甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【近江八幡市】活津彦根神社

今回は滋賀県近江八幡市の活津彦根神社(いくつひこね-)について。

 

活津彦根神社は安土城西側の住宅地に鎮座しています。

創建は不明。当初は正神大明神と呼ばれていたようで、社宝の十一面観音像に“永禄七年”(1564年)“正神大明神”の銘があることから、遅くとも室町末期には確立されていたと考えられます。社伝によると、1576年に織田信長が当社を参詣し、安土城築城の成就を祈願したとのこと。1615年の大坂夏の陣の際には、当社で戦勝祈願をした井伊直孝が武功を挙げ、のちの彦根城・彦根藩の名前の由来となったらしいです。1711年(正徳三年)には「活津彦根神社」として正一位の神階を与えられています。

現在の境内は江戸後期から近代にかけてのものと思われます。本殿は江戸前期に造営されて江戸後期に当地へ移築されたもので、滋賀県内でよく見られる前室付き流造の好例であることから、市の文化財に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒521-1311滋賀県近江八幡市安土町下豊浦4271(地図)
アクセス 安土駅から徒歩20分
八日市ICまたは竜王ICから車で25分
駐車場 5台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

参道と手水舎

活津彦根神社の境内は南向き。

上の写真は境内入口から南に200メートルほどの路上に立つ一の鳥居。石造明神鳥居で、扁額は「活津彦根大神宮」。

 

境内入口は住宅地の丁字路に面した場所にあります。

右の社号標は「活津彦根神社」。

二の鳥居は石造明神鳥居で、扁額は「活津彦根神社」。柱は腰が太く、エンタシスのような安定感のあるシルエットです。

 

参道右手には手水舎。

切妻、桟瓦葺。

 

柱は几帳面取り角柱で、柱上は舟肘木。

虹梁の位置には、唐獅子と象の木鼻がついています。

 

虹梁中備えは蟇股。

波間を泳ぐ魚や、オシドリが彫られています。

 

妻飾りも蟇股。

破風板の拝みには、猪目懸魚が下がっています。

 

拝殿

参道の先には拝殿。

桁行3間・梁間4間、切妻、銅板葺。

 

正面の軒下。扁額は「敬神崇祖」。

柱は面取り角柱。柱間には壁や建具がなく、4面いずれも吹き放ち。

内部には棹縁天井が張られ、床板はなく砂利敷きの土間床となっています。

 

側面は4間。

妻飾りは豕扠首で、束の左右には連子が入っています。

破風板には切懸魚が下がっています。

 

中門

拝殿の後方には、中門、透塀、玉垣に囲われた本殿があります。

 

中門は、一間一戸、切妻、銅板葺。左右は透塀に接続。

 

門扉は桟唐戸。桟唐戸の上部には透かし彫りの花狭間が入っています。

 

門扉の上には虹梁がわたされ、しめ縄がかけられています。

虹梁の上には、2体の鯱の向かい合った彫刻が置かれています。この部分にこのような彫刻が使われる例は初めて見ました。

 

中門の奥には幣殿と思しき棟があり、奥の本殿へとつづいています。

幣殿は、切妻(妻入)、銅板葺。

 

本殿

境内の奥には本殿が鎮座しています。祭神は活津日子根神(活津彦根神)。

本殿は、桁行3間・梁間3間、三間社流造、向拝1間、銅板葺。

1626年(寛永三年)造営*1。1850年(嘉永三年)に当地へ移築され、前室部分の蟇股と木鼻が改変されたようです。また、1992年に桧皮葺から銅板葺へ改修されています。*2

市指定有形文化財。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。側面には唐獅子の木鼻があります。柱上の組物は連三斗。

虹梁中備えには彫刻がありますが、暗くて詳細を観察できず。

縋破風には蕪懸魚が下がっています。

 

母屋の正面側にある前室の部分。

正面の柱間は、中央が格子戸、左右が花狭間の窓となっています。

 

右側面(東面)。

側面は3間で、そのうち前方(写真左)の1間通りが前室(外陣)です。そして後方の2間は内陣で、扉や内法長押の位置からもわかるように床が高くなっています。このような前室付きの流造本殿は滋賀県内でよく見られ*3、近隣にある新宮大社本殿沙沙貴神社本殿も同様の造りをしています。

 

前室の柱は面取り角柱が使われています。頭貫には木鼻がつき、柱上は出三斗。

正面(写真左)の頭貫の上には蟇股が置かれ、鳳凰と思しき鳥が彫られています。

前室の側面は、頭貫の上の中備えがありませんが、写真右の母屋とのあいだに海老虹梁がわたされています。

 

母屋(内陣)の柱は円柱が使われ、柱間は長押と貫で固定されています。木鼻は使われていません。

組物は出三斗と平三斗で、中備えは蟇股。蟇股には植物や宝珠の彫刻があります。

 

組物の上には無地の妻虹梁がわたされ、細い豕扠首で棟木を受けています。

破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。

 

背面は3間。柱間は横板壁。

背面の軒下は、中備えの蟇股が省略されていました。

 

蛭子神社

本殿向かって右(東)には、蛭子神社が南面しています。

由緒書きの石碑によると、蛭子神社は鎌倉時代末期、平井刑部なる人物によって鎌倉から勧請されたらしいです。活津彦根神社の西50メートルほどの位置に祀られたようですが、1896年に水害に遭い、1909年(明治四十二年)に現在地へ遷座したとのこと。

 

入口には金属製の明神鳥居。扁額は「蛭子神社」。

社殿は、一間社流造、銅板葺。

遷座の経緯から、この社殿は明治末期のものと思われます。

 

向拝柱は几帳面取りで、側面には象鼻、柱上は連三斗。

虹梁中備えには花の彫刻がありますが、しめ縄がかかっていてよく見えず。

 

柱は円柱、柱上は舟肘木。

妻飾りは蓑束が使われています。

破風板に懸魚はありません。

 

以上、活津彦根神社でした。

(訪問日2024/02/17)

*1:棟札より

*2:近江八幡市教育委員会の案内板より

*3:大津市の園城寺新羅善神堂、竜王町の苗村神社西本殿が代表例