甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【鎌倉市】英勝寺

今回は神奈川県鎌倉市の英勝寺(えいしょうじ)について。

 

英勝寺は鎌倉市街の東端に鎮座する浄土宗の尼寺です。山号は東光山。

創建は1636年(寛永十三年)。徳川家康の側室である英勝院(お勝の方)によって開かれました。江戸時代を通して水戸徳川家の庇護を受けましたが、明治以降は衰微し、関東大震災でも一部の伽藍が倒壊しました。

現在の境内伽藍は江戸初期のものが中心で、仏殿などの5棟が国重文となっています。境内の奥には竹林が広がっているほか、一帯は扇谷上杉氏の武将・太田道灌の邸宅の跡地と伝えられています。

 

現地情報

所在地 〒248-0011神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-16-3(地図)
アクセス 鎌倉駅から徒歩10分
朝比奈ICから車で20分
駐車場 なし
営業時間 09:00-16:00(※木曜定休)
入場料 300円
寺務所 あり
公式サイト なし
所要時間 30分程度

 

境内

総門(惣門)

英勝寺の境内は南向き。境内の東側にはJR横須賀線が通っています。

通用門をくぐって拝観料を払うと、境内に入ることができます。

 

まずは境内の南東にある総門。上の写真は境内の外から撮ったもの。

一間一戸、四脚門、切妻、瓦棒銅板葺。

造営年不明。浄光明寺山門*1の経緯から推察すると、昭和以降のものと思われます。

 

内部の通路部分を、背面側から見た図。

主柱のあいだには冠木がわたされ、門扉(桟唐戸)が設けられています。欄間の上では板蟇股が棟木を受けています。

内部に天井はなく、化粧屋根裏。軒裏は一重まばら垂木。

 

背面向かって左(北西)の控柱。

控柱は角柱。背面側に木鼻がついています。柱上は大斗と肘木。

 

左側面(南面)。

側面には冠木が突き出ています。

妻虹梁の上にも板蟇股が使われています。

 

鐘楼

山門の北側には鐘楼があります。上の写真は南面。

桁行3間・梁間2間、袴腰付、入母屋、瓦棒銅板葺。

1643年(寛永二十年)造営。「英勝寺 5棟」として国指定重要文化財

 

梁間(南面および北面)は2間。

柱はいずれも円柱で、建具がなく吹き放ち。

軸部の固定には長押と頭貫が使われていますが、頭貫に木鼻がありません。

柱上の組物は出組。

 

西面。

桁行(西面および東面)は3間。

組物のあいだに中備えはなく、シンプルな外観。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

縁側には跳高欄が立てられ、出三斗の腰組で受けられています。

 

破風板の拝みには懸魚。

暗くて見づらいですが、入母屋破風の妻壁は縦板壁。

 

下層は黒い袴腰。

縦板壁となっています。

 

山門

境内の南側中央には山門が鎮座しています。

三間一戸、二重、楼門、入母屋、瓦棒銅板葺。

1643年造営。前述の鐘楼などとともに、「英勝寺 5棟」として国指定重要文化財

 

下層。正面3間で、前面は壁がありません。

側面の柱間は縦板壁。

下層の屋根の軒裏は、平行の二軒繁垂木。

 

正面中央の柱間。

柱の内側に、繰型のついた腕木を出し、皿斗を介して虹梁を受けています。

柱上の組物は、木鼻のついた出組。中備えにも組物が置かれています(詰組)。

 

組物のあいだの中備えは、正面中央は詰組でしたが、ほかの柱間には蟇股が置かれています。

上の写真は、側面の中備えの蟇股。彫刻の題材は、鶴乗り仙人(王子喬?)と鯉乗り仙人(琴高)。

 

向かって左手前の柱。

柱はいずれも円柱。上端が絞られた粽柱です。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

 

上層。扁額は寺号「英勝寺」。

中央の柱間には桟唐戸。

 

向かって左の柱間。

粽柱が使われ、頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

組物は木鼻のついた二手先。中備えにも組物が配されています。

欄干の影になって見づらいですが、柱間は火灯窓。

欄干の擬宝珠は禅宗様の逆蓮の意匠。

 

上層の左側面(西面)。

側面の柱間は2間とも火灯窓。

屋根は、下層の軒裏が平行だったのに対し、上層は放射状(扇垂木)の二軒繁垂木。扇垂木は禅宗様建築の典型的な意匠です。

 

