今回は長野県松本市の千鹿頭神社(ちかとう-)と千鹿頭社について。
千鹿頭神社と千鹿頭社は松本市街東端にある千鹿頭山の尾根に鎮座しています。
創建は不明。古来より諏訪大社とかかわりの深い土着神を祀っています。詳細な年代は不明ですが、遷座や戦災による再建を経て、遅くとも江戸初期には現在地に鎮座していたようです。1618(元和四年)には、千鹿頭山の稜線が諏訪藩(高島藩)領と松本藩領の境界として制定され、諏訪藩領神田村の「千鹿頭神社」と松本藩領林村の「千鹿頭社」の2社に分離されました。江戸中期には、諏訪藩と松本藩の寄進により、現在の本殿2棟が再建されています。
境内は千鹿頭神社(神田)と千鹿頭社(林)の2社が並立しています。本殿や拝殿が2棟並立しているだけでなく、鳥居や参道も2つあり、独特な構成の境内となっています。本殿2棟と千鹿頭社拝殿の計3棟が市の文化財となっているほか、両社が合同で行う御柱祭が市の無形文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 神田:〒390-0221長野県松本市里山辺1-5203(地図) 林 :〒390-0221長野県松本市里山辺1-16-1(地図) |
アクセス | 松本駅から徒歩50分 松本ICから車で20分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 30分程度 |
境内
鳥居(神田)
千鹿頭神社と千鹿頭社は、それぞれ独立した参道と鳥居があります。
こちらは境内の南西にある鳥居で、千鹿頭神社(神田)の参道です。
境内入口は住宅地に面していて、池のほとりに駐車場が設けられています。
鳥居は朱塗りの木造両部鳥居。扁額は「千鹿頭神社」。
額縁に竜の彫刻があります。額の上には唐破風の庇が設けられ、軒下には雲状の彫刻や虹梁が使われています。
鳥居から後述の拝殿までは上り坂の参道となっていて、片道で徒歩5分ほどかかります。
鳥居(林)
もうひとつの鳥居は境内の北東にあります。こちらは千鹿頭社(林)の参道。
境内入口は農地に面していて、こちらにも駐車場が設けられています。
入口には素木の両部鳥居が立ち、扁額は「千鹿頭神社」。千鹿頭神社(神田)の鳥居と対照的な色です。
向かって右の社号標は「郷社」とだけ彫られていて、社名の表記がありませんでした。
こちらの鳥居から参道をのぼっても、拝殿まで徒歩5分ほどかかります。神田、林、どちらの鳥居から入っても所要時間や距離は大差ありません。
参道を進み、千鹿頭山の尾根に到着すると、千鹿頭神社(神田)および千鹿頭社(林)の社殿があらわれます。社殿はいずれも北向き。
社殿の手前には御柱が立てられています。向かって右が一の柱で、神田地区が立てたもの。左が二の柱で、林地区が立てたものです。
拝殿(神田)
4棟ある社殿のうち、いちばん前(北)に鎮座しているのが千鹿頭神社(神田)拝殿。
入母屋造、銅板葺。
年代不明ですが千鹿頭社(林)拝殿よりも新しいもののようで、江戸後期のものと思われます。
柱はいずれも角柱。組物や中備えといった意匠はありません。
柱間は3間。中央は格子の引き戸、左右は格子の窓。
軒裏は一重まばら垂木。
側面の入母屋破風。木連格子が張られています。
破風板の拝みには蕪懸魚。若葉の意匠の鰭がついています。
拝殿(林)
千鹿頭神社(神田)拝殿の斜め後方には、千鹿頭社(林)拝殿。
寄棟造、茅葺。
市指定文化財*1。
棟札より1811年(文化八年)の造営。原野村(現在の木曽町日義)の田矢喜八と永渡庄助なる大工の作とのこと。*2
正面中央の柱間。
柱は角柱。中央の柱間には虹梁がかかり、その上には篆書体の「林」の字があしらわれています。
正面向かって左。
柱上の桁を伸ばし、軒桁を持ち出して天井を張ることで軒先を受けています。
背面。
こちらは虹梁の上に梶の葉の紋があり、諏訪大社の系統の神社であることがわかります。
本殿(神田)
2棟の拝殿の後方には、2棟の本殿が並立して鎮座しています。
向かって右側(西)が千鹿頭神社(神田)本殿、左側(東)が千鹿頭社(林)本殿。
