甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

和様建築と禅宗様建築のちがい(新和様と折衷様)

今回は寺社の基礎知識として、和様建築と禅宗様建築について。

 

前回の記事(以下のリンク)では、和様・大仏様・禅宗様および折衷様の概説と代表例を述べました。

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当記事では、和様と禅宗様の歴史や特徴、両様式のちがいについて詳細に解説していきます。

 

和様と禅宗様の歴史

当項では和様と禅宗様(唐様)の成り立ちと歴史について述べます。

和様と禅宗様のちがいについて手短に知りたいかたは、当項を読み飛ばして和様建築と禅宗様建築のちがいの項をご参照ください。

なお、禅宗様には唐様(からよう)という別名がありますが、当記事では禅宗様という表記で統一しています。

 

和様と禅宗様

和様と禅宗様は、ともに日本の寺社建築の主流といえる建築様式です。

和様と禅宗様は、成立した時代も、細部の意匠も大きく異なります。とくに和様には古くからの歴史があり、禅宗様には特徴的でわかりやすい意匠が多くあります。しかし、時代が降ると2つの様式を織りまぜたり、大仏様を部分的に採用したりした、新和様折衷様という建築様式が出現します。和様と禅宗様、そして新和様や折衷様といった様式を的確に見分けるためには、成立の過程や発展の歴史を知っておく必要があるでしょう。

当項では、和様と禅宗様の成立の過程と、その後の発展について述べます。

 

和様建築の歴史(新和様・折衷様)

和様の成立

(平等院鳳凰堂、平安時代、京都府)

和様建築の成立は、奈良時代後期から平安時代とされます。具体的な成立年や、どれが最古の遺構なのかは判然としません。

寺院建築は、飛鳥時代に日本へ伝来しました。当初の寺院建築は大陸(おもに百済)の建築の模倣だったと考えられますが、奈良時代に入ると屋根に檜皮が採用され、平安時代に入ると板床や縁側が採用され、時代が降るごとに日本化が進みました*1。そして平安中期(894年)に遣唐使が廃止されたことでさらに日本化が進行し、寝殿造(住宅建築)に代表される日本独自の建築様式が成立して、寺院建築にも取り入れられるようになりました。これがいわゆる和様ですが、和様という呼称が出現するのは鎌倉時代以降となります。

初期の和様建築の代表例には、平等院鳳凰堂、醍醐寺五重塔があります。とくに平等院鳳凰堂は当時の最高権力者によって造られたもので、寝殿造の構造や浄土教の信仰にもとづいた建築であり、平安時代の文化や気風が如実に反映されているといえます。

 

東大寺(大仏様)と興福寺(和様)

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(興福寺三重塔、鎌倉時代、奈良県)

平安時代の末期には治承・寿永の乱(源平合戦)が起き、平城京の寺院の大部分が焼失しました。その後、戦乱を制した源頼朝の後援をうけ、東大寺が大仏様という革新的な建築様式で再建されました。大仏様については大仏様建築と禅宗様建築の記事にて解説するため、当記事では割愛いたします。

いっぽう興福寺は、東大寺の再建に前後して、朝廷や藤原氏の後援をうけて再建されました。再建された伽藍は、東大寺とは対照的に、平安時代の和様にのっとった伝統的・保守的なものでした。とはいえ既存の和様が厳密にまもられたわけではなく、興福寺三重塔(鎌倉前期の建築)では層ごとに組物の構造を変えるなど、独自の新しい要素が導入された箇所も散見されます。*2

 

新和様および折衷様

(元興寺本堂、鎌倉時代、奈良県 ※画像はWikipediaより引用)

興福寺より少し遅れて再建された和様の建築として、元興寺本堂(1244年再建)や薬師寺東院堂(1285年再建)があります。これらの堂は外観や構造こそ伝統的な和様ですが、細部には大仏様木鼻や桟唐戸(禅宗様の扉)が使われています。東大寺や興福寺の再建開始から100年も経たないころの建築ですが、このころの和様建築はすでに大仏様・禅宗様が混じってきていることがわかります。

