今回は東京都港区の泉岳寺(せんがくじ)について。
泉岳寺は高輪地区の住宅地に鎮座する曹洞宗の寺院です。山号は萬松山。
創建は1612年(慶長十七年)。徳川家康の開基により桜田門近辺に開かれました。1641年に火災で境内伽藍を焼失し、徳川家光の命で現在地に再建されました。1701年、1703年には、赤穂藩主・浅野長矩とその元家臣である赤穂浪士が当寺に葬られました。その後、『忠臣蔵』が人気を博し、当寺も隆盛したようですが、1806年の大火で伽藍を焼失しています。江戸後期以降は、幕末の動乱や明治の廃仏毀釈により衰微しましたが、川上音二郎らの寄進で赤穂浪士墓所が整備されました。太平洋戦争では本堂を焼失しましたが、山門などは被災を免れています。
現在の境内は江戸後期から戦後にかけてのもの。境内には浅野長矩と赤穂浪士の墓があり、国指定の史跡となっています。
現地情報
所在地 | 〒108-0074東京都港区高輪2-11-1(地図) |
アクセス | 泉岳寺駅から徒歩5分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 07:00-17:00 |
入場料 | 境内は無料、赤穂義士墓地は300円 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 泉岳寺 |
所要時間 | 15分程度 |
境内
中門
泉岳寺の境内は東向き。境内入口は住宅地の生活道路に面しています。
入口には中門があります。当初は中門の手前に総門があったらしいですが、現存しません。
中門は、一間一戸、四脚門、切妻、瓦棒銅板葺。
1836年(天保七年)再建。1932年に大修理が行われたとのこと。*1
向かって右手前の控柱。
控柱は几帳面取り角柱で、上端が絞られています。柱の正面と側面には木鼻があります。
控柱と頭貫の上には台輪が通り、柱上の組物は出三斗です。
向かって右の妻面(北面)。
妻虹梁の上には笈形付き大瓶束。
破風板の拝み懸魚には、若葉の意匠の鰭がついています。
山門
中門をくぐって参道を進むと、石橋の先に山門があります。
三間一戸、楼門、二重、入母屋、本瓦葺。
1832年(天保三年)再建。
下層。扁額は寺号「泉岳寺」。
正面は3間で、うち1間が通路となっています。ただし通路部分は進入禁止。
向かって左の柱間。
柱は円柱で、上端が絞られています(粽柱)。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
柱上の組物は出組。
頭貫の上の中備えは蟇股。
左側面(南面)。
側面は2間で、柱間は横板壁。
上層。
正面3間で、中央は桟唐戸、左右は連子窓が使われています。
金網がかかっていて見づらいですが、こちらも下層と同様に粽柱で、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。
組物は尾垂木二手先で、柱間にもびっしりと詰組が配されています。
左側面。
柱間は、前方は桟唐戸、後方は横板壁。
軒裏は、上層下層ともに平行の二軒繁垂木です。
破風板の拝みには三花懸魚。
破風の奥の妻飾りは、妻虹梁が見えますが、その上の束などの部材は暗くてよく見えず。
背面全体図。
下層の背面側は、いずれの柱間も壁や建具がありません。
山門向かって右には、「大石内蔵助良雄」の銅像が南面しています。
1921年(大正十年)に寄進されたもの。
本堂
山門の先には本堂が鎮座しています。本尊は釈迦如来。
入母屋、庇付、向拝1間 向唐破風、桟瓦葺。
1953年再建。
正面の向拝。
奥の母屋部分の扁額は「獅子吼」。
虹梁中備えと唐破風の小壁。
中備えは蟇股で、五三の桐に若葉の意匠を取り入れた彫刻が入っています。
唐破風の下には笈形付き大瓶束。大瓶束には結綿の彫刻がつき、笈形は雲の意匠。
向かって右の向拝柱。
几帳面取り角柱が使われ、正面は唐獅子、側面は象の木鼻。
柱上の組物は出三斗。繰型のついた肘木が使われています。
向拝柱と母屋のあいだには虹梁がわたされ、中備えには雲の意匠の蟇股が置かれています。
向拝の軒の内側は、格天井が張られています。
母屋柱は角柱で、柱上は舟肘木。下層(庇の部分)の柱も同様です。
庇の柱のあいだにも虹梁がわたされ、中備えに蟇股があります。
鐘楼など
境内の南側には鐘楼があります。
入母屋、桟瓦葺。
内部につるされた梵鐘は、1913年の鋳造とのこと*2。
柱は上端が絞られた円柱(粽柱)。内に転び(傾き)がついています。
飛貫の位置には唐獅子の木鼻。頭貫と台輪には禅宗様木鼻があります。
柱上の組物は尾垂木二手先。軒裏は放射状(扇垂木)の二軒繁垂木。
粽柱、木鼻、扇垂木など、禅宗様の意匠が多用されています。
飛貫虹梁の中備えは笈形付き大瓶束。巻斗を介して頭貫を受けています。
台輪の上の中備えは、中央に組物が置かれ、その左右に蟇股が配されています。
境内南側の最奥部には「赤穂義士墓地」があります。
観光目的での入場はご遠慮くださいとの張り紙があったため、入場は自重しました。
以上、泉岳寺でした。
(訪問日2023/12/01)