甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】清凉寺(嵯峨釈迦堂) 前編 仁王門と本堂

今回は京都府京都市の清凉寺(せいりょうじ)について。

 

清凉寺(清涼寺)は嵯峨嵐山駅の北側の住宅地に鎮座する浄土宗の寺院です。

当寺の前身となった棲霞寺(せいかじ)は、嵯峨天皇の皇子の源融*1が発願し、その子息らによって896年(寛平八年)に開かれました。1016年(長和五年)、盛算が棲霞寺に釈迦如来像を祀り、清凉寺と称しました。これが清凉寺のはじまりとのこと。

当初は華厳宗の寺院でしたが、天台宗と真言宗も兼ねるようになり、1279年(弘安二年)頃に融通念仏宗の道場となりました。1530年(享禄三年)には、円誉によって浄土宗に改められました。

 

境内伽藍は何度か再建されており、応仁の乱後の1481年や、安土桃山時代の1602年*2に再建されましたが、1637年の大火と地震ですべての伽藍を喪失しています。

現在の境内伽藍は、1700年以降に桂昌院(徳川綱吉の母)の発願で再建されたもので、本堂や多宝塔が府指定の文化財となっています。本尊の釈迦如来は平安時代にインドや宋を経て渡来したもので、国宝に指定されています。ほか、境内には「豊臣秀頼公首塚」があります。

 

当記事ではアクセス情報と、仁王門と本堂について述べます。

多宝塔、豊臣秀頼公首塚、一切経蔵などについては後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒616-8447京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46(地図)
アクセス 嵯峨嵐山駅から徒歩10分
沓掛ICから車で20分
駐車場 30台(800円)
営業時間 09:00-16:00
入場料 境内は無料、堂内拝観は400円
寺務所 あり
公式サイト 清凉寺(嵯峨釈迦堂)
所要時間 30分程度

 

境内

仁王門

清凉寺の境内は南向き。渡月橋を渡って道なりに北へ行くと、この門に突き当たります。

仁王門は、三間一戸、楼門、二重、入母屋、本瓦葺。

1784年(天明四年)再建。府指定有形文化財。

 

正面は3間で、うち1間が通路(三間一戸)。

中央の柱間はやや広く取られています。

 

中央の通路部分の軒下。

飛貫虹梁の中備えは蟇股。その左右には、大斗と花肘木を組み合わせたものが配されています。

飛貫虹梁の両端の、柱の手前側には唐獅子の木鼻。

 

向かって右の柱間。

飛貫虹梁の上は蟇股。木鼻は象鼻。

 

柱は上端が絞られた円柱で、頭貫と台輪に禅宗様木鼻が付いています。

柱上の組物は二手先。台輪の上の中備えは蓑束。

 

右側面(東面)。

側面は2間で、柱間は横板壁。

中備えは、飛貫虹梁の上は蟇股、頭貫の上は蓑束。

下層の軒裏は、平行の二軒繁垂木。

 

内部の通路部分の虹梁。

虹梁の上の欄間には大瓶束が立てられ、菊の花の彫刻が入っています。

 

虹梁上の大瓶束の詳細。

角柱状の束で、上に乗った斗には象の彫刻がついています。風変わりでおもしろい意匠だと思います。

 

上層。扁額は山号「五台山」。

正面は3間で、柱間は桟唐戸。

軒裏は放射状の二軒繁垂木。

 

母屋柱は上端が絞られた円柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻。

組物は尾垂木三手先。台輪の上の中備えは蟇股。

和様と禅宗様を折衷した建築ですが、上層は禅宗様の要素が目立ちます。

 

縁側の欄干の親柱には、逆蓮がついています。

縁側の床下は、腰組や蟇股で受けています。

 

上層側面の柱間は横板壁。

 

破風板の拝みには、鰭付きの三花懸魚。

 

背面。

上層下層ともに、背面は横板壁でした。

 

本堂

仁王門の先には本堂。仁王門の軸上から左に少しずれた位置に鎮座しています。

 

桁行7間・梁間7間、入母屋、正面向拝3間、背面向拝3間、本瓦葺。

1701年(元禄十四年)再建。府指定有形文化財。

本尊の木像釈迦如来立像は国宝。インドや宋を経て渡来したため、「三国伝来の釈迦像」の別名があります。また、胎内に内臓の模型が収められているのが特徴で、「生身のお釈迦様」とも呼ばれます。

 

向拝は3間。

 

虹梁中備えは蟇股。はらわたの彫刻は竜。

 

隅の向拝柱。

几帳面取りで、上端がわずかに絞られ、銅板の飾り金具がついています。

柱の側面には象の木鼻。

組物は、大斗に皿のついた連三斗。象の頭に巻斗が乗り、持ち送りしています。

 

向拝の組物の上には手挟。菊らしき花が籠彫りされています。

向拝の縋破風の桁隠しには蕪懸魚。

 

母屋の正面は7間。

柱間は桟唐戸。

 

母屋柱は円柱。上端が絞られています。頭貫と台輪に禅宗様木鼻。

組物は尾垂木二手先。柱間にもびっしりと詰組が配されています。

 

右側面(東面)。

側面も7間。柱間は、連子窓と桟唐戸が交互に並んでいます。

 

入母屋破風。

拝みと桁隠しは、鰭付きの三花懸魚。

妻飾りは二重虹梁。大虹梁の中央に蟇股が置かれ、その左右には窓と大瓶束が見えます。

 

背面の軒下。

こちらにも3間の向拝が設けられています。

 

背面の向拝柱は几帳面取り角柱。

木鼻は、象頭の彫刻ではなく、禅宗様木鼻の象鼻。手挟は板状のもの。正面の向拝の造りを簡素化しています。

縋破風には桁隠しの蕪懸魚が下がっています。

 

縁側は切目縁が4面にまわされています。

縁束は円柱で、基部には石造の礎盤。

縁の下の桁と、縁束の接続部には、繰型のついた持ち送りが添えられています。

 

仁王門と本堂については以上。

後編では多宝塔、豊臣秀頼公首塚、一切経蔵などについて述べます。

*1:822-895。平安初期の貴族で、小倉百人一首では「第14番 河原左大臣」として選定されている。『源氏物語』の光源氏のモデルだとする説がある。

*2:豊臣秀頼による寄進