今回は滋賀県野洲市の円光寺(えんこうじ)について。
円光寺(圓光寺)は野洲市街に鎮座する天台真盛宗の寺院です。山号は歓喜山。
創建は不明。寺伝によると、延暦年間(782-806)に最澄によって開かれた長福寺という天台宗山門派の寺院が当寺の前身とのこと。創建から中世にかけての沿革は不明。室町時代には当寺の近くに円光寺という天台真盛宗の寺院がありましたが、戦火によって堂宇を消失したため、円光寺の仏像を長福寺に祀ることで両寺が合併し、現在の円光寺となりました。合併した時期については室町末期から桃山時代とされ、具体的な年代は不明です。
現在の境内伽藍は旧長福寺の時期の堂宇が現存しています。重要文化財の本堂は貴重な鎌倉時代の建築で、寺院の本堂としては特異な流造に似た形式で造られています。境内の一画に鎮座する大行事神社の本殿は室町時代の建築で、こちらも国の重要文化財です。ほか、境内に立つ石造九重塔と旧円光寺本尊の木造阿弥陀如来坐像も重要文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒520-2353滋賀県野洲市久野部266(地図) |
アクセス | 野洲駅から徒歩10分 栗東湖南ICから車で15分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
山門
円光寺の境内は南東向き。入口は野洲駅北口から伸びる県道に面しています。
右の寺号標は「天台真盛宗派 歓喜山 圓光寺」。左側の標は判読できず。
入口の山門は、薬医門、切妻、本瓦葺。
主柱は円柱が使われています。
主柱から実肘木が出て、柱上の梁を持ち送りしています。梁の先端には桁が通り、正面の軒先を支えています。
向かって左の妻面を内部から見た図。
妻飾りは笈形付き大瓶束。
左の妻面を外から見た図。
破風板の拝みには、鰭付きの三花懸魚。鰭は雲の意匠。
背面の軒下。
虹梁の中備えには、蟇股とも実肘木ともつかない部材が使われています。
背面向かって左側の控柱。
背面側に立つ控柱は、几帳面取り角柱。側面に象鼻がつき、柱上は大斗と実肘木を組んだものが置かれています。
本堂
山門の先には本堂と九重塔(左手前)が鎮座しています。
本堂は、桁行5間・梁間5間、切妻、向拝一間、銅板葺。
1257年(康元二年)造営。「圓光寺本堂」として国指定重要文化財*1。
寺院の本堂としてはめずらしい切妻(ふつうは入母屋か寄棟とすることがほとんど)で、正面の軒先に1間の向拝がついています。母屋は側面5間で、前方の2間通りは外陣、中央の2間通りは内陣(左右両端は脇陣)、後方の1間通りは後陣といった区画に分けられています。屋根の形状は神社本殿で言うところの両流造に似ていますが、内部の区画分けは中世の密教本堂の構成となっており、神社本殿と密教本堂のハイブリッド的な建築といえます。
案内板の解説は以下のとおり。
重要文化財 円光寺本堂
(※中略)
本堂の建立は、内外陣境柱銘及び旧棟木銘から康元二年(1275)であることが分かる。
元禄十七年(1704)の修理により入母屋造・本瓦葺に改造されたが、昭和三十一年の解体修理で、本堂建築では珍しい切妻造に復元された。
内部は内陣、外陣、脇陣、後陣に分かれる密教寺院の形態を伝えるもので、内外陣境及び内陣脇両陣境に格子戸をたて、内陣と脇陣は棹縁天井、その他は化粧屋根裏である。
外観は円柱の上に舟肘木を置き、内法長押は母屋から庇の間へ順に低く取り付き、板扉を釣り込むところは二重長押とする。背面は連子窓と板壁、妻飾りは扠首組、軒は疎垂木とするなど簡素な建物である。
平成七年三月滋賀県教育委員会
向拝は1間。
