今回は東京都新宿区の穴八幡宮(あな はちまんぐう)について。
穴八幡宮は早稲田の市街地に鎮座しています。
創建は社伝によると1062年(康平五年)で、源義家が当地に八幡神を祀ったのが始まりとのこと。当初は高田八幡宮と呼ばれていましたが、1641年に当社の境内の横穴から神像が見つかったことから穴八幡宮と呼ばれるようになりました。徳川家光によって幕府の祈願所とされ、歴代将軍や庶民の崇敬を受けました。太平洋戦争では、ほとんどの社殿を焼失しています。
現在の境内は戦後に整備されたもので、古書の図に基づいて再建中とのこと。随神門は古風な様式を再現した外観で再建されています。
現地情報
所在地 | 〒162-0051東京都新宿区西早稲田2-1-11(地図) |
アクセス | 早稲田駅から徒歩5分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | 牛込高田鎮座 穴八幡宮 |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
穴八幡宮の境内は東向き。境内周辺は丘のような地形で、古墳の上にあるようです。
入口の鳥居は赤い明神鳥居。銅板の屋根がついています。
鳥居の左には「高田馬場の流鏑馬」の像。
当社では現在も流鏑馬が行われ、区の無形民俗文化財となっています。
二の鳥居は石造の神明鳥居。笠木は円柱が使われています。
隋神門
参道の階段を昇ると、丹塗りの随神門があります。公式サイトでは、「随神門」ではなく「隋神門」と表記されています。
三間一戸、楼門、入母屋、銅板葺。
1998年再建。清水建設の施工。なお、当初の隋神門(戦災で焼失)は、清水建設の創業者である清水喜助による造営だったようです。
頭貫や蟇股に彫刻が入り、安土桃山から江戸初期の作風が再現されています。
下層中央の柱間。
柱は円柱。木鼻は唐獅子の彫刻。
頭貫の上の中備えは蟇股。はらわたの彫刻は唐獅子。
柱上の組物は三手先。
向かって左側。
正面側面ともに、木鼻は唐獅子、中備えは蟇股。
上層。扁額は「光■門」(※■部は判読できず)。
正面は3間。柱間は、中央が板戸、左右は緑色の連子窓。
軒裏は二軒繁垂木。
頭貫には拳鼻がつき、中備えは間斗束。
組物は和様の尾垂木三手先。持出された桁の下には、軒支輪と格子の小天井があります。
縁側は切目縁で、欄干は跳高欄。
上層側面。
軒下の意匠は正面と同様。
背面。
上層下層ともに正面とほぼ同じ造りで、前後対称となっています。
屋根の入母屋破風。
破風板の拝みは猪目懸魚、妻飾りは豕扠首。
鼓楼と手水舎
参道左手には鼓楼。
入母屋、銅板葺。下層は袴腰。
上層。正面側面ともに2間。
柱間は連子窓、頭貫は拳鼻。組物は尾垂木三手先、中備えは間斗束。
下層の袴腰。
各所に飾り金具が使われ、重厚な趣。
上層と下層の境界部分には、花の彫刻が入っています。
参道右手には手水舎が2つ並んでいます。
写真右の手水舎は、切妻、正面軒唐破風付、銅板葺。主柱に2本の控え柱が添えられ、つごう12本もの柱が使われています。
写真左の手水舎は、切妻、銅板葺。
蟇股には、竜や亀の彫刻が入っています。
拝殿
参道の先には拝殿。
RC造、入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間 正面軒唐破風付、銅板葺。
戦後の再建。
向拝柱は几帳面取り。正面側面には拳鼻。
組物は、連三斗を発展させて5つの斗を並べたもの。
虹梁中備えの蟇股は、竜の彫刻。
唐破風の小壁にも蟇股。こちらは松に3羽の鳩が彫られ、めずらしい題材だと思います。
拝殿の後方には、本殿に相当する社殿がありますが、工事中の模様。
こちらは境内案内板に掲載されていた古図。出展元の『江戸名所図会』は1830年代の刊行ですが、案内板のキャプションによるとこの図は寛永年間(1634-1644)の当社境内の図とのこと。
この図に描かれた拝殿と本殿(図中では「本社」と書かれている)は、幣殿で連結された権現造となっています。なお本殿は入母屋ではなく流造のため、正式な権現造ではなく、亜種・変種の権現造といったところでしょうか*1。
また、拝殿向かって左(写真中央下)には「本地堂」なる堂があります。これは、明治時代に破却されたものと思われます。
以上、穴八幡宮でした。
(訪問日2022/08/20)