今回も群馬県太田市の長楽寺について。
当記事では太鼓門、開山堂、宝塔などについて述べます。
太鼓門

三仏堂の脇を通り、道路を横断して西側の区画へ進むと太鼓門が東面しています。
桁行3間・梁間3間、袴腰付、入母屋造、銅瓦葺。
江戸前期の造営。「長楽寺三仏堂及び太鼓門」として県指定文化財。

下層内部。
前方の柱筋に板戸が設けられています。
通路上には天井が張られ、上層の床板を兼ねています。

上層正面。
正面は3間で、中央は火灯窓。左右各1間の壁面には、独特な円い図柄が描かれています。


左側面(南面)。
側面も3間で、こちらの壁面にも丸い図柄があります。
柱は角柱で、隅の柱に舟肘木が使われています。軸部は貫と長押で固められていますが、木鼻や中備えはありません。
縁側は4面にまわされ、袴腰の上に逆蓮の欄干が立てられています。鐘楼の縁側は袴腰の外に張り出すように造ることが多いため、このように縁側が袴腰の上におさまっている例はめずらしいと思います。

入母屋破風には木連格子が張られています。
破風板の拝みには懸魚。


背面。
正面と同様の造りです。
本堂

太鼓門から北へ20メートルほど行くと、道路に面した場所に門が東面しています。
一間一戸、薬医門、切妻造、桟瓦葺。左右袖塀付。

門をくぐって進むと北側に鐘楼があります。
切妻造、銅板葺。

柱は面取り角柱。頭貫に木鼻がつき、柱上は出三斗。
頭貫の上の中備えは板蟇股。

妻面。
妻虹梁は眉欠きだけ彫られたもの。板蟇股で棟木を受けています。
破風板の拝みには猪目懸魚。

境内の北西には本堂が東向きに鎮座しています。本尊の釈迦三尊像は徳川家光の寄進とのこと。
本堂は、入母屋造、向拝1間、本瓦葺。
2005年再建。

向拝柱は大面取り角柱。側面には木鼻があります。
柱上の組物は出三斗。

海老虹梁は絵様のないものが使われています。
中備えは蟇股。唐草状の抽象的な曲線が彫られています。
開山堂

境内の南西には開山堂が東向きに鎮座しています。
入口の門は、一間一戸、薬医門、切妻造、桟瓦葺。左右袖塀付。

開山堂は、桁行3間・梁間4間、宝形造、向拝1間、桟瓦葺。
造営年不明。江戸中期以降のものかと思います。

向拝柱は几帳面取り角柱。正面に唐獅子、側面に象の木鼻がつき、柱上は出三斗。
虹梁は絵様が浮き彫りされています。軒桁の中央部も、虹梁のような眉欠きと絵様があります。

母屋の正面中央は桟唐戸。
中央上部は格狭間ではなく連子が使われているほか、藁座ではなく蝶番で吊るされていて、桟唐戸にしては風変わりな造りです。

桟唐戸の羽目板には植物の彫刻。
彫刻の題材は左端が蓮、その右が沢潟。写真右側は私の知識では特定できず。
桟唐戸の上の虹梁は、若葉の絵様が陰刻されています。

左側面。側面は4間。
母屋柱は角柱で、軸部は貫と長押が使われ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。
組物は出組で、中備えは蟇股。

堂内には当寺を開山した栄朝の像を祀った厨子が安置されています。厨子内には栄朝のほか開基の得川義季の像も祀られているようです。
厨子は、入母屋造(妻入)、正面軒唐破風付、板瓦葺。
扉は桟唐戸が使われ、懸架材や彫刻は極彩色に塗り分けられています。
宝塔(得川家累代墓所・文珠山古墳)

境内の南西端の区画は周囲より一段高く造成され、頂部付近は石塀に囲われています。右手前の標柱は「徳川義季公累代墓」。
これは文珠山古墳という前方後円墳で、古墳の上は得川義季をはじめとする得川家(徳川家)累代の墓所となっています。

墓所の中央には石仏。
外周には宝塔や宝篋印塔が並んでいますが、そのほとんどは破損・欠損しており、完全な状態で保たれているものはわずかです。

南西の隅には案内板が立てられています。
案内板によると、手前の石造宝塔の底面には健治二年(1276年)の銘があり、鎌倉時代の造立とのこと。当寺の第3代住職をつとめた院豪による造立で、院豪は朝廷から「円明仏演禅師」の諡号を贈られた高僧だったようです。
「長楽寺宝塔」1基として国指定重要文化財。


全高は165センチメートル。
頂部の擬宝珠状の石と、屋根の石材とのあいだには相輪があったようですが、欠損してしまっているようです。
造形については、案内板によると“屋根、軒口の切り方、軒反り、瓶型の塔身等に鎌倉時代の特色を良く現わしている優秀な石造宝塔である”とのこと。
以上、長楽寺でした。
(訪問日2025/02/22)