今回は長野県北相木村の諏訪神社(すわ-)について。
諏訪神社は北相木村の中心部の集落に鎮座しています。
境内には4棟の本殿が並立し、中央にある諏訪神社本殿は室町末期の造営のようです。それだけでなく、二間社というやや珍しい様式となっている点も見どころです。
現地情報
所在地 | 〒384-1201長野県南佐久郡北相木村宮ノ平2244-1(地図) |
アクセス | 八千穂高原ICから車で20分 |
駐車場 | 2台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と鳥居
諏訪神社の境内は南向きで、入口は車道に面しています。
鳥居は木製の両部鳥居で、扁額は「正一位諏訪大明神」。
諏訪神社本殿
鳥居をくぐって石段を登った先には4棟の本殿が鎮座しています。
中央にある最も大きい社殿が諏訪神社の主祭神が祀られた本殿のようで、案内板(設置者不明)によると諏訪大明神(タケミナカタ)と浅間大明神(コノハナノサクヤ)が祭神とのこと。棟札によると1568年(永禄11年)の造営のようです。
建築様式は銅板葺の二間社流造(にけんしゃ ながれづくり)、向拝1間。
屋根には外削ぎの千木と3本の鰹木。縁側は左右にまわされていて欄干なし。
正面には2組の扉がついており、どちらか一方は諏訪、もう一方は浅間が祀られているのでしょう。
このように正面に扉が2組設けられ、柱間が2つある社殿を二間社といい、二間社は一間社や三間社とくらべて数が少ないため貴重です。
佐久地域は意外にも二間社が複数あり、この近くだと新海三社神社(佐久市)の西本殿や諏訪神社(佐久市清川)が二間社です。
写真奥の母屋は円柱が使われているのに対し、中央手前の向拝柱は角柱が使われています。これは寺社建築のセオリー。
向拝柱はエッジがC面取りされており、柱上の組物は出三斗(でみつど)というタイプ。写真左側についている木鼻はやや古風な造形の象鼻で、案内板によると下記のとおり。
諏訪神社の向拝(おがむ所)の柱にある象の形をした木鼻は未完成のもので、象の形になりきっていない. この点が室町時代中期の様式の残っている点である.
なお、“未完成”とありますがこの本殿が未完成だというわけではなく、木鼻の造形がまだ発展しきっていない時代のものだという意味で“未完成”と言っているのだと思います。
ちなみに、新海三社神社の東本殿(重要文化財)はこの本殿とほぼ同時代のもので、こちらでも発展途上の造形の象鼻が見られます。
母屋の頭貫の木鼻は、うず巻き模様がついた拳鼻(こぶしはな)。柱上には拳鼻のついた組物がありますが、梁や桁は持出しされておらず柱の軸上にあります。
母屋柱と向拝柱をつなぐ海老虹梁(えびこうりょう)は、頭貫ではなく組物の高さから出ています。
流造なので正面側の屋根は長く伸びていて、破風板は「へ」の字のシルエット。
破風板からは懸魚(げぎょ)が垂れていて、桁の木口を隠しています。
屋根は、案内板にはこけら葺と書かれていますが、実際は銅板葺。おそらく案内板の設置後、補修工事でこけらの上に銅板を葺いたのでしょう。
妻壁の柱上にわたされた虹梁(こうりょう)はうず巻き模様がついており、緩やかにカーブして中央が高くなった形状。虹梁の上では拳鼻のついた大瓶束(たいへいづか)が棟を受けています。
室町期の本殿なので壁面や脇障子などにも彫刻のような装飾はありません。
背面は3本の円柱で構成されており、正面と同様に柱間が2つあります。
見切れてしまっていますが、円柱の床下は四角柱になっていました。この四角柱の部分は後の時代の補修によるものに見えます。
摂社
つづいて諏訪神社本殿の左右にある摂社。こちらは本殿の右隣にあるもの。
板葺の一間社流造。母屋柱には円柱が使われていますが、木鼻の造形が簡易的になっていて本殿より格下の造りです。
側面から見ると向拝の上まで妻壁になっており、標準的な流造とは明らかにちがった構造をしています。
なぜこんな妙な構造になったのかは不明。
こちらは諏訪神社本殿の2つ右にある摂社。
こけら葺の一間社流造。向拝柱の木鼻はしっかりと唐獅子と象の形になっており、造形からして明らかに諏訪神社本殿よりも後の時代のもの。
最後に諏訪神社本殿の左隣にある摂社。
銅板葺の一間社流造。
向拝柱の木鼻は、象の形になりきっていない象鼻。とはいえ、鼻のようなものが伸びていてかなり象に近い造形です。
木材が比較的きれいな状態なのであまり古いものには見えないですが、木鼻の造形からしてやや古風な造りです。
以上、諏訪神社でした。
(訪問日2020/02/23)