甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【松本市】諏訪神社(今井)

今回は松本市今井(いまい)の諏訪神社(すわ-)について。

 

諏訪神社(今井)は松本市西部の住宅地に鎮座しています。

創建は不明。一説によれば奈良時代とのこと。境内には諏訪神社のほか八坂神社と八幡神社も祀られ、本殿3棟と神楽殿が国登録有形文化財となっています。また、境内には木曽義仲に仕えた武将・今井兼平にまつわる石碑が置かれています。

 

現地情報

所在地 〒390-1131長野県松本市今井2969-3(地図)
アクセス 広丘駅から徒歩50分
塩尻北ICから車で10分
駐車場 10台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

神楽殿と拝殿

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諏訪神社(今井)の境内は東向き。社号標は「村社 諏訪神社」。

鳥居は木造の明神鳥居。唐破風の庇の下に扁額があり、「諏訪神社」と書かれています。

 

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鳥居の先には神楽殿が鎮座しています。向こうに見えるのは拝殿。

鳥居、神楽殿、拝殿・本殿が一直線に並んでおり、これは松本近辺でよく見られる社殿配置。

神楽殿は入母屋(平入)、桟瓦葺。

1860年(万延元年)の再建。「下今井諏訪神社神楽殿」という名称で国登録有形文化財*1

 

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柱は正面中央の2本だけが円柱で、ほかは角柱。ちょっと変わった柱の使い分けをしています。

内部には棹縁天井が張られています。軒先は一重のまばら垂木ですが、腕木と桁によって支えられています。

 

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正面の虹梁には唐草が彫られ、虹梁の上には白い竜の彫刻が置かれています。

 

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拝殿は入母屋(平入)、向拝1間、桟瓦葺。

 

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向拝柱は几帳面取りの角柱。虹梁には唐草が彫られ、中備えは蟇股、両端は象鼻が使われています。

 

八坂神社本殿

拝殿の後方には3棟の本殿が塀に囲われて並立しています。

3棟いずれも、神楽殿と同様に国登録有形文化財となっています。

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まずは向かって左手にある八坂神社本殿。登録上の名称は「下今井諏訪神社八坂社」。

一間社流造、銅板葺。

1851年(嘉永四年)の造営。祭神は牛頭天王。

 

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虹梁には唐草が立体的に彫られ、中備えには網が張られて見づらいですが大きな龍の彫刻があります。向拝柱の木鼻は正面が唐獅子、側面が獏(あるいは象?)。

向拝柱と母屋は大きく湾曲した海老虹梁でつながれています。

 

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左後方から見た図。

縁側は切目縁が3面にまわされています。欄干は擬宝珠付き。背面側は脇障子でふさがれています。

頭貫は長押よりもかなり高い位置に通っており、木鼻は雲状の拳鼻が使われています。

 

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母屋柱の柱上の組物は出組。

妻虹梁は一手先に持出され、その上では笈形付き大瓶束が棟を受けています。

 

八幡神社本殿

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つづいて向かって右手にある八幡神社本殿。登録名は「下今井諏訪神社八幡社」。

一間社流造、銅板葺。

1790年(寛政二年)の造営。祭神は不明ですが、誉田別命などの八幡神とみてまちがいないでしょう。

 

虹梁には唐草が立体的に彫られ、中備えには鶴らしき彫刻が見えます。

向拝柱の木鼻は正面が唐獅子、側面が獏。

向拝柱と母屋は海老虹梁でつながれており、軒裏を受ける手挟は波の意匠。

 

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右後方から見た図。

縁側は切目縁が4面にまわされており、脇障子はありません。欄干は擬宝珠付き。

頭貫には唐草が彫られ、木鼻は拳鼻。中備えには、雲と竜が彫られています。

 

諏訪神社本殿

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3棟の中央に鎮座しているのが、主祭神である諏訪神社本殿。登録名は「下今井諏訪神社諏訪社」。

一間社流造、銅板葺。

造営年は1750年(寛延三年)。棟梁は“諏訪郡東住渡辺氏綱政”とのことで、諏訪なら大隅流の可能性があると思って調べてみたのですが、それらしき情報はヒットせず。

祭神はタケミナカタや事代主などの諏訪神。

 

かなり見づらいですが、虹梁には唐草が彫られ、中備えはシンプルな蟇股、木鼻は象鼻が使われています。3棟の中でいちばん古いものだからなのか、装飾や彫刻は控えめです。

 

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左側面。

縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き、脇障子はなし。

頭貫の木鼻は象鼻、中備えは蟇股で、鼠と思しき彫刻が入っています。

このアングルでは見えないですが、妻飾りは豕扠首でした。

 

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背面。

こちらも頭貫の上に蟇股がありますが、題材がよく解らず。

 

今井四郎兼平形見石

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3棟の本殿の右手には「今井四郎兼平形見石」なる石碑が安置されています。

今井兼平は源義仲(木曽義仲)の重臣として仕えた武将。源平合戦(粟津の戦い)で主君の後を追って自害していて、その最期は『平家物語』でも忠臣の鑑として語られています。

 

この石碑については近辺の林から発掘されたもので、案内板(今井の文化を学ぶ会)によると“製作年代など、詳らかでない”とのこと。

ほか、これといった説明もないので、目的も由緒も不明で今井兼平の名前が刻まれているだけの石...というのが率直なところ。

 

以上、諏訪神社(今井)でした。

(訪問日2020/09/28)

*1:2022年登録