今回も長野県大町市の仁科神明宮について。
当記事では中門と本殿などについて述べます。
中門と釣屋

拝殿の後方には、塀に囲われた中門(右)と本殿(左)が鎮座しています。

中門は、四脚門、切妻造、檜皮葺。
1636年(寛永十三年)造営。後述の本殿とあわせて「仁科神明宮」2棟として国宝に指定されています。

正面は1間、側面は2間で、標準的な構造の四脚門です。
柱はいずれも円柱。四脚門は前後の控柱を角柱にすることが多いですが、この門は控柱も円柱です。柱間は貫でつながれ、後方の柱間には腰壁が張られています。
控柱は梁を直接受け、主柱は冠木を介して梁を受けています。梁の上には板蟇股。

破風板は直線的な形状。拝みの近くには、鞭掛が各4本出ています。
千木は先端の木口が水平に近い角度となっており、内削ぎです。長方形に穴が開けられ、穴が千木の先端にかかって二又になっています。
破風板は千木と一体の材で成形されていて、左右の破風板が拝みで交差し、千木部分が屋根をやぶって上へ突き出しています。
大棟は、五角形断面の材が乗っています。

反対側(東側)から見た図。
中門の後方には釣屋がつき、本殿につながっています。釣屋に柱はなく、前後の中門と本殿の屋根で支えられています。
両下造、檜皮葺。正面は中門と接続、背面は本殿と接続。
中門の一部として国宝指定されています。
本殿

中門と釣屋の奥には本殿。祭神は伊勢神宮内宮と同じくアマテラス。
本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社神明造、檜皮葺。
中門と同じく1636年(寛永十三年)造営。「仁科神明宮」2棟として国宝。
現存最古の神明造本殿。
仁科神明宮の本社である伊勢神宮の本殿も神明造ですが、そちらは20年ごとの式年造替で新築しつづけているため、文化財にはなっていません。なお、仁科神明宮もかつては式年造替による新築が行われていて、1376年(永和二年)から現代にいたるまで、20年おきの式年造替がとぎれることなく行われています。ただし、資金の不足により1636年を最後にして本殿の新築は行われなくなり、以降は屋根の葺き替えなどの部分的な補修を「式年造替」とすることで、20年に一度の式年造替を継続しています*1。資金の問題は喜ばしいことではありませんが、式年造替による新築をつづけていたら、この本殿が最古の神明造として国宝指定されることもなかったかと思います。
式年造替の記録については、1376年以降の記録を記した棟札が宝物庫に保管されています。棟札には寄進者と工匠の名前や、工事や神事の日付、費用や予算の使途などが記されています。このように式年造替の記録が詳細に残されている点も、この本殿が国宝として高く評価される要因のひとつです。棟札は計33枚が文化財指定されており、1376年から1856年にかけての27枚は「木造棟札(自永和二年至安政三年)」として国指定重要文化財、明治以降の6枚は「仁科神明宮木造棟札」として市指定有形文化財となっています。
神明造は神社建築の原形とされる建築様式です。
この本殿は江戸前期のものですが、室町前期からの式年造替では古い様式をほとんど変えることなく新築してきており、古来からの神社建築のかたちをよく保っていると考えられます。ただし細部の意匠については室町時代の作風が取り込まれています。

正面の階段。
角材の木階が5段設けられ、その下に小さな浜床があります。欄干は親柱に擬宝珠がついたもので、親柱は上端が絞られた形状です。

正面は3間。中央は板戸、左右は横板壁。
柱は太めの円柱が使われ、柱間に長押を打っています。柱上は舟肘木。

側面は2間。柱間は横板壁で、柱上は舟肘木。
縁側は、くれ縁(床を壁と平行に張る)が前後左右の4面にまわされています。くれ縁よりも切目縁(床を壁と直角に張る)のほうが高格とされますが、この本殿はあえてくれ縁を採用しているようです。
室外には棟持ち柱が立てられ、縁側の床を突き抜けて上へ伸びています。

妻飾りは豕扠首。棟持ち柱の影になっていますが、巻斗と舟肘木を介して棟木を受けています。
母屋柱の上の舟肘木は曲線部分が短めで、これは室町時代あたりのやや新しい時代の作風のようです。


縁の下から伸びる棟持ち柱は、棟木を直接受けています。棟持ち柱は神明造を特徴づける重要な部材ですが、構造的な観点ではあまり強度に寄与していないようです。
屋根は角度が急で、直線的な形状。破風板と千木は一体の材になっており、向かって右側を上にして重ねるのが正式な造りのようです。破風板の千木部分は、屋根をやぶって大棟の上へ突き出していて、中門のものと同様に長方形の穴が開けられ先端が二又となっています。
破風板の拝み付近には、鞭掛が各4本。先端がすぼまった形状に削られています。
大棟は五角形断面の材が使われ、木口が金具でカバーされています。大棟の上には紡錘形の鰹木が6本あります。鰹木の木口には三つ巴が彫られています。

床下。
縁束は円柱が使われ、貫で連結されています。
母屋柱は円柱ですが、床下は成形の手間を省いて八角柱としています。これは室町時代から出現する技法で、神明造以外の神社本殿や寺院建築でも使われます。

東側から見た全体図。
以上、仁科神明宮でした。
(訪問日2025/04/05)
*1:例外として、1856年(安政三年)のつぎが1878年(明治三年)に行われており、ここだけ22年間隔になっている