今回は福島県会津坂下町の恵隆寺(えりゅうじ)について。
恵隆寺は町西部の田園地帯の集落に鎮座する真言宗豊山派の寺院です。山号は金塔山。通称は立木観音(たちき かんのん)。
創建の年代や経緯は諸説ありますが不明。伝承によると540年に梁の渡来僧・青岩によって草庵が開かれ、恵隆という僧侶によって現在の寺号となりましたが、慧日寺(磐梯町)との抗争で荒廃したらしいです。また、空海が本尊の観音像を彫り、808年に坂上田村麻呂によって再興されたという説も伝わっています。寺伝では建久年間(1190~1199)の創建とされ、現在の観音堂と観音像も鎌倉時代の建立であるため、遅くとも鎌倉初期には確立されていたようです。1611年には会津地震で境内伽藍が倒壊しましたが、観音堂は1617年(元和三年)に修復されています。
現在の主要な伽藍は仁王門と観音堂の2棟があり、両者とも江戸初期の再建で、観音堂が国の重要文化財に指定されています。観音堂には本尊の観音像(立木観音)のほか多数の仏像が安置されており、立木観音は一木造りの仏像として日本最大級であることから、こちらも重要文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒969-6584福島県河沼郡会津坂下町塔寺松原2944(地図) |
アクセス | 塔寺駅から徒歩20分 会津坂下ICから車で5分 |
駐車場 | 30台(無料) |
営業時間 | 境内は随時、堂内拝観は09:00-16:00 |
入場料 | 境内は無料、堂内拝観は300円 |
寺務所 | あり |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
山門
恵隆寺の境内は南向き。県道沿いに駐車場と茶店があり、境内入口に山門が鎮座しています。
当寺境内から西へ50メートルほど行くと心清水八幡神社があるほか、当寺の東側には国重文の五十嵐家住宅(後述)も隣接しています。
山門は、三間一戸、八脚門、寄棟、銅板葺。
パンフレットの年表には1614年(慶長十九年)再建と書かれていました。
柱は角柱。とくに目立った意匠は使われていません。
通路部分には「観世音菩薩」のちょうちんが吊るされています。
左右の柱間には仁王像が安置されています。
仁王像は両者とも鎌倉末期から南北朝時代に作られたもので、町指定文化財。
観音堂周辺の伽藍
山門をくぐると、参道右手に手水舎があります。
切妻、銅板葺。
柱は角柱が使われています。破風板の懸魚のほか、目立った意匠はありません。
参道を進むと、参道左手に水子地蔵が東面しています。
寄棟、銅板葺。
水子地蔵の近くには福禄寿尊。
一間社春日造、銅板葺。見世棚造。
境内東側には、三重塔のような外観の小金塔という仏塔が西面しています。
三間三重塔婆、銅板葺。
柱は角柱が使われ、柱間は3間。
組物は肘木と斗が一体化した独特な形状のもので、古風な雲肘木や尾垂木を使って軒桁を受けています。
三重(最上層)。
こちらは柱間が2間となっています。三重塔で最上層を2間とするのは、法起寺三重塔(奈良県斑鳩町、飛鳥時代)や當麻寺東塔(奈良県葛城市、奈良時代)などきわめて古い三重塔でしか見られない技法です。
観音堂
参道の先には観音堂が南面しています。
桁行5間・梁間4間、寄棟、向拝1間、茅葺。
1190年(建久元年)建立。1611年に会津地震で倒壊したのち、1617年(元和三年)に修理・再建されました。
各部の意匠はおおむね和様で構成されていて、鎌倉時代あたりの作風をとどめています。江戸初期(1617年)の修理時には当初(鎌倉時代)の部材が再利用されたと思われますが、当初の部材や旧観がどこまで保たれているかは不明です。鑑賞の際は、あくまでも江戸初期の再建だという点を念頭に置くべきかと思います。
向拝は1間。
虹梁には大きな鰐口が下がっています。
虹梁の両端には渦状の若葉が彫られています。中央下面には眉欠きがついています。
虹梁中備えは蟇股。雲とも波ともつかない彫刻が入っています。蟇股にこのような立体的な彫刻を入れるのは室町時代以降の技法で、鎌倉時代にはありえないため、この蟇股は江戸初期の修理時のものでしょう。
向拝柱は面取り角柱で、上端が絞られています。面取りの幅は大きめですが、鎌倉時代のものにしては小さく、江戸初期の技法に見えます。
向拝柱の側面には象の彫刻がついています。この彫刻も鎌倉時代にはありえない技法のため、江戸初期のものでしょう。
柱上の組物は連三斗。
向拝柱を側面から見た図。
組物の上の手挟は、渦巻いた雲の彫刻が入っています。おそらくこの手挟も江戸初期のもので、向拝は修理時に付加されたものであり、鎌倉時代の建立時の堂には向拝がなかったのではないかと思います。
縋破風には桁隠しの蕪懸魚が下がっています。
正面の軒下。扁額は山号「金塔山」。
柱間は5間で、中央の3間は桟唐戸、左右の柱間は連子窓が設けられています。
右側面(東面)。
側面は4間で、柱間は横板壁。
軒裏は平行の二軒繁垂木。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干はありません。
東面向かって左端の柱間。
母屋柱はいずれも円柱。柱間は長押と頭貫でつながれ、頭貫に木鼻はありません。木鼻を使わないのは和様の意匠です。
柱上の組物は出三斗と平三斗。巻斗はやや縦長な形状で、実肘木を使わずに軒桁を直接受けています。また、平三斗(写真右)は木鼻のかわりに鯖尾のような部材が大斗から突き出ていて、古風です。
頭貫の上の中備えは撥束。こちらも斗で桁を受けています。
背面。
柱間は5間で、中央の1間に桟唐戸が使われています。この堂は和様の意匠をベースに構成されていますが、桟唐戸は典型的な禅宗様の意匠で、やや浮いている感が否めません。
外観については以上。
堂内については拝観料(300円)を払えば内陣まで入って本尊の立木観音を拝むことができ、立木観音は足に触れることもできます。なお、堂内は撮影禁止です。
堂内は外陣と内陣に分かれています。たいていの仏堂(密教本堂)は内外陣の境界に格子戸を入れるのですが、この観音堂は仏画が描かれた斗帳(垂れ幕)で境界を仕切っている点が独特です。
本尊の立木観音(木造千手観音立像)は前高8.5メートルの巨大な千手観音像で、一木造りの仏像として日本最大級とのこと。その大きさゆえ厨子に収めることはできず、心なし狭そうに内陣に収まっています。鎌倉時代の造立で、国指定重要文化財。
立木観音のほか、内陣には雷神・風神と二十八部衆の像も安置されており、こちらは県の文化財。巨大な立木観音の左右の壇に30体もの仏像がならぶ光景は圧巻の一言で、必見の内容です。
旧五十嵐家住宅
恵隆寺の駐車場の東側には、旧五十嵐家住宅(きゅう いがらしけ じゅうたく)が隣接しています。
茅葺、寄棟。
小屋組の束の墨書より、1729年(享保十四年)造営。1968年移築。昭和前期まで住居や物置として使われていました。
当地の標準的な百姓(本百姓)の住宅の典型例で、年代も明らかなことから、国の重要文化財に指定されています。
建物は南向きで、内部は西側・中央・東側の3区画に分かれています。
西側は台所などがあり、土間床。中央はいろりがあり、土間にむしろを敷いています。東側は畳の座敷となっていました。
以上、恵隆寺でした。
(訪問日2024/08/11)