今回は山梨県山梨市の光福寺(こうふくじ)と、その境内にある大嶽山本殿(だいたけさん ほんでん)について。
光福寺は市南部の住宅地に鎮座する天台宗の寺院です。山号は不明。
創建および沿革は不明。市の北東部の山間にある大嶽山那賀都神社の別当寺だったようです。おそらく、明治の神仏分離で寺院として独立したと思われます。
現在の光福寺は荒廃しており、本堂や門は損傷が目立ちます。境内の一画に鎮座する大嶽山本殿は、当寺の住職によって寛保年間頃(1741~1744)に移築されたもので、安土桃山時代の建築として県の文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒405-0012山梨県山梨市東後屋敷971(地図) |
アクセス | 東山梨駅から徒歩20分 勝沼ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
山門と本堂
光福寺の境内は南向き。入口は住宅地の生活道路に面しています。
境内は荒廃していて、損傷した本堂と山門や、大嶽山本殿があるだけで、ほかはほとんど更地という物寂しい趣です。
入口の山門は、一間一戸、薬医門、切妻、鉄板葺。
主柱から前後に腕木(男梁)を持ち出し、後方だけ控柱がついています。
男梁の下には、繰型のついた女梁(肘木)が添えられています。
妻飾りは板蟇股。
後方から見た図。
山門の左右には短い袖塀がつながっています。袖塀の柱間は、縦に板が張られています。
門の控柱や袖塀には鉄パイプを入れて補強されています。
山門の先には本堂と思われる堂があります。
宝形、鉄板葺。
頂部の路盤が損傷してしまっていて、雨仕舞が懸念されます。
柱は角柱、柱上は舟肘木。
軒裏は一重まばら垂木。
大嶽山本殿
本殿向かって左側、境内の西には大嶽山本殿(だいたけさん ほんでん)が南面しています。
一間社流造、桧皮葺。
安土桃山時代のものと推定されています。寛保年間頃(1741~1744)、大嶽山那賀都神社の遥拝所として、諏訪南宮神社(笛吹市)から移築されたもの。
県指定有形文化財。
向拝柱は面取り角柱。
柱上の組物は平三斗。この部分に連三斗ではなく平三斗を使うのはめずらしいと思います。
向拝柱を内側(後方)から見た図。
側面の象鼻は、平板で古風な造形。
組物(平三斗)の上には通肘木が使われています。
虹梁に中備えはありません。
繋ぎ虹梁。
眉欠きが彫られ、渦状の絵様が線彫りされています。
向拝側は組物の大斗の上から出て、母屋側は頭貫の下に取り付いています。
母屋柱は円柱。
軸部は長押と貫で固定され、頭貫には拳鼻。
柱上の組物は出三斗。こちらの組物は実肘木が使われています。
正面側面ともに、頭貫の上に中備えはありません。
母屋の正面の扉。金色に彩色されています(金箔?)。
銅板の飾り金具は唐草の意匠。
向拝の下には角材の階段が5段。欄干や浜床はありません。
母屋の側面は横板壁。
縁側はくれ縁が3面にまわされ、欄干は跳高欄。
背面をふさぐ脇障子には、羽団扇。案内板*1によると、“羽黒派修験の象徴”らしいです。
頭貫と妻虹梁のあいだの、中備えの部分の小壁には、唐草状の絵様が描かれていた形跡がありますが、退色してしまっています。
妻飾りは、虹梁の上に角柱の束を立てた簡素なもの。
破風板の拝みと桁隠しは猪目懸魚。
背面。
こちらも横板壁で、中備えなどの意匠はありません。
母屋柱は横木(土台)の上に立てられ、床下も円柱に成形されています。
縁の下を支える縁束は、基壇の上に直接立てられています。
最後に、右側面(東面)から見た全体図。
以上、光福寺でした。
(訪問日2023/04/22)
*1:山梨県教育委員会と山梨市教育委員会による設置