今回も長野県下諏訪町の慈雲寺について。
当記事では山門や本堂などの伽藍について述べます。
山門
苔むした参道の先には山門が建っています。
三間一戸、楼門、入母屋、銅板葺。
1779年(安永八年)建立。町指定有形文化財。
紀州藩士・福田儀左衛門が参勤交代の折に当地で没して慈雲寺に葬られたため、その遺族の寄進で建立されました。棟梁は大隅流の工匠・柴宮長左衛門矩重(旧姓は村田、石田)。すぐ近くにある下社春宮の幣拝殿と片拝殿を造営した棟梁です。
正面中央の柱間。
柱間にわたされた虹梁は、若葉の絵様が彫られています。
虹梁中備えは竜。
向かって左の柱間。こちらも飛貫虹梁がわたされています。
柱はいずれも円柱で、上端が絞られています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
台輪の上の中備えは蟇股。雲が彫られています。
左側面(西面)。
側面は、飛貫虹梁のかわりに通常の飛貫が通っています。
台輪の上の中備えは、こちらも蟇股です。
柱上の組物は出三斗。
左右の柱間には仁王像が安置されています。
平成時代に造られたもののようです。
内部の通路上の梁の上には、唐獅子の彫刻が配されていました。
桁の上には鏡天井が張られています。
背面から見た図。
台輪の上の中備えは、3間とも雲状の蟇股が置かれています。この蟇股を除くと、下層はほぼ前後対称の構造です。
門扉は板戸が使われています。
上層正面。扁額は山号「白樺山」。
正面は3間で、壁や建具がなく吹き放ちです。
背面および左側面。
側面と背面も吹き放ちとなっています。
下層と同様に上端の絞られた柱が使われ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。中備えに蟇股が使われている点も下層と同様。
組物は出組で、桁下に軒支輪があります。
軒裏は平行の二軒繁垂木。
鐘楼
楼門をくぐって境内の中心部へ入ると、左手に鐘楼があります。
入母屋、銅板葺。
放射状の垂木と、軒の隅の鋭い反りが印象的。
内部に吊るされた梵鐘は1368年(応安元年)鋳造で、長野県宝。
四隅の主柱は円柱で、内側に転びが付いています。主柱の内側には控柱が2本添えられ、つごう12本の柱が使われています。
軒裏は放射状の二軒繁垂木。禅宗様の意匠です。
主柱の飛貫の位置には大仏様木鼻がついています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
柱上の組物は尾垂木二手先。中備えにも同様の組物が配置されています。
本堂などの伽藍
境内の中心部には本堂が南面しています。
入母屋、銅板葺。
1808年(文化五年)再建。町指定有形文化財。
棟梁は立川流の上原市蔵。立川和四郎富棟(初代和四郎)の甥(弟の子)のようです。
柱は角柱が使われ、建具は舞良戸が入っています。
内部は畳敷き。縁側は切目縁が4面にまわされています。
大棟には、梶の葉(諏訪大社の紋を変形させたもの)と武田菱の寺紋があります。
本堂向かって右(東)には玄関と方丈(あるいは庫裏?)。
玄関部分は曲線状のむくり屋根。
方丈部分は入母屋(妻入)。
本堂向かって左手(境内北東)には枯山水があり、その先に八角形の平面の堂が東面しています。扁額に堂の名前が書かれていますが私の知識では判読できませんでした。
八角円堂、一重、裳階付き、銅板葺。
下層は桟唐戸、火灯窓、詰組が使われ、禅宗様の造りです。
上層は中備えに人の字型の蟇股と双斗があり、古風な意匠が採用されています。
本堂の西隣にも名称不明の堂が並んでいます。
前後に長い平面にくわえ、後方は屋根が二層になっており、私の知るかぎりほかに類例のない独特な構造をしています。
正面。
柱間には桟唐戸と火灯窓が使われ、欄干の親柱には逆蓮の意匠があります。この部分はいずれも禅宗様の意匠です。
柱は円柱が使われ、上端が絞られています。
頭貫には大仏様木鼻。
柱上の組物は円い皿がついた出組。こちらにも大仏様木鼻がついています。
頭貫の上の中備えは、双斗と間斗束を組み合わせたもの。
西面の後方。
堂の後方の部分は母屋と屋根がひとまわり大きくなっています。
こちらは頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。そして、組物には木鼻がなく、中備えはありません。
右側面。
こちらは下層に桟唐戸と火灯窓があります。
上層は、尾垂木三手先の組物が使われているのが見えます。
軒裏は上層下層ともに二軒繁垂木。下層は平行垂木で、対して上層は扇垂木です。二層構造の禅宗様建築でよく見られる技法です。
上層も詳細に観察したかったのですが、塀や本堂が近くにあって引いたアングルの写真が撮れなかったため割愛。
本堂の裏手には庭園があります。
武田信玄の命で造られたという伝承があるらしいですが、真偽のほどは不明。現在の庭園は江戸後期に整備されたもののようです。
以上、慈雲寺でした。
(訪問日2019/05/18,2024/07/13)