今回は福島県会津坂下町の心清水八幡神社(こころしみず はちまん-)について。
心清水八幡神社は町西部の山際に鎮座しています。別名は塔寺八幡宮(とうでら はちまんぐう)。
創建は社伝によると1055年(天喜三年)。源頼義・義家父子が前九年の役の折に、戦勝を祈願して当地に石清水八幡宮を勧請したのがはじまりとされます。創建以降、歴代の領主や庶民の崇敬を受けました。中世は芦名氏、近世は松平氏の庇護を受けて存続し、室町初期から江戸前期にかけて当社の神主らが記した『塔寺八幡宮長帳』は、会津地域の歴史を知るうえできわめて重要な史料となっています。江戸初期には会津藩主・保科正之によって仏教色が排除され、会津藩の鎮守社に定められています。幕末には藩主・松平容保の寄進で現在の本殿が再建されたほか、吉田松陰が当社を参拝しています。
現在の社殿は前述のように幕末以降のもので、境内の奥に三間社の本殿が鎮座しています。ほか、『塔寺八幡宮長帳』をはじめ多数の社宝を所蔵しています。
現地情報
所在地 | 〒969-6584福島県河沼郡会津坂下町塔寺松原2908(地図) |
アクセス | 塔寺駅から徒歩20分 会津坂下ICから車で5分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道と境内社
心清水八幡神社の境内は南向き。正面の入口は県道に面した場所にあります。
一の鳥居は石造明神鳥居。扁額は「八幡宮」。
鳥居の先には門があります。
一間一戸、薬医門、切妻、銅板葺。
門扉は板戸が使われ、左右には袖塀がつながっています。
参道を進むと二の鳥居があり、境内の中心部に到着します。
二の鳥居は木造両部鳥居。
右の社号標は「会津大鎮守 心清水八幡神社」。
二の鳥居をくぐると、参道右手に手水舎があります。
切妻、銅板葺。
柱は几帳面取り角柱で、柱の上部に頭貫と台輪が通っています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻がつき、頭貫木鼻は波の意匠が彫られています。
柱上の組物は出三斗。台輪の上の中備えは蟇股で、こちらも波のような意匠です。
妻面。
こちらも中備えは蟇股で、波状の彫刻の中央に宝珠のような意匠があります。
妻虹梁は波が彫られ、笈形付き大瓶束で棟木を受けています。
破風板の拝み懸魚は、波に亀の彫刻。
参道左手(境内西側)には多数の境内社が並立しています。境内社はいずれも東向きに鎮座しています。
こちらは春日社(左)と若木社(右)。両社とも見世棚造で、一間社流造、銅板葺。
若木社向かって右側には北野社(扁額は「天満宮」)と出雲社(右奥)。
出雲社の右には名称不明の社殿(左)。
その右の3棟は伊勢宮、箱根社、賀茂社。3社とも見世棚造の一間社流造、銅板葺。
伊勢宮はほかの境内社よりもやや凝った造りをしていて、蟇股に結綿の彫刻があったり、木鼻や桟唐戸が使われていたりします。
拝殿
参道の先には大規模な拝殿が鎮座しています。
入母屋、向拝3間、銅板葺。
後方には切妻(妻入)の棟がつながっていて、その大棟の鬼瓦が中央に見え、独特のシルエットを呈しています。
向拝は3間設けられ、中備えや木鼻に彫刻があります。
向拝の中央の柱間。
向拝柱の正面には唐獅子の木鼻がついています。向拝柱のあいだにわたされた虹梁は、若葉の絵様が彫られています。
こちらの虹梁の上の中備えは竜。
向かって右側。
こちらの中備えは竹に虎。
向拝柱は几帳面取り角柱で、柱上の組物は出三斗です。隅の向拝柱には、見返り唐獅子の木鼻がついています。
向かって左側の中備えも、竹に虎の彫刻でした。
隅の向拝柱(写真右)の上では、手挟が軒裏を受けています。手挟は板状のもので、繰型と雲状の絵様がついています。
向拝柱と母屋柱のあいだには繋ぎ虹梁がわたされ、その上に乗った蟇股が斗栱を介して軒桁を受けています。蟇股の彫刻は唐獅子。
写真奥に見える繋ぎ虹梁(中央側の向拝柱のもの)は高い位置を通っていて、蟇股を省略して斗栱だけで軒桁を受けています。
母屋の正面は9間あり、柱間には引き戸が入っています。
中央の戸の上の扁額は「八幡神社」。
母屋柱は面取り角柱が使われ、柱間は貫や長押で固定されています。柱上の組物は出三斗と平三斗。
軒裏は二軒繁垂木。
隅の柱には、頭貫に象鼻がついています。
柱上には台輪が通っていますが、中備えの意匠はありません。
拝殿の背面は切妻(妻入)になっていて、軒下の中央に孫庇と突き出た小屋のようなものがあります。
背面側にはとくに目立った意匠はなく、簡素な造りとなっています。
本殿
拝殿の後方には石段の参道が伸び、その先には塀に囲われた本殿が鎮座しています。
本殿右手前の標柱は「会津大鎮守 心清水八幡神社御本殿」。
本殿の手前には、門扉のついた木造明神鳥居が立ち、左右は板塀につながっています。
本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、銅板葺。
1863年(文久三年)再建。最後の会津藩主である松平容保の寄進で造られたもので、会津藩による寺社建築のなかで最後に造られたのがこの本殿とのこと。
向拝は3間で、中備えや木鼻に派手な彫刻が配されています。
奥の母屋も正面3間で、3組の桟唐戸が設けられています。本殿の大部分は素木ですが、桟唐戸だけは朱塗りとなっていて目立ちます。
向拝、向かって左側。
向拝柱は几帳面取り角柱。隅の向拝柱には木鼻があり、正面は唐獅子、側面は象の彫刻です。
柱上の組物は出三斗。
柱間には虹梁がわたされ、中備えに彫刻があります。こちらの彫刻は鳳凰。
中央の柱間。中備えの彫刻は竜。
こちらは向拝柱に木鼻がありません。
左側面(西面)全体図。
向拝柱の上の手挟は板状で、絵様が彫られています。
海老虹梁は大きく湾曲した形状で、向拝側は虹梁の高さから出て、母屋側は頭貫の位置に取りついています。
向拝の桁隠しには波の彫刻。
母屋の側面は2間。柱間は横板壁。
縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干は跳高欄。側面後方は脇障子を立ててふさいでいて、脇障子には樹木の彫刻があります。
背面。
柱間は3間とも横板壁。
台輪の上の中備えには蟇股があります。
右側面(東面)。
破風板の拝みに猪目懸魚が下がり、桁隠しは波の彫刻が使われています。
母屋柱は円柱で、柱間は長押と貫で固定され、柱上に台輪が通っています。頭貫には唐獅子の木鼻があります。
組物は出組。台輪の上の中備えは蟇股で、唐獅子などの神獣の彫刻が入っています。
妻飾りは二重虹梁。
大虹梁の上には松に鷹の彫刻があり、その左右に皿付きの出三斗が配されて二重虹梁を受けています。二重虹梁の上では、笈形付き大瓶束が棟木を受けています。
大棟を正面から見た図。
中央寄りの位置に鰹木が3本乗り、その左右に千木が乗っています。千木は外削ぎの置き千木。
以上、心清水八幡神社でした。
(訪問日2024/08/11)