甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【太田市】八坂神社

今回は群馬県太田市の八坂神社(やさか-)について。

 

八坂神社は世良田町の住宅地に鎮座しています。

創建は不明。同地区の普門寺の寺記によると、876年(貞観十八年)の創建らしいです。平安時代から鎌倉時代にかけての沿革は不明。南北朝時代は新田氏と足利氏の崇敬を受け、「新田の天王」と呼ばれました。江戸時代は近隣の村の鎮守として庶民の崇敬を集めました。当社は八坂神社(京都府)の系統の神社ですが、同じ祭神を祀る津島神社(愛知県)が正保年間(1644-1648)に勧請・合祀されています。明治時代には神宮寺が普門寺と合併するかたちで廃寺となり、当社は「八坂神社」として独立しました。

現在の社殿は江戸中期から近現代にかけてのもので、本殿は多数の彫刻が配されています。額殿には、彫刻で飾られた巨大な額が展示されています。

 

現地情報

所在地 〒370-0426群馬県太田市世良田町1497(地図)
アクセス 世良田駅から徒歩10分
太田藪塚ICから車で15分
駐車場 20台(無料)
営業時間 09:00-16:00(※境内は随時)
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 八坂神社
所要時間 15分程度

 

境内

拝殿

八坂神社の境内は南向き。境内入口は住宅地の道路に面しています。

入口には木造両部鳥居。笠木には瓦棒銅板葺の屋根がついています。扁額の字は退色して判読できず。

 

参道左手には手水舎。

入母屋造、桟瓦葺。

 

柱は几帳面取り角柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻がつき、柱上の組物は出三斗。

台輪の上の中備えは蟇股。波状の彫刻が入っています。

内部は格天井。

 

参道の先には拝殿。

入母屋造、向拝1間、軒唐破風付、桟瓦葺。

 

正面の軒唐破風。

破風板の兎毛通は竜の彫刻。

鬼板や鳥襖には三つ巴の紋があります。

 

向拝は1間。

虹梁の上には組物が乗り、その上に短い虹梁がわたされています。短い虹梁の上は、唐破風のかたちに合わせた小壁が張られています。

 

向かって右の向拝柱。

向拝柱は糸面取り角柱。正面に唐獅子、側面に象の木鼻があります。

柱上の組物は連三斗。象の頭の上に皿斗が乗り、連三斗の肘木を受けています。虹梁の上の組物は出三斗で、柱上の連三斗と肘木を共有しています。

 

向拝柱の組物の上は、板状の手挟。手挟には若葉の絵様が彫られています。

海老虹梁は母屋柱の頭貫の位置に取りついています。

 

母屋は正面3間、側面3間。

正面の柱間には半蔀が使われています。訪問時は、蔀を跳ね上げて内部を開放していました。写真右下に見切れているのは半蔀の下半分。

 

縁側は、欄干のない切目縁が正面だけに設けられています。

縁側の中央部を切り欠いて、その部分に階段を設けています。

 

母屋柱は円柱。頭貫には拳鼻。

柱上の組物は出組。

桁下の支輪板には波状の彫刻が入っています。

 

入母屋破風。

破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。鰭は雲の意匠。

 

本殿

拝殿の後方には、板塀に囲われた本殿が鎮座しています。祭神はスサノオ(牛頭天王)。

本殿は、一間社流造、銅板葺。

1756年(宝暦六年)造営。

 

向拝部分。

向拝柱は角柱で、獏と唐獅子の木鼻がついています。

柱上の組物は出三斗と連三斗をかさねたもの。連三斗の肘木には鳳凰の頭の木鼻があります。

赤い海老虹梁の上の欄間には、鳳凰の彫刻が配されています。

破風板の桁隠しには菊の彫刻。

 

母屋は正面側面ともに1間。

柱間は貫と長押で固められ、柱間は横板壁。

 

貫と長押には文様が彫られ、頭貫に唐獅子の木鼻がついています。

頭貫の上の中備えは竜の彫刻。竜の彫刻の上には支輪が配され、支輪のあいだに牡丹らしき花の彫刻があります。その上の支輪板には波の彫刻。

柱上の組物は三手先。竜や蜃の彫刻がついています。

 

妻飾りは二重虹梁。

大虹梁は絵様と眉欠きが彫られたもの。大虹梁の上には組物がのり、組物のあいだに鶴の彫刻があります。

二重虹梁は二手先の組物で持ち出され、下側の支輪板にも波の彫刻があります。

二重虹梁の上には笈形付き大瓶束。笈形は波の意匠で、日が当たりにくい場所にあるためか彩色が保たれています。

破風板の拝みには蕪懸魚。左右の鰭も波の意匠。

 

縁側は4面にまわされ、縁の下は三手先の腰組で支えられています。

腰組の下の欄間には、波間を駆ける麒麟の彫刻があります。

 

向拝部分の床下にも欄間彫刻があります。

写真中央左の彫刻は、獅子の子落とし。中央右の階段の下の彫刻は、牡丹に唐獅子。

階段には昇高欄がつき、下に浜床が張られているのが確認できます。

 

右側面(東面)。

各所の意匠や彫刻の内容は左側面とほぼ同じのため、詳細は割愛。

 

背面。

柱間は横板壁。両側面には脇障子が立てられています。

頭貫に木鼻がつき、中備えに竜の彫刻がある点は側面と同じです。

 

背面の床下。

こちらも麒麟の欄間彫刻があります。

 

額堂など

本殿左側(西側)には神輿をおさめた社殿があります。

軒下には木刀が掲げられ、「安永九歳戌子六月吉日 武州榛澤郡中瀬邑 石川富之助」(安永九年は西暦1780年)の銘が彫られています。神輿の製作年と、製作した工匠の名前かと思います。

 

拝殿の東側には、奉納額をおさめた額殿があります。

 

内部向かって右側には巨大な額が掲げられています。

奉納者名は退色して読めなくなってしまっていますが、額縁には竜の彫刻があり、額受けの部分にも唐獅子の彫刻が入っています。

案内板によるとこの額は明治時代の彫刻師・高橋貴一の作。高橋貴一は“明治の左甚五郎”と呼ばれたほどの高名な彫刻師だったとのこと。

 

額殿の南には神楽殿。

切妻造(妻入)、桟瓦葺。

 

以上、八坂神社でした。

(訪問日2025/02/22)