仏殿

山門の先には仏殿が鎮座しています。

桁行3間・梁間3間、一重、裳階付、寄棟、瓦棒銅板葺。

1643年造営。「英勝寺 5棟」として国重文*2

 

屋根が二重に見えますが、下の屋根は裳階(もこし)という庇で、内部構造は平屋になっています。

下層(裳階の下)は5間。柱間は、中央3間が桟唐戸、両端が火灯窓。

 

側面も5間。

中央1間は桟唐戸で、あとの4間は火灯窓。

周囲に縁側はなく、内部は土間床となっています。

 

下層の柱は角柱が使われています。江戸初期のもののため、面取りの幅はやや大きめ。

下層の屋根(裳階)の軒裏は、一重の繁垂木。

 

頭貫の上の中備えには蟇股。彫刻の題材は干支。

上の写真は正面(南面)中央の蟇股で、題材は午(馬)。木曽馬のようなずんぐりとした体形です。背景の植物も、良い造形だと思います。

 

上層は3間。扁額は判読できず。

こちらは中備えに蟇股がなく、かわりに詰組が配されています。

 

上層側面(西面)。

軒下の意匠は正面とほぼ同じ。

上層の屋根の軒裏は、平行の二軒繁垂木。

 

母屋の柱は粽柱で、頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

組物は木鼻のついた二手先。

 

仏殿を左手前(南西)から見た図。

屋根は直線的で、反りがついていません。大棟は左右が短く、宝形に近い形状となっています。

 

細部意匠は禅宗様が散見されますが、この仏殿は禅宗様と和様の折衷様建築といったところでしょう。

 

祠堂門

仏殿のはす向かいには祠堂と祠堂門(しどうもん)があります。祠堂門は北向き。

祠堂門は、一間一戸、平唐門、銅瓦葺。

江戸初期の造営。「英勝寺 5棟」として国重文

 

正面の軒下。

欄間には菊の花の透かし彫りが入っています。

軒裏の垂木は、単純な吹き寄せ垂木ではなく、「2,1,2,1...」といったパターンで並べられています。どちらかというと住宅建築風の趣。

 

前方の柱は粽柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻。

柱上の組物は出三斗。

 

左側面(東面)。

こちらも台輪の上の欄間に彫刻が入っています。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

内部から見た図。

大瓶束の左右の笈形は、若葉の意匠。

内部に天井はなく、茨垂木の化粧屋根裏です。

 

祠堂

祠堂門をくぐった先には、祠堂(しどう)が東面しています。

こちらの建物は覆い屋(鞘堂)で、内部にあるのが祠堂です。

 

祠堂は、桁行3間・梁間3間、宝形、銅瓦葺。

1643年造営。「英勝寺 5棟」として国重文*3

当寺を開いた英勝院の位牌を祀るための堂。伝承によると、徳川光圀の寄進で造られたとのこと。

 

軸部は金箔、建具や柱間は黒漆が使われています。江戸初期の霊廟建築でよくある造り。

正面中央は桟唐戸。上部には格狭間が設けられています。

 

扉の上の中備えは蟇股。5弁の唐花の紋があしらわれています。

組物は木鼻のついた二手先。桁下の支輪板は、極彩色の雲が彫られています。

 

柱は粽で、頭貫と台輪に禅宗様木鼻が使われています。しかし頭貫のすぐ下には長押が打たれ、和様の意匠も混在しています。

経年により顔料が退色・剥落しかけていますが、組物は安土桃山から江戸初期の作風の派手な極彩色で塗り分けられています。

 

背面の室外には、英勝院の墓があります。

 

書院と竹林

境内の西側の一段高い区画には、書院と竹林があります。

上の写真は書院。

 

山際には竹林が広がり、鎌倉石(砂岩の一種)の岩壁がそびえています。

 

竹林の近くにあった境内社。

立札には金刀比羅宮とあります。

 

境内の南西端は採石場のような地形になっていて、洞窟があります。

 

以上、英勝寺でした。

(訪問日2022/09/28)

*1:関東大震災ののち、当寺の惣門を移築した。

*2:附:棟札4枚、扁額1面、梁牌2枚。

*3:附:英勝院墓1基。