今回も愛知県豊川市の豊川稲荷について。
当記事では本殿とその周辺の社殿について述べます。
鎮守堂と鐘楼堂
総門の右奥(北西)には鎮守堂と鐘楼堂が鎮座しています。
こちらは鎮守堂で、南向き。龍天堂の別名があり、当初は神楽殿だったものを1930年に改修したとのこと。
梁間1間・桁行2間、入母屋(妻入)、桟瓦葺。
正面の入母屋破風。瓦のひとつひとつに宝珠の意匠があしらわれています。
破風板の拝みは猪目懸魚。鰭は雲の意匠。
妻飾りは豕扠首。
正面は1間。柱間には引き戸が入っています。
軒裏は一重の繁垂木。
虹梁は、中央下側に用途不明の切り欠きがついています。絵様は若葉が立体的な造形で彫られ、左右の若葉や中央部には稲荷宝珠の意匠があります。
台輪の上には蟇股と詰組。桁下の支輪板には雲の彫刻。
向かって右の柱。
柱は几帳面取りで、正面と側面に木鼻がついています。
柱上の組物は出組。
右側面(東面)。
側面は2間で、柱間は舞良戸。前方の1間(写真左)は柱をひとつ飛ばし、長い虹梁をわたしています。
縁側は切目縁が3面にまわされ、終端には脇障子が立てられています。
後方には、鎮守堂の本殿らしき小屋があります。
祭神は白山権現。案内板(設置者不明)によると内部の像は“名匠諏訪ノ和四郎”の作らしいですが、何代目の立川和四郎なのか不明です。
山門の近くには鐘楼堂があります。こちらは東面。
桁行3間・梁間3間、入母屋、桟瓦葺。
1937年頃の造営。内部の梵鐘は戦後の鋳造。
案内板(設置者不明)いわく、“総欅材造りで近代の建造物としては優秀な結構(※原文ママ)として賞賛されている”らしく、梵鐘の音は“妙音”だそうです。誰によって賞賛されているのかは不明。参拝中にこの鐘が打ち鳴らされましたが、私の耳では他寺の鐘とどうちがうのか解りませんでした。
柱間は3間四方。3間のうち中央は虹梁(飛貫虹梁)がわたされ、左右の各1間は飛貫が入っています。
軒裏は扇の二軒繁垂木。
北東の隅の柱。
柱はいずれも円柱で、上端が絞られています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
柱上の組物は二手先。
北面。鐘突き棒が吊られています。
内部は格天井。
中央の柱間は、中備えに蟇股があります。左右の柱間は中備えがありません。
軒桁の下の支輪板は、雲の彫刻。
山門の北側には、最詳殿が南面しています。
参道と本殿周辺
総門から境内に入り、山門ではなく左手(南西)へ向かうと、本殿へつづく参道が伸びています。
こちらは一の鳥居。石造明神鳥居。
鳥居の手前には駒狐。
参道右手には手水舎。
入母屋、桟瓦葺。
柱は角柱。木鼻や台輪が使われています。
中備えは木鼻付きの出三斗。この部分の木鼻はたいてい拳鼻が使われますが、象鼻が使われています。
軒裏は二軒まばら垂木。
二の鳥居も石造明神鳥居。
参道の先には巨大な本殿が見えます。
参道を左手にそれると、豊楽殿が北面しています。
入母屋、銅板葺。
案内版によると1824年造営。当初は本殿の祈祷殿として造られたもので、大本殿(おそらく現在の本殿のこと)の再建にともない移築されたとのこと。内部には絵入りの格天井が張られているようです。
正面の軒下。
柱間は雨戸で閉じられていました。
柱は面取り角柱。柱上は大斗。
正面3間ですが、左右両端の隅に2本ずつ立てられており、2本の柱は柱上で肘木を共有しています。
右側面(西面)。
こちらはほぼ等間隔で柱間3間です。
柱上は組物と肘木(花肘木?)。
縁側は4面にまわされ、欄干の親柱は擬宝珠付き。
豊楽殿の右奥(南西)には神輿殿。
切妻、銅板葺。
壁面はぎざぎざの外観になっていて、校倉造に似せた造り。
