甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【鎌倉市】浄光明寺

今回は神奈川県鎌倉市の浄光明寺(じょうこうみょうじ)について。

 

浄光明寺は市街地北西部の山際に鎮座する真言宗泉涌寺派の寺院です。山号は泉谷山。

創建は寺伝によると1251年(建長三年)頃で、北条時頼・長時の開基とのこと。創建から江戸時代まで、複数の宗派が入り混じった寺院だったようです。室町時代には足利氏の庇護を受け、鎌倉公方の菩提寺となりました。江戸時代には衰微しましたが、1668年(寛文八年)に鶴岡八幡宮などの援助で再興されました。 現在の伽藍は、阿弥陀堂と山門が江戸中期のもので、市指定有形文化財。境内には鎌倉に特有のやぐらがあるほか、非公開ですが阿弥陀像や石造五輪塔が国重文です。

 

現地情報

所在地 〒248-0011神奈川県鎌倉市扇ガ谷2-12(地図)
アクセス 鎌倉駅から徒歩10分
朝比奈ICから車で20分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 なし
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

山門

浄光明寺の境内は南東向き。

扇ガ谷の住宅地の一画に入口があります。

左の寺号標は「真言宗泉涌寺派 泉谷山 浄光明寺」。

寺号標の隣の石碑は「藤谷黄門遺跡」。藤谷黄門とは、藤原定家の孫の歌人・冷泉為相(れいぜい ためすけ)の別名。当寺の奥には冷泉為相の墓があり、国指定史跡の一部となっています。

 

境内入口には山門。

一間一戸、四脚門、切妻、本瓦葺。

寛永年間(1624-1645)の造営と推定されています*1。市指定有形文化財。

当初は、すぐ近くにある英勝寺の惣門だったとのこと。1923年の関東大震災で倒壊した惣門を市内の資産家が買い取り、1926年に当寺に寄進・移築したようです。

 

前方(写真右)の柱は角柱。前面に木鼻がつき、梁がわたされています。

 

背面側の柱。

木鼻がついている点は正面と同様。しかしこちらは通路部分にわたす梁を省略し、かわりに木鼻がつけられています。

柱上の組物は大斗と肘木。

 

内部の通路部分を背面から見た図。

主柱のあいだにわたされた梁の中央には蟇股が置かれ、棟木を受けています。

 

外から見た妻面。

主柱の上の組物(写真中央下)は大斗と花肘木が使われ、妻虹梁を受けています。

妻飾りは板蟇股。

 

破風板の拝みには猪目懸魚。桁隠しはありません。

屋根は直線的な形状で、軒裏は一重まばら垂木。

大棟には鬼瓦が乗っています。

 

本堂と不動堂

山門の先には本堂が鎮座しています。

入母屋、向拝1間、桟瓦葺。

本尊は阿弥陀三尊。

 

向拝は1間で、幅が広く取られています。

母屋の建具はガラス戸と舞良戸。

 

向拝の虹梁中備えは竜の彫刻。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。前面と側面に木鼻がついています。

柱上は出三斗。繰型のついた手挟が軒裏を受けています。

向拝柱と母屋のあいだには、まっすぐな梁がわたされています。

 

本堂から通路をはさんだ反対側には不動堂。

桁行3間・梁間3間、宝形、銅板葺。

 

扁額は「不動堂」。

向拝はありません。

建具は窓ガラスのついた桟唐戸と舞良戸。

柱は角柱。組物はなく、桁を直接受けています。

 

屋根は宝形。

頂部には路盤と、シンプルな丸い宝珠。

 

不動堂の裏には鐘楼があります。

切妻、本瓦葺。

 

阿弥陀堂

石段の先にある最奥部の区画には、阿弥陀堂が鎮座しています。なお、阿弥陀堂の周辺は立入禁止で、通常時は拝観できません

阿弥陀堂は、桁行3間・梁間3間、宝形、銅板葺。

1668年(寛文八年)造営。市指定有形文化財。

 

柱は円柱。柱の礎石や木鼻は禅宗様の意匠。

柱間は桟唐戸や火灯窓、縦板壁。縁側がなく土間床となっている点も、禅宗様らしい造りです。

遠目で分かりづらいですが、組物や中備えは和様の意匠で、軒裏は平行の一重繁垂木。禅宗様に和様を取り入れた折衷様建築といったところでしょう。

 

ほか、境内の最奥部には国重文の石造五輪塔をはじめ、冷泉為相の墓や網引地蔵といった文化財があるようですが、立入禁止で見られなかったため割愛。

 

以上、浄光明寺でした。

(訪問日2022/09/28)

*1:Wikipediaより。2022/10/04閲覧。