今回は長野県朝日村の五社神社(ごしゃ-)について。
五社神社は村南部の西洗馬地区の山際に鎮座しています。
創建は寛永年間(1624-1644)。当初は諏訪大社下社を勧請した諏訪神社だったようです。1878年に近在の神社が合祀され、そのときに現在の社名になったと思われます。
現在の境内は江戸中期以降のもので、本殿は諏訪の宮大工の作です。また、由緒は不明ですが、社宝に奈良時代のものとされる鉄鐸があるようです。
現地情報
所在地 | 〒390-1101長野県東筑摩郡朝日村西洗馬1704(地図) |
アクセス | 塩尻北ICまたは塩尻南ICから車で20分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
拝殿
五社神社の境内は東向き。すぐ南に山があるため、境内は昼間でも薄暗いです。
入口の鳥居は木造の明神鳥居。扁額は「五社大明神」。
参道左手には手水舎。山の湧水を、竹の樋でひいています。
たしかに手水舎ですが、どちらかというと東屋のような外観。
参道右手には神楽殿と思しき社殿。
切妻、鉄板葺。
拝殿は、入母屋、向拝1間、銅板葺。
拝殿の大棟には5つの紋が描かれています。社名のとおり、5つの神社が合祀されているのでしょう。
紋は左から、橘、上り藤、五三の桐、三つ巴、諏訪梶。
当社の祭神は、金山彦などの南宮明神、天香山命などの弥彦明神、ニニギとのこと。紋や創建の経緯から察するに、タケミナカタ(諏訪明神)も祀られているはずです。あとの1柱は不明。
向拝柱は糸面取りで、軒裏まで伸びています。
虹梁に中備えはなく、側面に象鼻が使われています。
母屋柱は角柱。組物はありません。
本殿
拝殿の後方の一段高い区画には、塀に囲われた本殿が鎮座しています。
一間社流造、銅板葺。
1745年(延享二年)造営。
宮大工の棟梁は諏訪郡柴宮(現 岡谷市東堀)の渡辺元右衛門。岡谷市天竜町の津島社宝殿(1755年頃)や、松本市の神田千鹿頭神社本殿(1715年)を造営した人物。大隅流や立川流といった派閥には属していなかったようです。
縁側には随神像が置かれています。
おそらく本来は彩色され玉眼がはめ込まれていたと思われますが、風化によって即身仏のような顔つきになってしまっています。
向拝は1間。
虹梁中備えには蟇股。蟇股には植物と思しき彫刻があります。
蟇股の左右の欄間には、唐草と牡丹と思しき花の彫刻が入っています。半分以上が欠損してしまっているのが惜しまれますが、あまり見かけない独創的でおもしろい意匠だと思います。
向拝柱は、糸面取りされた角柱。柱上の組物は出三斗。
柱の側面には象鼻が付き、巻斗を介して組物を持ち送りしています。象鼻は大仏様木鼻のような平板な造形ですが、象の目や牙などを表現する線が彫られています。
海老虹梁は母屋の手前で急カーブして、頭貫木鼻の上に取り付いています。
母屋柱は円柱。
頭貫には木鼻がついています。
組物は出組。
反対側、左側面(南面)の妻面。
中備えは蟇股、妻飾りは大瓶束、破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
中備えの蟇股。はらわたには鹿と思しき獣の彫刻。
正面や右側面にも、彫刻の入った蟇股がありました。
背面。
こちらは縁側がありません。中備えは蟇股のかわりに間斗束を置き、簡素化されています。
母屋の手前には角材の階段が5段。階段の下には浜床。
縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。背面は脇障子でふさがれています。
以上、五社神社でした。
(訪問日2022/12/07)