神楽殿

玉諸神社の境内は南向き。入口は閑静な住宅地の生活道路に面しています。

右手前の社号標は「玉諸神社」。

 

入口には二の鳥居。一の鳥居は境内南700メートルほどの位置にあったらしいですが、現存しません。

二の鳥居は木造両部鳥居で、案内板(設置者不明)によると1713年の再建。

前後の柱(稚児柱)には瓦葺の屋根が付き、扁額はなく額束が使われています。

 

三の鳥居は石造明神鳥居。扁額は「玉諸神社」。

 

参道左手、境内西側には手水舎(左手前)と神楽殿があります。

手水舎は、切妻、銅板葺。

 

神楽殿は、入母屋、正面背面千鳥破風付、銅板葺。

破風板の拝みには雲状の懸魚が下がり、破風には木連格子が張られています。ほかの面の破風も同様の構造です。

 

柱は几帳面取り角柱が使われ、柱間は飛貫虹梁、頭貫、台輪でつながれています。

飛貫虹梁は菊水の絵様が彫られ、中備えは蟇股。

頭貫には象鼻がついています。

柱上の組物は出組。台輪の上の中備えには、平三斗が使われています。

 

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神楽殿の近くには社務所。

ショーケースが設けられ、社記や棟札などの資料が展示されています。

 

拝殿と幣殿

参道の先には拝殿が南面しています。

入母屋、向拝1間 向唐破風、銅板葺。

2004年造営。

向拝にかけられた白い垂れ幕の紋は、丸に三つ引き。

 

向拝の正面の軒下。

唐破風の拝みには、猪目懸魚が下がっています。

唐破風の小壁の飾りは、笈形付き大瓶束。

 

向かって右の向拝柱。

向拝柱は几帳面取り角柱。正面と側面に象鼻がついています。

柱上の組物は出三斗。

向拝柱と母屋のあいだは、まっすぐな繋ぎ虹梁がかかっています。

 

右側面(東面)。

向唐破風の向拝は、母屋の軒下から伸びています。

母屋正面の建具は引き戸。側面は白壁と窓。

縁側は正面と両側面の3面にまわされています。

 

母屋柱は面取り角柱。柱間は、長押、貫、台輪でつながれています。

柱上の組物は出三斗と平三斗。中備えはありません。

 

破風板の拝みには、鰭付きの蕪懸魚。鰭は波の意匠。

奥の妻面には格子が張られています。

 

拝殿後方には幣殿と思われる社殿(写真中央の低い屋根)がつづき、後方の本殿(写真右奥)につながっています。

拝殿と本殿の2棟が、切妻(妻入)の幣殿でつながれているため、この社殿は広義の権現造と言っていいでしょう*1

 

本殿

幣殿の後方には、透塀に囲われた本殿が鎮座しています。祭神は大国主。

桁行正面3間?・背面2間・梁間2間、三間社流造?、背面向拝1間、銅板葺。

案内板(設置者不明)によると1609年(慶長十四年)再建で、徳川家康の命を受けた大久保長安によって造られたとのこと。

規模・様式ともに三宮にふさわしい立派な本殿ですが、文化財指定はとくにないようで、江戸初期の再建時の様式がどこまで残されているのかは不明です。

 

母屋側面は2間。柱間は、前方は舞良戸、後方は横板壁です。

 

母屋柱は円柱が使われ、柱間は貫と長押で固められています。頭貫には禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は出組。

頭貫の上の中備えは蟇股。内側には花の彫刻が入っています。

 

組物の上には無地の妻虹梁がわたされ、妻飾りに豕扠首が使われています。

破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。

 

左側面(西面)。

こちらも側面2間ですが、柱間は横板壁です。

細部意匠も反対側と同様ですが、後方(写真左)の蟇股が欠損していて影だけ残っています。甲信地方ではこのように中備えに巻斗を浮かせて配置する意匠がある*2ため、蟇股の影が残っていなかったら、もともとこのような意匠だったと勘ちがいしてしまいそうです。

 

右後方から見た図。

母屋の背面は2間で、軒先に向拝がついています。

背面に向拝がついた神社本殿は非常にめずらしく、松尾大社本殿(京都市)のような両流造のものを除くと、私の知る範囲ではほかに例がありません。

 

背面の向拝は1間。

向拝柱は、本殿を囲う透塀と一体化していて、透塀の土台部分に立てられています。後補の部材のようにも見えますが、背面向拝が当初からあったものなのか否かは不明。

 

向拝柱は面取り角柱。江戸初期のものにしては、面取りの幅(C面)が小さく感じます。

柱の側面には唐獅子の木鼻。

柱上には小ぶりな出三斗が置かれ、実肘木を介して軒桁を受けています。

軒桁の端部には、禅宗様木鼻のような繰型がついています。

 

虹梁は絵様が彫られ、眉欠きの部分の下面には錫杖彫があります。

中備えは蟇股。題材はよく分かりませんが、彩色されていた跡があります。

 

向拝柱の上では、角ばった形状の手挟が軒裏を受けています。

背面向拝と母屋のあいだには、短い海老虹梁がわたされています。母屋側は、長押の上の微妙な位置に取り付いています。

 

母屋の背面は2間。柱間は横板壁。

頭貫の上の中備えには蟇股がありますが、側面のものとくらべて平板な造形に見えます。

 

なお、背面に向拝がある理由については、案内板(設置者不明)によると“後面の屋根が普通より長いので支えるため”という説と、“背面から真北の酒折山の山上に玉諸神社の山宮があるので、ここの里宮より山宮を仰ぐ遥拝門であるという説”とがあるらしいです。

 

以上、玉諸神社でした。

(訪問日2019/11/09,2024/04/06)

*1:当サイトでは、久能山東照宮北野天満宮のように本殿部分が入母屋のものを正式な権現造とし、玉諸神社のように本殿部分が入母屋以外の様式のものは「広義の権現造」と呼んでいる

*2:武田八幡宮本殿(韮崎市)、西光寺阿弥陀堂(長野県上田市)など