さらに時代が降り、鎌倉末期から室町前期になると、和様建築には大仏様・禅宗様の意匠がより多く混じるようになります。代表例として、大善寺薬師堂(山梨県)、本山寺本堂(香川県)、鶴林寺本堂(兵庫県)、そして観心寺金堂(大阪府)が挙げられ、京や奈良からはなれた地方の例が目立ちます。これらの建築はいずれも和様をベースとし、大仏様・禅宗様が部分的に採用されており、このような建築を新和様建築または折衷様建築といいます。

 

新和様と折衷様の定義について

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(折衷様建築の例*3 )

新和様と折衷様のちがいについては、厳密な定義はありません。

大まかな傾向として、木鼻や桟唐戸などごく一部に大仏様・禅宗様を採用した和様建築を新和様建築と呼び、虹梁や組物などの構造部にも大仏様・禅宗様を採用した和様建築を折衷様建築と呼びます。端的に言うと、折衷様のほうが大仏様・禅宗様の比率が高いです。両者のちがいは程度の問題にすぎず、明確な線引きはありません。*4

なお、神社建築は基本的に和様建築ですが、室町以降の神社建築の大半は木鼻が採用されています。よって室町以降の神社建築のほとんどは新和様建築(または折衷様建築)といえます。

 

禅宗様建築の概説

(禅宗様建築の典型例*5 )

和様・大仏様・禅宗様は日本の建築の三大様式ですが、禅宗様は3つの中でもっとも遅れて成立しています。

禅宗様は、栄西などの禅僧らによって鎌倉時代中期から後期にかけて成立されたと考えられています。先述のように東大寺は大仏様、興福寺は和様で再建されましたが、それらに対して新興勢力(鎌倉新仏教)である禅宗寺院は大仏様でも和様でもない建築様式で造られました*6。これが禅宗様です。

詳細な歴史については大仏様建築と禅宗様建築の記事でも述べますが、和様・大仏様・禅宗様のうち大仏様は鎌倉前期の段階で早くも衰退してしまい、以降の建築は和様と禅宗様の二大様式が主流となります。禅宗様建築は、禅宗様建築のリストを見ていただくと解るように、鎌倉時代から江戸時代後期にわたる長いあいだ、とぎれることなく造られつづけています。そして、時代や場所が変わっても形式がほとんど変わらず、みな一様に同じような造りをしているのも特徴のひとつです*7

また、先述した新和様(折衷様)でも禅宗様の意匠が部分的に採用され、こちらも江戸後期まで造られつづけます。

 

和様建築の歴史と禅宗様の概説については以上。

 

和様建築と禅宗様建築のちがい

和様と禅宗様のちがいを簡潔に比較すると、下表のようになります。

 

表 和様と禅宗様の比較

  和様 禅宗様
成立 平安時代 鎌倉中期~後期?
歴史 新和様や折衷様に発展 ほぼ不変
作風 素朴、質素 繊細、装飾的
種類 住宅、寺院、神社 寺院
軒裏 平行垂木 扇垂木
木鼻
向拝 有または無
組物 和様尾垂木、舟肘木 禅宗様尾垂木、詰組
板床と縁側、亀腹 土間床
欄干 跳高欄、擬宝珠 逆蓮
建具 舞良戸、板戸、蔀 桟唐戸
軸受 長押 藁座
軸部 長押 粽柱、貫、台輪
壁面 横板と連子窓 縦板と火灯窓
天井 格天井、棹縁天井 鏡天井
中備 間斗束 詰組
妻飾 豕扠首 大瓶束

 

軒裏

(和様:平行垂木)

 

(禅宗様:扇垂木)

軒裏は、和様と禅宗様とのちがいが明らかです。

和様は垂木を平行に、禅宗様は垂木を放射状に配します。

なお、裳階のついた堂や二重の門のような二層構造の建築の場合、上層と下層とで垂木の配置がことなることがあります。この場合、禅宗様建築では上層が扇垂木、下層が平行垂木となります。和様建築は上層下層ともに平行垂木です。

 

木鼻

(禅宗様木鼻の例)

木鼻は、大仏様または禅宗様の意匠です。純粋な和様では採用されません。

大仏様と禅宗様は鎌倉時代に伝来したため、逆説的に考えると、木鼻のある建築は鎌倉時代以降のものだと断定できます。

 