妻飾りは二重虹梁で、蟇股、蓑束、笈形付き大瓶束といった意匠が使われています。
本殿(大本殿)
参道の先には、巨大な本殿が東向きに鎮座しています。
本堂ではなく「本殿」で、本尊の荼枳尼天は仏ではありません。とはいえ建築様式の観点から考えると、本殿(神社建築)というよりは本堂(寺院建築)で、これは仏堂だと思います。
梁間5間・桁行13間?、二重、入母屋(妻入)、正面向拝3間 軒唐破風付、左右両側面向拝1間、桟瓦葺。
1930年竣工。
(左:豊川稲荷本殿、右:善光寺本堂)
とても本殿には見えない豊川稲荷本殿ですが、仏堂として見ても特徴的なかたちをしており、屋根は二重の妻入りで、奥行きの長い平面となっています。
善光寺本堂(長野市)によく似ている、と思ったのですが、善光寺は撞木造という特殊な造りであるのに対し、豊川稲荷は通常の入母屋(妻入)で、背面の構造が大きく異なります。また、善光寺は母屋の周囲1間通りに裳階(もこし)という庇が付いて二重に見えるのに対し、豊川稲荷は二重屋根です。両寺はこれといった関連もないうえ宗派も異なるため、ただの他人の空似でしょう。
正面の向拝は3間。
向拝柱の札には、荼枳尼天の真言が書かれています。
向拝の唐破風。
兎毛通は鳳凰の彫刻。
向拝中央の柱間。
虹梁には、若葉の絵様が立体的に彫られています。中備えは竜の彫刻。
唐破風の妻壁には笈形付き大瓶束。大瓶束は角柱、笈形は雲の彫刻。
組物は皿付きの出三斗。肘木には繰型がつき、木鼻のような外観です。
向かって左の向拝柱。
向拝柱は几帳面取り。正面は唐獅子、側面は獏の木鼻。
隅の向拝柱は、柱上に連三斗が使われています。
向拝左側面の縋破風。
桁隠しは鷹の彫刻。
向拝柱の上では、手挟が軒裏を受けています。手挟は菊の籠彫り。
向拝柱と母屋のあいだには海老虹梁。
母屋の下層。
正面5間で、柱間は桟唐戸。
左側面(南面)。
こちらにも向拝がついています。
母屋の側面は13間くらいありますが、正確に数えることができませんでした。
側面の向拝は1間。
中備えは唐獅子の彫刻。
向拝柱は几帳面取り。側面には獏の木鼻。
柱上は連三斗。
縁側は切目縁。
縁の下は縁束、斗、肘木で支えられています。縁束は円い礎石の上に立ち、形状は円柱で、上端が絞られています。貫には木鼻があります。
母屋正面の軒下。
柱は円柱で、柱上は尾垂木二手先。
柱間には虹梁と台輪がわたされ、中備えは蟇股。
隅の柱には唐獅子の木鼻がついています。
左側面の軒下。写真右が正面側です。
軒下の意匠は正面と同様。
内部は外陣と内陣に分かれていて、一般の参拝者は外陣まで進入できます。
外陣内陣の境界には大きな梁がわたされ、梁の周囲には彫刻や組物などがびっしりと配されていました。
つづいて上層。
上層は、下層と同様に正面5間。ただし上層は頭貫と台輪に禅宗様木鼻があり、中備えは蓑束、組物は尾垂木三手先です。
軒裏は、上層下層ともに二軒繁垂木。
正面の入母屋破風。
破風板の拝みと桁隠しは三花懸魚。
妻飾りは二重虹梁のようですが、懸魚の影になってしまいよく見えず。大瓶束や格狭間といった意匠が使われていました。
本殿後方を右側面(北側)から見た図。
大棟は前後方向にまっすぐ伸びています。前述した善光寺本堂は棟がT字状で、側面後方に破風が付くため、この本殿とは異なる造りです。
本殿の左右にはこのような門が設けられています。名称は不明。
門扉は桟唐戸。
門扉と塀の窓部分には、細い菱組が入れられています。
門の柱は几帳面取り角柱。柱上は大斗と肘木。
門扉の上の欄間は青海波の文様で、抱き稲の紋があしらわれています。
左右の塀の柱は角柱で、長押が多用されています。
柱上は舟肘木。
本殿とその周辺の社殿については以上。