今回は滋賀県近江八幡市の沙沙貴神社(ささき-)について。
沙沙貴神社は市東部の住宅地に鎮座しています。
創建は不明。社伝によると第12代・景行天皇の時代に社殿が造営されたらしいです。平安時代には『延喜式』に記載され、式内社に列しています。平安後期には近江源氏の氏神となり、以降、その子孫である佐々木氏や六角氏、京極氏から篤く崇敬されました。安土桃山時代、江戸時代も社領を維持しますが、天保年間(1831-1845)に社殿を焼失し、丸亀藩主・京極高朗によって社殿が再建されました。
現在の境内や社殿は江戸後期に再建されたもので、楼門や本殿などの8棟が県の文化財に指定されています。とくに本殿は滋賀県内でよく見られる前室付き流造で、その中でもきわだって大きい五間社という造りとなっています。
当記事ではアクセス情報および楼門、拝殿などについて述べます。
現地情報
所在地 | 〒521-1351滋賀県近江八幡市安土町常楽寺1(地図) |
アクセス | 安土駅から徒歩15分 竜王ICまたは八日市ICから車で20分 |
駐車場 | 30台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 沙沙貴神社・佐佐木大明神 |
所要時間 | 30分程度 |
境内
楼門
沙沙貴神社の境内は南東向き。入口は境内東側の車道に面した場所にあります。
右の社号標は「沙沙貴神社」。
一の鳥居は北東向き。
石造明神鳥居で、扁額は「佐佐木大明神」。
一の鳥居をくぐると参道が右手に折れ、南東向きの楼門が現れます。
三間一戸、楼門、入母屋、茅葺。
当社の主要な社殿は江戸後期の再建ですが、この楼門は1747年(延享四年)の再建とのこと。県指定有形文化財。
下層は正面3間。中央の通路部分は広く取られています。
垂れ幕やちょうちんには、佐々木氏などの家紋である四つ目が描かれています。
中央の通路上の柱間。
柱はいずれも円柱で、柱上の組物は二手先。
しめ縄のかかった頭貫の上には、板蟇股があります。
向かって右手前の隅の柱。
頭貫には禅宗様木鼻がついています。
左右や側面の中備えは、蟇股ではなく蓑束が使われています。
下層右側面(東面)。
側面は2間。柱間は貫でつながれ、白い壁が張られています。
上層。
扁額は「沙沙貴神社」。右側の木札に、有栖川宮熾仁親王の揮毫だという旨が書かれています。
上層も正面3間ですが、柱間に建具はなく白壁となっています。
向かって右側。
欄干の影になってしまいましたが、上層も頭貫に木鼻が使われています。
頭貫の上の中備えは蓑束。
組物は和様の尾垂木三手先。
上層右側面。
こちらも柱間は白壁、柱上は尾垂木三手先、中備えは蓑束です。
三手先で持ち出された桁の下には、格子の小天井や、軒支輪が張られています。
縁側の欄干は跳高欄。
背面。
左右の柱間には、奉納された酒樽が置かれています。
下層の通路部を背面側から見た図。
頭貫の上の中備えは、こちらも板蟇股です。
写真奥の垂れ幕のかかった梁(頭貫)には、扉の軸を受ける藁座がついており、往時はおそらく桟唐戸などの扉がついていたと思われます。
上層の背面中央。
中備えは、木鼻のついた出三斗。
上層の入母屋破風。
破風板に懸魚はありません。
奥まった妻壁には、小さな豕扠首が立てられ、その左右の壁板には丸い穴があけられています。
楼門の左右には、回廊がつづいています。向かって右が東廻廊、左が西廻廊。
切妻、桟瓦葺。
1848年再建。県指定有形文化財。
拝殿
楼門の先には拝殿があります。
楼門と廻廊が南西向きであるのに対し、拝殿や本殿などはほぼ南向きとなっています。そのため、楼門から拝殿を見ると中心軸や角度が少しずれています。
拝殿は、桁行3間・梁間3間、入母屋(妻入)、銅板葺。
1848年(弘化五年)再建。県指定有形文化財。
正面の入母屋破風。
破風板には、鰭のついた三花懸魚が下がっています。妻面は木連格子。
大棟の鬼板には、四つ目の紋。
柱は角柱で、軸部は長押と貫で固定されています。
柱間に建具はなく、4面すべてが吹き放ちです。これは滋賀県内の神社の拝殿でよくある造りです。
柱上には舟肘木が使われています。
内部は柱がなく、天井の周囲は化粧屋根裏のような造りになっています。天井の中央部は折上げ小組格天井です。
拝殿向かって右手前には手水舎。
入母屋、銅板葺。
柱は面取り角柱で、柱上は出三斗。
頭貫と台輪には禅宗様木鼻。台輪の上の中備えは板蟇股。
破風には木連格子が張られ、拝みには鰭付きの蕪懸魚が下がっています。
手水舎の反対側、拝殿向かって左手前には、絵馬殿があります。こちらは東面で、左奥に見えるのは西廻廊です。
絵馬殿は、切妻、桟瓦葺。
内部には絵馬が掲げられ、土間床の部分は休憩所となっています。
楼門、拝殿などについては以上。