今回も東京都台東区の浅草寺について。
その1ではアクセス情報および、雷門、宝蔵門、本堂について述べました。
当記事では、国重文の二天門と浅草神社について述べます。
二天門
浅草寺の境内東端の出入口には、二天門(にてんもん)が東面しています。
三間一戸、八脚門、切妻、本瓦葺。
1649年(慶安二年)頃の建立*1。国指定重要文化財。
東京都区内では貴重な江戸初期の建築。当初は、浅草寺境内社の東照宮の随神門だったとのこと。
すぐ近くにある本堂は空襲で焼失していますが、この二天門と後述の浅草神社は被災を免れ現存しています。
正面中央の柱間。扁額は「二天門」。
柱は円柱、柱上は出三斗。
向かって左の柱間。
頭貫に木鼻はありません。
組物のあいだの中備えは間斗束。組物と間斗束は、実肘木ではなく通し肘木を介して軒桁を受けています。
左側面(南面)。
左奥に見えるのは浅草寺本堂。
中央の主柱は棟の近くまで伸び、上端が絞られています。
妻飾りは二重虹梁のような構造。主柱と左右の柱とのあいだに短い虹梁がわたされ、虹梁の上には蟇股。蟇股の上から小さい海老虹梁が伸び、主柱に取り付いています。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚が3つ。
内部。写真右が正面側。
中備えが間斗束で、通し肘木が使われている点は、外側と同様。
内部には2つの梁が並び、切妻の屋根が連続していて、M字型の化粧屋根裏となっています。その1で述べた雷門と似た構造。
背面。
神像を置く台座がない以外は、正面と同じ造り。
浅草神社参道
二天門の近くには、浅草神社(あさくさ-)があります。
浅草神社は、当初は浅草寺の鎮守社でしたが、明治初期の神仏分離令を受けて寺から分離独立しています。
祭神は檜前浜成・竹成(ひのくま の はまなり たけなり)兄弟と、土師真中知(はじ の まなかち)の計3柱。檜前兄弟は、隅田川で仏像を引き上げた漁師。土師真中知は、その仏像を本尊として浅草寺を開いた人物。
浅草神社の境内は南向き。
入口には石造の神明鳥居。右の社号標は「淺草神社」」。
参道右手には神楽殿。
入母屋(妻入)の屋根と低い切妻屋根を組み合わせた構造。屋根葺きは銅板。
手水舎は改修工事中でした。
屋根は切妻、銅板葺。
浅草神社社殿
参道の先には拝殿。
桁行7間・梁間3間、入母屋、向拝3間、本瓦葺。
1649年(慶安二年)頃の造営。「浅草神社 2棟」として国指定重要文化財。
向拝柱は角面取り。江戸初期のもののため、やや大きく面取りされています。
側面には唐獅子の木鼻。
柱上の組物は連三斗。
虹梁の中備えは蟇股。怪鳥の彫刻が入っています。
向拝柱の上では手挟が軒裏を受けています。海老虹梁はありません。
手挟は菊の篭彫り。
母屋柱は面取り角柱。柱間は半蔀戸。
蔀の上の欄間の羽目板には、怪鳥と麒麟が描かれています。
組物は、隅の部分は出三斗、ほかは木鼻付きの平三斗。通し肘木を介して軒桁を受けています。
中備えの蟇股には、花鳥の彫刻が入っています。
こちらは正面向かって右端の柱間のもの。
彫刻の題材は、柑橘類の樹木と、メジロと思しき鳥。
向かって左の側面(西面)。
柱間は3間。軒下の意匠は正面とほぼ同じ。
縁側には、松の描かれた脇障子が立てられています。
拝殿の奥には幣殿と本殿があります。ただし、建物や木立にさえぎられ、細部の観察は不可能。
本殿はいちおうの姿かたちだけは見えます。拝殿と本殿のあいだにある幣殿については、まったく見えません。
幣殿は、梁間1間・桁行3間、前面入母屋、背面は本殿に接続、銅板葺*2。
本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、銅板葺。
どちらも拝殿と同じく1649年頃の造営。「本殿及び幣殿」の名目で1棟とし、拝殿とあわせて「浅草神社 2棟」として国重文となっています。
手前から拝殿、幣殿、本殿の順で並び、幣殿と本殿が連結されて1棟になっている点は権現造に似ています。しかし拝殿と幣殿がつながっておらず、別棟になっているようなので、この社殿は権現造とは言えないでしょう。
被官稲荷社
浅草神社の裏手(北東)には、被官稲荷社(ひかん いなりしゃ)があります。
1854年(安政元年)に町火消の新門辰五郎という人物が、伏見稲荷大社から勧請したもの。
参道を数メートル進むと社殿があります。
手前の鳥居は新門辰五郎の寄進とのこと。
奥に見える本殿覆い屋は大正時代の造営のようです*3。
覆い屋の妻飾り。
虹梁の下には、名称不明の意匠が2つ並んでいます。
虹梁の上には、豕扠首と大瓶束を組合わせた意匠があり、棟木を受けています。
破風板の拝みと桁隠しには、雲の意匠の懸魚。
本殿は、一間社流造、杉皮葺。
創建当初(1854年)の造営とのこと。
祭神はウカノミタマなどの稲荷神。
向拝には見返り唐獅子の木鼻や、篭彫りの持ち送りがついています。
くれ縁が3面にまわされ、背面側には脇障子が立てられています。縁の下は腰組。
組物は二手先。妻飾りは円柱の束。
屋根は、杉皮というめずらしい素材で葺かれています。こけら葺の一種といったところでしょうか。
大正時代に覆い屋がかけられたらしいため、この屋根は創建当初のものかと思われます。
二天門と浅草神社については以上。