向拝

(折衷様の仏堂に向拝が設けられた例*8 )

向拝は和様建築、とくに神社建築の意匠です。純粋な禅宗様建築では採用されません。

ただし寺院建築では、和様建築でも向拝を採用しない例が少なくありません。

 

参考記事:向拝と母屋(身舎)

 

組物

(和様:尾垂木の先端は平たい。中備は間斗束。)

(禅宗様:尾垂木の先端が尖り、中備に詰組が並ぶ)

和様の組物は、尾垂木がある場合、その先端が平たく成形されています。

禅宗様の組物は、尾垂木の先端を尖った形状に成形します。また、中備(柱上以外の場所)にも組物を配置し、軒下に組物がびっしりと並べられることが多いです(詰組)。

 

和様建築では板床や縁側を設けます。これは神社建築の影響と考えられます。また、母屋柱を亀腹の上に据えることがあります。

禅宗様建築は土間床が採用され、板床や縁側は採用されません。これは大陸の建築の影響と考えられます。

 

欄干

(禅宗様:欄干の親柱の逆蓮)

和様建築の欄干はおもに縁側に設けられ、跳高欄や擬宝珠付き欄干が採用されます。跳高欄は神社建築、擬宝珠は寺院建築に採用される傾向がありますが、例外も多くあります。

禅宗様建築の欄干はおもに堂内の須弥壇に設けられます。すなわち、寺院建築の意匠です。親柱には蓮の花と葉を模した装飾(逆蓮)がつくのが特徴です。

 

軸部

(禅宗様:柱の上端が絞られ、柱上に台輪がわたされている)

和様建築は、軸部(柱間)の固定に長押を多用します。

禅宗様建築は、軸部の固定に貫を多用します。そして、柱上に台輪をとおしたり、柱の上端と下端を丸く絞ったりするのも特徴のひとつです。

 

建具と軸受

(和様:長押に開けた穴で板戸を吊る)

(禅宗様:貫に取りつけた藁座で桟唐戸を吊る)

和様建築では、板戸のほか、蔀や舞良戸といった住宅風の建具を用いるのが特徴です。

禅宗様建築では桟唐戸が特徴的で、これは新和様建築(折衷様建築)でも早くから採用されています。

扉の軸の受けかたも和様と禅宗様のちがいが顕著で、和様では長押に穴をあけて扉を吊るのに対し、禅宗様では貫に藁座という軸受を取り付けます。長押よりも藁座のほうがメンテナンス性がよく(壊れた部材の交換が容易)、これは和様建築に早くから桟唐戸が採り入れられた理由のひとつかと思います。

 

壁と窓

(和様:連子窓と横板壁)

(禅宗様:火灯窓と縦板壁)

和様では壁板を横向きに張り、窓は連子窓を用います。

禅宗様では壁板を縦向きに張り、窓は火灯状曲線のもの(火灯窓)を用います。火灯窓は寺院建築だけでなく住宅や城郭でも採用されますが、神社建築ではほとんど採用されません。

 

その他

ほか、禅宗様の特徴的な意匠として、先述の詰組や、鏡天井、大瓶束があります。禅宗様は大仏様との共通点も多く、木鼻、貫の多用、土間床、大瓶束などが共通しており、これらは和様と対照的な要素です。

 

和様建築と禅宗様建築については以上。

次回の記事では、大仏様建築と禅宗様建築のちがいについて解説します。

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*1:『日本建築史序説』p.84-86、太田博太郎、1947年、彰国社

*2:『日本建築史講義』p.305-313、海野聡、2022年、学芸出版社

*3:観心寺金堂、室町前期、大阪府

*4:『日本建築史序説』p.124

*5:正福寺地蔵堂、室町前期、東京都

*6:代表例として、円覚寺、建長寺、建仁寺、南禅寺、東福寺が挙げられるが、当時の伽藍はほぼ現存しない

*7:功山寺仏殿や円覚寺舎利殿などに代表される「一重、裳階付、入母屋」が典型

*8:智満寺本堂、江戸前期、静岡県