甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】北野天満宮 その3(東門、地主神社など)

今回も京都府京都市の北野天満宮について。

 

その1では参道と楼門などについて

その2では中門や本殿について述べました。

当記事では、東門や地主神社などの境内社について述べます。

 

東門

境内の東側に出ると、御前通という道路があり、東門が東面しています。こちらは東門の手前の鳥居。

石造明神鳥居。扁額は「天満宮」。

 

東門は、一間一戸、四脚門、切妻、銅板葺。

1607年(慶長十二年)再建。「北野天満宮 7棟」として国指定重要文化財

 

向かって左手前の控柱。

控柱は几帳面取り角柱。正面と側面には唐獅子の木鼻。

柱上の組物は出三斗。

 

左右の控柱のあいだには虹梁がわたされ、中備えは蟇股。蟇股の彫刻は、雲とも若葉ともつかない意匠。

蟇股の上の斗からは、植物の彫刻が手前に突き出ています。

 

内部、向かって右側。

主柱は円柱が使われています。

 

内部の通路上には梁がわたされ、主柱のあいだにわたされた梁には蟇股が置かれています。彫刻の題材は唐獅子。

蟇股の上には斗と花肘木が置かれ、組物(平三斗)を介して棟木を受けています。

 

蟇股の上では、前後方向に海老虹梁が伸びています。

海老虹梁は蟇股の斗の上から出て、控柱の虹梁中備えの蟇股の裏に取り付いています。

 

左側面(南面)。

側面には冠木が突き出し、その上には獏の木鼻が見えます。

 

竈社

東門をくぐると、右手に竈社が南面しています。

入口には石造明神鳥居。

竈社は、一間社流造、銅板葺。

 

竈社の左手前にある手水舎。

入母屋、銅板葺。

入母屋の屋根の正面に庇を伸ばし、神社本殿のような構造ですが、庇に柱がないせいか珍妙な外観になっています。

 

母屋の柱は角柱。柱上は舟肘木。

軒裏は一重まばら垂木。母屋の軒裏の上から庇を伸ばしているため、庇の部分だけは二軒(垂木が二重)になっています。

庇の側面には縋破風がついていますが、この部材は、母屋軒裏の垂木と一体化しています。

 

地主神社

東門から、本殿東側を通って境内北側へ行くと、摂社の地主神社(じぬし-)が南面しています。

地主神社は北野天満宮の創建前から現在地に祀られていたようで、境内南の参道や楼門からまっすぐ進むと、この社殿に行き当たります。

地主神社は、桁行正面1間・背面2間・梁間2間、一間社流造、檜皮葺。

文化財指定はとくにないようです。

 

向拝の蟇股は、牡丹の彫刻。美麗な造形と彩色です。

蟇股の上には巻斗が乗り、軒桁を受けています。

 

向拝柱は面取り角柱。

柱上は連三斗。柱の側面に斗栱が出て、連三斗を持ち送りしています。

 

向拝の下には階段があり、浜床が張られています。

社殿は紅白に彩色されていますが、なぜか浜床の部分だけは素木です。

 

向拝柱の上には梁がわたされ、母屋の頭貫の位置に取り付いています。

 

母屋の正面の中備え。扁額は「地主神社」。

彩色された蟇股がありますが、扁額の影になってよく見えず。

 

側面は2間。

母屋柱は円柱が使われ、柱間は白い横板壁。

 

軸部は長押と貫で固定されています。頭貫には木鼻があります。

柱上の組物は出三斗と平三斗。中備えは蟇股。実肘木ではなく通肘木がつかわれ、組物と蟇股がひとつの肘木を共有しています。

 

木鼻は拳鼻のような繰型のシルエットですが、若葉の意匠が彫られています。

蟇股の彫刻は菊。

 

妻飾りは豕扠首。

破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。

 

背面は2間。見づらいですが、こちらも中備えに蟇股があります。

縁側は背面にもまわされています。脇障子はありません。欄干は跳高欄。

 

末社 老松社

地主神社向かって左には、末社の老松社。となりの地主神社とは対照的な素木造りです。

その1では、同名の摂社を紹介しましたが、こちらの老松社は末社です。祭神は摂社末社ともに島田忠臣。

末社老松社は、一間社流造、檜皮葺。

 

向拝柱は面取り角柱。

柱の側面は象鼻。柱上は、基部に皿が付いた出三斗。

 

虹梁中備えは蟇股。彫刻の題材は松。

 

正面には角材の階段が7段。

階段の下には浜床。

 

母屋柱は円柱。柱上は出三斗。中備えはありません。

妻飾りは豕扠首です。

 

母屋の正面の中備え。扁額は「老松社」。

扁額の裏には、彩色された蟇股。こちらも松が彫られています。

 