向拝柱は大面取り角柱。古い時代のもののため、面取りの幅が非常に大きいです。
柱上の組物は舟肘木。向拝柱をつなぐ虹梁などはありません。
向拝柱と母屋とのあいだには、まっすぐな梁がわたされています。向拝側は桁の位置から出て、母屋側は長押の位置に取りついています。
縋破風には桁隠しの猪目懸魚が下がっています。
軒裏はまばら垂木。寺院や神社というよりは住宅風の簡素で軽快な趣です。
母屋の正面は5間。柱間はいずれも板戸。
正面中央の柱間。扁額は山号「歓喜山」。
母屋柱は円柱。柱上に組物はなく、桁を直接受けています。
向かって左の隅の柱。こちらは柱上に舟肘木が使われています。
柱間は長押が打たれています。長押は二重に打たれ、長押に穴をあけて板戸の軸を受けています。
頭貫木鼻はなく、細部意匠も和様のもので固められており、純粋な和様建築といえます。
側面は5間。柱間は、前方の1間が板戸、ほかの4間は横板壁。
前方の2間通り。こちらは外陣となります。
縁側は切目縁で、前方の2間通りまでまわされています。縁束は円柱が使われています。
中央の2間通り(内陣)と、後方の1間通り(後陣)。
母屋柱は床下も円柱に成形されています。
内陣部分の妻面。
舟肘木の上に無地の妻虹梁がわたされ、豕扠首で棟木を受けています。
破風板には猪目懸魚が下がっています。
なお、本堂後方には民家(おそらくご住職のお家)が隣接しており、立入禁止となっていたため観察はできませんでした。案内板によると、背面は連子窓と板壁が使われているようです。
本堂周辺
本堂向かって左奥(東側)には鐘楼があります。土を盛った塚のような地形の上にあり、これは「久野部1号墳」という古墳とのこと。
鐘楼は、切妻、桟瓦葺。
本堂左手前には石造九重塔が立っています。
刻銘より、康元年間(1256-1257)の造立。本堂と同時期のものです。
「圓光寺九重塔」として国指定重要文化財。
当初は十三重塔だったと考えられ、後世の改造で現在の九重塔となったと思われます。また、頂部の法輪が欠損しています。
本堂のはす向かい、境内南側には境内社と石碑が並んでいます。
大行事神社境内
円光寺境内の北東の区画は、鎮守社の大行事神社(だいぎょうじ-)となっています。円光寺と同様に、大行事神社も南東向きです。
入口には石造明神鳥居。
拝殿は、入母屋(妻入)、桟瓦葺。
拝殿の先には神門と透塀があり、本殿を囲っています。
神門は、一間一戸、切妻、桟瓦葺。門扉は桟唐戸が使われています。
向かって左の柱。
几帳面取り角柱が使われ、側面に木鼻がついています。
虹梁にはしめ縄がかけられ、中備えは雲の意匠の蟇股。
大行事神社本殿
神門と透塀の内側には3棟の本殿が並んでいます。
向かって左は社名不明の本殿、中央が摂社野上神社本殿、右が大行事神社本殿です。
大行事神社本殿(写真右)は、一間社流造、檜皮葺。
室町時代の造営。国指定重要文化財。
向拝柱は面取り角柱。側面に木鼻がついています。
柱上の組物は連三斗。木鼻の上に巻斗が乗り、連三斗の肘木を受けています。
虹梁中備えは透かし蟇股。内側に彫刻がありますが、大部分が欠損してしまっています。
奥の母屋の正面には、透かし彫り(格狭間)の戸が設けられています。
右側面。柱間は横板壁。
母屋柱は円柱。頭貫には木鼻がつき、柱上の組物は連三斗。
前方の母屋柱は長押の下から挿肘木の斗栱が出て、繋ぎ虹梁を持ち送りしています。
妻飾りは豕扠首。破風板には蕪懸魚が下がっています。
中央の野上神社本殿は、一間社流造、こけら葺。
市指定有形文化財。
造営年は不明ですが、大行事神社本殿より新しいものと見てまちがいないでしょう。
以上、円光寺でした。
(訪問日2024/06/15)
*1:附:銘札1枚