本殿の様式はどちらも一間社流造で、構造や規模もほぼ同一となっています。
向かって右側の千鹿頭神社(神田)本殿。
一間社流造、銅板葺。
市指定文化財。
1715年(正徳四年)造営。神田地区は諏訪藩領のため、藩主・諏訪忠虎の寄進で造られました。
工匠は柴宮村(岡谷市長地)の渡辺元右衛門。渡辺元右衛門は諏訪の大隅流に属する宮大工で、朝日村の五社神社本殿(1745年)や岡谷市の津島神社本殿(1755年頃)の造営も手がけています。
正面には階段が5段設けられ、階段の下には浜床が張られています。
虹梁中備えは蟇股。
向拝柱は面取り角柱。柱上は連三斗。
向拝柱の側面には象鼻がつき、巻斗を介して連三斗を支えています。
向拝柱(写真右端)の組物の上からは海老虹梁が出ていて、海老虹梁は母屋柱(写真左)の組物の肘木の位置に取りついています。
母屋は正面側面ともに1間。
正面の柱間は格子戸、側面は横板壁です。
縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干は跳高欄。
母屋正面の格子戸の上の蟇股。
社名にちなんだのか、「鹿に紅葉」の彫刻が入っています。
左側面。
母屋柱は円柱で、上端が絞られています。
軸部は貫と長押でつながれ、頭貫に木鼻があります。
柱上の組物は出三斗。中備えは撥束。
妻飾りは大瓶束。
背面。
柱間は横板壁で、中備えは側面と同じく撥束です。
本殿(林)
向かって左側が千鹿頭社(林)本殿。
一間社流造、銅板葺。
市指定文化財。
棟札より、1740年(元文五年)造営。林地区は松本藩領のため、藩主・戸田光雄の寄進で造られました。
棟梁は下横田町(松本市横田)の中根弥七。中根弥七は同市の牛伏寺仁王門(1726年)の造営時の棟札にも名前があり、案内板*3によるとこの本殿と牛伏寺仁王門とで蟇股の造形が似かよっているとのこと。
正面には階段が5段設けられ、その下に浜床が張られています。
向拝は1間。
向拝柱は面取り角柱。正面に唐獅子、側面に象の木鼻があります。
柱上は出三斗。
虹梁中備えは蟇股。
「林」の字が彫られています。
(参考:牛伏寺仁王門の蟇股)
案内板によると蟇股は牛伏寺仁王門のものと酷似しているらしいので、比較のため仁王門の蟇股(下層正面向かって左側のもの)の画像を掲載します。
左右に伸びた脚の長さや外側の輪郭は大きく異なりますが、中央部の高さのバランスや、繰りぬいた内側の輪郭のぎざぎざした火灯状曲線は似ていると思います。
向拝柱の組物の上では、板状の手挟が軒裏を受けています。
海老虹梁は、向拝柱の虹梁や木鼻と同じ高さから出て、大きく湾曲して母屋の頭貫の位置に取りついています。
母屋は正面側面ともに1間。
正面は格子戸、側面は横板壁。
縁側には跳高欄が立てられています。
母屋正面の扉の上の蟇股。
梶の葉の紋が浮き彫りになっています。
右側面。
母屋柱は円柱で、上端が絞られています。軸部は貫と長押で固められ、頭貫に木鼻がついています。
柱上は出三斗。中備えは蟇股で、こちらは「頭」の字が彫られています。反対側(左側面)の蟇股は「千」の字が彫られていました。
妻飾りは笈形付き大瓶束。
背面。柱間は横板壁。
中備えの蟇股には「鹿」の字。両側面と背面で「千鹿頭」の3文字が揃います。
境内社
千鹿頭社(林)本殿の左隣には名称不明の境内社が北面しています。
一間社流造、鉄板葺。
千鹿頭神社(神田)本殿の右手前にも境内社が東面しています。
見世棚造、二間社流造、向拝1間、銅板葺。
本殿の後方(南側)にも御柱が立てられています。
写真右が三の柱、左が四の柱。
本殿の後方30メートルほどの位置には後宮という境内社2棟が北面しています。
おそらく向かって右の木造の社殿が神田地区のもの、左の石祠が林地区のものと思われます。
案内板*4によると当初は服神社(はてがみしゃ)という独立した神社で、年代不明ですが千鹿頭神社の境内社となったとのこと。そして江戸時代に千鹿頭神社が2社に分離したことで、この後宮も2棟になったようです。
以上、千鹿頭神社と千鹿頭社でした。
(訪問日2025/02/15)