甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】今宮神社 後編(拝殿、本殿、若宮社など)

今回も京都府京都市の今宮神社について。

 

前編では楼門などについて述べました。

当記事では拝殿、本殿、若宮社などについて述べます。

 

拝殿、幣殿、本殿

楼門の先には拝殿が鎮座しています。

桁行3間・梁間3間、入母屋、銅板葺。

1694年(元禄七年)造営、1846年(弘化三年)改修。国登録文化財。

 

柱は角柱で、四面いずれも建具がなく吹き放ち。

奥には幣殿や本殿が見えます。

 

手前の唐破風と切妻(妻入)の屋根が幣殿、左右の低い屋根が回廊。左奥の高い屋根は今宮神社本殿。

 

幣殿は、向唐破風と妻入りの切妻を組み合わせた形式で、銅板葺。回廊は切妻、銅板葺。

幣殿・廻廊ともに1902年(明治三十五年)再建で、国登録文化財。

 

幣殿の正面の向唐破風。

兎毛通には猪目懸魚が下がっています。

 

正面の頭貫の上には蟇股が2つ。

妻虹梁の上には笈形付き大瓶束が置かれ、その左右は雲状の彫刻で埋め尽くされています。

 

幣殿の柱(写真右)は円柱。上部に金具がつき、正面側面に木鼻がついています。柱上は出三斗。

左下は回廊の屋根で、幣殿の屋根をよけて、頭貫の中間の半端な位置に取り付いています。

 

反対側の回廊。

回廊も柱は円柱が使われています。柱上は舟肘木。

軸部には長押が打たれ、柱間の連子窓には菱組の吹き寄せ格子が入っています。

 

幣殿の奥には今宮神社本殿がありますが、塀越しに見ることしかできず、細部の観察は困難。

桁行3間・梁間2間、三間社切妻、向拝1間、銅板葺。

1902年(明治三十五年)再建。国登録文化財。

祭神は、大国主、事代主、クシナダの3柱。

 

母屋は正面3間で、中央の1間部分に向拝(庇)と階段が設けられています。

木鼻や懸魚などの意匠が遠目に確認できます。

 

疫神社

今宮神社本殿向かって左側(西側)には、摂社の疫神社(えき-)が鎮座しています。

上の写真は疫神社の門で、一間一戸、平入唐門、銅板葺。

門とその左右の塀は1908年(明治四十一年)頃の造営。国登録文化財。

 

柱は円柱が使われ、柱上に冠木がわたされています。

柱の上端や冠木には、猪目状に開口された金具がついています。

 

門扉は桟唐戸。

扉の上には欄間の透かし彫り。花狭間のような菱形のパターンですが、周囲に四角い枠状の意匠がつき、花狭間にしてはモダンな趣に感じます。

 

柱上からは女梁と男梁が出て、軒桁を受けています。

女梁は木口に繰型がつき、ハート形(猪目)の窪みが入っています。男梁は先端に木鼻のような渦状の意匠があります。

 

門の奥には本殿。祭神はスサノオ(牛頭天皇)。

入母屋、向拝1間、銅板葺。桁行および梁間は不明。

門と同様に1908年頃の造営で、国登録文化財。

 

境内北西の摂社末社

境内の西側には、多数の摂社末社が点在しています。

こちらは拝殿向かって左手前(南西)に南面する紫野稲荷社と、その右隣に並立する名称不明の末社。

 

紫野稲荷社から奥へ進むと、左手に境内社が東面しています。

左から、日吉社、大将軍社、八幡社。

大将軍社は1695年頃の造営。日吉社と八幡社は江戸後期の造営。3棟とも国登録文化財。

 

八幡社の右隣(北側)には八社が東面しています。

八間社流造、向拝4間、桟瓦葺。見世棚造。

1694年(元禄七年)頃の造営。国登録文化財。

大国、蛭子、八幡、熱田、住吉、香取、鏡作、諏訪の8社を合祀したもの。

 

神社本殿で瓦屋根はめずらしいです。また、母屋の正面や向拝の間口が偶数である点もめずらしく、正面8間で向拝4間というのはかなり風変わりです。

 

境内の北西端には織姫神社が東面しています。

一間社流造、銅板葺。

 

若宮社

参道左手、境内の西側には若宮社が東面しています。こちらは若宮社の拝殿。

若宮社拝殿は、入母屋(妻入)、銅板葺。

1649年造営。国登録文化財。

 

拝殿の後方には、塀に囲われた若宮社本殿が鎮座しています。

若宮社本殿は、桁行3間・梁間1間、三間社比翼春日造、向拝1間、銅板葺。

本殿、塀、門いずれも1694年造営。国登録文化財。

 

右側面(北面)および背面。

2棟の一間社春日造を横にならべ、2つの棟のあいだを、直交する棟でつないでいます。屋根を上から見ると棟がH字型になっており、かなり複雑な形状です。

このように春日造を左右に複数ならべて連結した建築様式を比翼春日造(ひよくかすがづくり)といい、同市の平野神社と同じ造りです。現存例のほとんどない希少な建築様式です。

 

2棟を、あいだに1間置いて連結したため、正面(間口)はつごう3間となっています。

階段は中央の1間のみですが、向拝は母屋の間口いっぱいに設けられています。昇高欄の親柱は擬宝珠付き。階段の下には浜床。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。柱上の組物は出三斗。

組物の上の桁には、若葉状の絵様が彫られ、木口(写真左側)には木鼻のような繰型と渦がついています。虹梁がないので、この桁が虹梁のかわりのようです。

 

向拝の軒下を右側(北)から見た図。

海老虹梁は向拝の組物の上から出て、母屋の頭貫の位置に取り付いています。

海老虹梁の上には板が張られ、向拝の軒裏と母屋の軒裏の直交部をさばいています。春日造でしばしば見かける技法です。

母屋柱は円柱。柱上は舟肘木。

 

母屋側面は1間。木鼻や中備えといった意匠はありません。

縁側は見えませんが、脇障子が確認できます。

 

背面。

春日造のため、背面は切妻です。切妻破風が左右に2つ並んでM字型のシルエットとなり、さらに棟がH字型となっているため、屋根は非常に複雑な3次元曲面を呈しています。

 

正面の破風。

大棟の上には鰹木と千木。千木は先端を水平に切りそろえたもので、置き千木です。

 

月読社と地主軍社

若宮社の南側には石造明神鳥居が東面し、月読社と地主社の参道が伸びています。

 

月読社の拝所と本殿。

月読社本殿は、一間社流造、銅板葺。

両者とも1910年の造営で、国登録文化財。

 

月読社の北側には、地主社が南面しています。鳥居の扁額は「地主稲荷神社」。

 

地主社の拝所と本殿。

地主社本殿は、一間社流造、銅板葺。

両者とも1842年(天保十三年)造営で、国登録文化財。

 

ほか、宗像社や境外の御旅所も登録文化財だったようですが、見落としてしまったため割愛。

 

以上、今宮神社でした。

(訪問日2023/02/23)