背面は1間。

軸部の固定には、長押が多用されています。

縁側は、背面にはまわされていません。

 

摂末社「十二社」

老松社向かって左側、北野天満宮本殿の裏手(北)には、摂社末社12社をまとめて1棟にした長大な社殿が南面しています。公式サイトにも社殿の名称が書かれていないため、ここでは便宜的に「十二社」と呼ぶことにします。

十二社は、十二間社流造、銅板葺。見世棚造。

 

母屋の正面は12間で、向拝も12間あります。

母屋の手前には縁側も階段もなく、見世棚造です。

 

向拝柱は面取り角柱。面取りの幅が小さいです。

隅の柱の組物は連三斗。側面に木鼻が出て、連三斗を持ち送りしています。

 

虹梁中備えは透かし蟇股。菊らしき花が彫られています。

 

母屋の正面は板戸。12組の扉が連なっています。

母屋柱と向拝柱のあいだには、海老虹梁がわたされています。

 

向かって右端の軒下。扁額は寛算社(かんざんしゃ)。

扁額の裏には透かし蟇股があり、繊細な造形で植物が彫られています。

 

右側面(東面)。

母屋柱は円柱。隅の柱の組物は、連三斗が使われています。

 

側面も、頭貫の上の中備えに透かし蟇股があります。こちらも良い造形だと思います。

妻虹梁の上は豕扠首。

 

背面。こちらは中備えの蟇股はありません。

 

左側面(西面)から見た図。

縁側は左右両側面だけに設けられています。

 

本殿西側の摂末社

北野天満宮本殿の西側にも、摂社末社が東面しています。

計12社の末社が2棟にわかれて祀られ、一方は八間社流造、もう一方は四間社流造です。

たいていの神社本殿は一間社か三間社であり、四間社や八間社、十二間社は、このような摂社末社の小社殿でもめずらしいです。

 

こちらは神明社(左)と文子社(右)。

両社とも、一間社流造、銅板葺。見世棚造。

 

神明社の虹梁中備え。

蟇股の彫刻は松。

 

向拝柱は角面取り。

柱の側面には木鼻。柱上は連三斗。

 

見世棚造になっていますが、向拝部分の左右には壁板が張られています。

 

母屋柱は円柱、柱上は出三斗。

妻飾りは豕扠首。破風板には猪目懸魚。

 

文子社は素木造りで、神明社よりも簡素な外観。

向拝の組物は大斗と実肘木、母屋柱の柱上は舟肘木です。

 

本殿東側の社殿

楼門から地主神社へ至る参道の脇には、宝物殿と神楽殿が西面しています。

こちらは宝物殿。切妻屋根や唐破風の庇を重層的に組み合わせた複雑な社殿です。

 

庇の唐破風の部分。

唐破風の妻飾りは笈形付き大瓶束。笈形は鳳凰の意匠。

 

庇の柱は几帳面取り角柱。

木鼻は、大仏様木鼻の発展させたような外観。

 

宝物殿の北側には神楽殿。

入母屋、銅板葺。

柱間は蔀戸で、和様の意匠で構成されています。

 

柱は円柱。木鼻や中備えはありません。

柱上は出三斗と平三斗。

 

西の妻面。

破風には木連格子が張られ、拝みには三花懸魚が下がっています。

 

東向観音寺

境内の南西には、東向観音寺(ひがしむきかんのんじ)という寺院があります。文字どおり東を向いています。現在は独立した寺院のようですが、もとは北野天満宮の神宮寺だったためあわせて紹介。

東向観音寺は真言宗泉涌寺派の準別格本山。山号は朝日山。

806年に、桓武天皇の勅命により開かれました。当初は対になる西向観音もあったようです。

 

山門は、一間一戸、薬医門、切妻、本瓦葺。

 

内部向かって右側。

主柱から前方(写真右)に突き出した腕木(女梁)は、先端に木鼻がついています。腕木の上には巻斗と肘木が乗り、梁(男梁)を受けています。

 

妻飾りは蟇股。雲の意匠が彫られています。

 

山門の先には本堂。本尊は、菅原道真が手ずから彫ったとされる十一面観音。

本堂は、入母屋、向拝1間、本瓦葺。

1607年再建。市指定有形文化財。

 

向拝柱は面取り角柱。

柱上に組物はなく、花肘木で桁を受けています。

 

本堂の裏には礼堂がつながっています。

礼堂は入母屋、本瓦葺。

本堂と同年の造営で、市指定有形文化財。

 

柱は円柱で、上端が絞られています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

組物は出組で、中備えは蓑束。

 

本堂の南側には、伴氏廟なる石造五輪塔があります。

詳細は不明ですが、菅原道真の生母の墓らしいです。

 

以上、北野天満宮でした。

(訪問日2023/02/23)