甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【大町市】仁科神明宮 前編(神門)

今回は長野県大町市の仁科神明宮(にしなしんめいぐう)について。

 

仁科神明宮は市南部の段丘上の宮本集落に鎮座しています。

創建は不明。第10代崇神天皇から第12代景行天皇の代の創建とする説があります。当地は古来より伊勢神宮内宮の領地(御厨)で、仁科氏によって内宮が勧請されたのが当社のはじまりです。鎌倉時代、信濃国に4つあった御厨*1のなかでもとくに長い歴史があるらしく、当時すでに当社の創建は不詳となっていたようです。

史料上では「神宮雑例集」の1048年(永承三年)の記事に当社についての言及があり、遅くとも平安中期には成立していたと考えられます。創建以来、仁科氏の崇敬を受け、20年ごとに本殿を新築する式年造替が滞りなくつづけられており、その記録が詳細に残されています。室町末期に仁科氏が滅びたあとは、小笠原貞慶をはじめとする歴代の松本藩主によって式年造替がつづけられました。桃山時代から幕末まで松本藩の庇護を受けて存続しますが、1636年(寛永十三年)を最後にして本殿の新築は行われなくなり、以降は部分的な補修をもって「式年造替」としています。明治以降は当地の住人や近隣の自治体の援助によって式年造替がつづけられ、現在に至ります。

 

現在の境内や社殿は江戸前期以降に整備されたもの。深い社叢の中に多数の境内社が点在し、最奥部には神明造の本殿が鎮座します。本殿は現存最古の神明造であり、往古の神社建築の様式がよく残されていること、過去の式年造替の記録が詳細に残っていることから、国宝に指定されています。

 

当記事ではアクセス情報および境内社、神門などについて述べます。

中門、本殿については後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒398-0003長野県大町市社宮本1159(地図)
アクセス 安曇沓掛駅から徒歩30分
安曇野ICから車で30分
駐車場 30台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料(宝物収蔵庫は300円)
社務所 あり(1~3月は土日のみ対応)
公式サイト 国宝 仁科神明宮 <長野県大町市、日本最古の神明造>
所要時間 20分程度

 

境内

二の鳥居と境内社

仁科神明宮の境内は南向き。一の鳥居は境内西側の集落の中にあり、集落の奥へ進むと仁科神明宮の入口と駐車場があります。

こちらは境内南側にある二の鳥居で、木造神明鳥居です。

 

二の鳥居向かって右手前には手水舎。

切妻造、銅板葺。

 

目立った装飾のない社殿ですが、破風板の拝みに菊の彫刻があります。

 

二の鳥居をくぐらず、手水舎の脇を通って進むと、境内南東の区画に末社が点在しています。

こちらは南東の隅に西面する都波岐社。祭神はサルタヒコ。

社殿は、見世棚造、一間社神明造、銅板葺。

正面のやや低い位置に見世棚が設けられています。大棟の千木は内削ぎ(先端の切口が水平)で、鰹木は3本あります。

 

都波岐神社の北側には、瘡瘡神社(左)と難胡社(右)が南面しています。祭神は、瘡瘡神社がスサノオ、難胡社が金山彦神。

社殿は両棟とも、見世棚造、切妻造、銅板葺。

 

二の鳥居をくぐり参道右手(東側)へそれると、こちらにも多数の末社が並立しています。

末社は6棟あり、向かって左から、熊野社(イザナミ)、白山社(ククリヒメ)、鹿島社(タケミカヅチ)、春日社(天児屋命)、三島社(オオヤマツミ)、北野社(菅原道真と野見宿禰)。

 

6棟の末社はいずれも同じ様式で、見世棚造、切妻造、銅板葺。

柱は角柱、軒裏は板軒で、棟の飾りもなく簡素な造り。

 

三の鳥居と末社

参道を進むと階段の先に三の鳥居があります。

木造神明鳥居。

 

三の鳥居をくぐると、右手に神楽殿があります。

切妻造、銅板葺。

 

神楽殿の南側には2棟の末社が西面しています。

向かって右は武山社で、祭神は大地主神。

社殿は、見世棚造、切妻造、銅板葺。

 

向かって左は簀社で、祭神は穂高見命*2

社殿は、見世棚造、片流、銅板葺。

寺社建築では非常にめずらしい片流れ屋根で、流れ方向を背面に向けています。

 

神楽殿の反対側、境内西側にも5棟の末社が東面しています。

向かって左から、子安社(コノハナノサクヤビメ)、九頭竜社(地主神)、下諏訪社(事代主)、上諏訪社(タケミナカタ)、下加茂社(賀茂建角身命)。

社殿は5棟とも同じ様式で、見世棚造、切妻造、銅板葺。

 

神門の左右にも末社が南面しています。上の写真は清門向かって左側(西側)。

左から、井戸、上加茂社(賀茂別雷命)、稲荷社(ウカノミタマ)、伊豆社(ヒコホホデ)。

 

神門向かって右側(東側)には八幡社。祭神は誉田別命。

神門の左右の末社も、見世棚造、切妻造、銅板葺です。

 

神門

三の鳥居の先には神門。

四脚門、切妻造、こけら葺。

 

向かって左側(西面)。

柱はいずれも円柱。中央の主柱の上では突き出した冠木が梁を受け、前後の控柱は梁を直接受けて舟肘木で軒桁を受けています。

軒裏は一重まばら垂木。

 

破風板は直線的な形状。拝み付近には鞭掛(4本の棒)が出ています。

大棟には棟覆い板がつき、千木と鰹木があります。千木は内削ぎで、先端が水平に切られています。鰹木は4本あり、木口は三つ巴の紋のようになっています。

 

側面全体図。

側面の柱間は、飛貫と腰貫でつながれています。

前方の柱間は横板壁。後方の柱間は壁がありません。

 

拝殿

神門の先には拝殿。

桁行5間・梁間3間、切妻造、銅板葺。

 

内部は畳敷きになっています。縁側はありません。

正面は5間。柱間は格子戸。

 

柱はいずれも角柱で、柱間に長押が打たれています。柱上は舟肘木。

柱と舟肘木の上には桁が通っていますが、そこから腕木を持ち出し、小天井を張って軒桁を持ち出しています。

 

妻飾りは豕扠首。束が中央の1本だけでは足りないのか、左右にも短い束が立てられています。

破風板には鞭掛、大棟には棟覆い板と千木があり、神明造の意匠を取り入れています。ほか、上の写真には写っていませんが、大棟には鰹木が6本乗っています。

 

側面の柱間は横板壁。

背面の左右の軒下には庇が設けられています。

 

境内社と神門については以上。

後編では中門と本殿について述べます。

*1:ほかの3つは、長野市の長田御厨(長田神社)と藤長御厨(富部御厨と布施御厨をあわせた呼称)、麻績村の麻績御厨(麻績神明宮)

*2:別名は宇都志日金拆命