甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【野洲市】新川神社

今回は滋賀県野洲市の新川神社(にいかわ-)について。

 

新川神社は野洲市街の琵琶湖線南側の住宅地に鎮座しています。

創建は社伝によると朱鳥元年(686年)。壬申の乱の際に天武天皇が当地で戦勝祈願をしたようで、戦勝と天武天皇の即位を祝って社殿が造営されたらしいです。平安時代の『延喜式』には“上新川神社”“下新川神社”の記載があり、守山市の新川神社とともに式内論社に列しています。中世の沿革は不明ですが、野洲川の氾濫によって何度も社殿を流失し、そのたびに当地の有志によって再建されています。1626年(寛永三年)には芦浦観音寺(草津市)の代官によって社殿が再建されましたが、1751年に火災で焼失しています。1754年(宝暦四年)には現在の社殿が再建されました。

境内は社叢の中にまっすぐな参道が伸び、古社らしい幽玄な趣が漂います。社殿は前述のように江戸中期の再建のようで、拝殿、本殿のほか多数の境内社が点在しています。

 

現地情報

所在地 〒520-2342滋賀県野洲市野洲69(地図)
アクセス 野洲駅から徒歩20分
栗東湖南ICから車で15分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

参道

新川神社の境内は西向き。境内入口は住宅地の生活道路に面しており、向かいは公園になっています。

右の社号標は「新川神社」。入口の通りに向いた面ではなく、参道のほうの面に社号が彫られています。

鳥居は石造明神鳥居で、扁額は「新川大神社」。

 

参道右手には手水舎。

切妻、桟瓦葺。

 

柱は几帳面取り角柱。

側面に木鼻がつき、柱上は大斗と花肘木を組んだものが使われています。

 

妻面。

頭貫の上の中備えは蟇股。妻虹梁の上にも似た形状の蟇股があります。

破風板には蕪懸魚。

 

参道にはこのような独特な形状のしめ縄がかけられていました。滋賀県の湖東地域に特有のもののようです。

 

拝殿

道の先には拝殿があります。

入母屋(妻入)、銅板葺。

当社の社殿は、滋賀県神社庁によると1754年(宝暦四年)再建とのこと。

 

正面の入母屋破風。

木連格子が張られ、破風板の拝みに鰭付きの蕪懸魚が下がっています。

 

柱間は正面側面ともに3間。壁や建具はありません。

柱は角柱で、柱間は長押で固定されています。柱上は舟肘木。

縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干はありません。

軒裏は二軒まばら垂木。

 

内部が格天井が張られています。

 

拝殿向かって右側には放生池があり、厳島神社が鎮座しています。

 

幣殿と本殿

拝殿の後方には渡り廊下(写真左)が伸び、幣殿につながっています。

幣殿は、向唐破風、銅板葺。

 

正面の唐破風。

兎毛通には鷹らしき鳥の彫刻が下がっています。桁隠しの懸魚は雲の彫刻。

奥の妻虹梁の上には大瓶束が使われています。

 

幣殿側面。

柱は角柱で、柱上は舟肘木。

内部は低い床と格天井が張られています。

 

幣殿の後方には本殿が鎮座していますが、軒下が立て板で囲われており、細部を観察することはできません。

主祭神はスサノオで、稲田姫と大国主も配祀されています(境内案内板より)。

 

本殿は、一間社流造、銅板葺。

大棟には外削ぎの千木がつき、3本の鰹木が乗っています。

 

破風板の拝みには蕪懸魚のような懸魚が下がり、向拝の桁隠しにも懸魚があります。

暗くて見づらいですが、妻面は妻虹梁の上に笈形付き大瓶束が使われています。

ほか、海老虹梁や母屋柱の連三斗が確認でき、縁側には脇障子があるようです。

 

向拝部分。

向拝柱は几帳面取り角柱で、柱上は連三斗が使われていました。

虹梁中備えは蟇股。何らかの彫刻が入っていますが、題材を特定できませんでした。

 

本殿向かって左側(北側)には2棟の境内社が西面しています。

左は日吉神社、右は若宮神社。

 

両社とも、一間社流造、銅板葺。見世棚造。

 

本殿右側(南側)にも2棟の境内社があります。

左が大神宮、右が多賀神社。

 

本殿北側のものと同様に、両者とも、一間社流造、銅板葺。見世棚造。

社殿は大谷石の簡素な基壇の上に立てられ、土台は井桁に組まれています。

 

以上、新川神社でした。

(訪問日2024/06/15)