今回は東京都豊島区の雑司ヶ谷鬼子母神堂(ぞうしがや きしもじんどう)について。
雑司ヶ谷鬼子母神堂は雑司ヶ谷の住宅地に鎮座する仏堂で、威光山法明寺(南池袋にある日蓮宗の寺院)の飛地です。
法明寺は810年(弘仁元年)に創建された威光寺が前身。1312年(正和元年)、日源によって現在の寺号と宗派に改められました。鬼子母神堂は、1561年に山村丹右衛門が井戸で見つけた鬼子母神像を祀ったのがはじまり。1578年に草堂が建てられ、江戸中期に現在の鬼子母神堂が建てられました。南池袋にある本堂などは太平洋戦争で焼失しましたが、鬼子母神堂は戦火を免れました。
現在の雑司ヶ谷鬼子母神堂は、江戸初期から中期にかけて造られた権現造。2016年に国指定重要文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒171-0032東京都豊島区雑司が谷3-15-20(地図) |
アクセス | 雑司が谷駅または鬼子母神前駅から徒歩5分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | 鬼子母神 |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道
雑司ヶ谷鬼子母神堂の境内は東向き。
境内は閑静な住宅地の中にあり、瑞垣で囲われ、社叢に覆われています。
参道右手には手水舎。
切妻、銅板葺。
柱は角柱、頭貫には象鼻。
柱上は出三斗、中備えはありません。
手水舎の向かい、参道左手には「鬼子母神の大公孫樹」(大イチョウ)と武芳稲荷。
武芳稲荷の社殿。一間社流造、銅板葺。
向拝の垂れ幕には、五円玉の意匠に似ている抱き稲の紋。
武芳稲荷は創建年代不明ですが、当地に鬼子母神が祀られる前からここに鎮座していて、鬼子母神堂の社叢はかつて「稲荷の森」と呼ばれていたとのこと*1。
鬼子母神堂
境内の中心部には鬼子母神堂が鎮座しています。
1664年(寛文四年)造営、1700年(元禄十三年)増築。
国指定重要文化財。拝殿・相の間・本殿あわせて1棟で、「雑司ヶ谷鬼子母神堂」として指定されています*2。
手前の大きな建物は拝殿。
桁行5間・梁間4間、入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。
こちらは1700年に造営(増築)された部分。
案内板*3によると“江戸時代中期の華やかな建物ではあるものの、装飾を簡素なものに変えるなど、幕府による建築制限令への対応をうかがわせる特徴がみられる”とのこと。
向拝は1間ですが、母屋に対して幅が広くとられています。横に長く、ゆったりとした印象。
向拝柱は几帳面取り。柱上は連三斗。
柱の木鼻は、正面に唐獅子、側面に獏。
木鼻の彫刻は赤一色でいまひとつ見栄えしませんが、造形そのものは良いと思います。江戸中期以降の寺社建築は、奢侈禁止令(倹約令)で派手な彩色を制限された結果、この木鼻のように造形に特化する方向へと発展していきます。
虹梁中備えには波に竜の彫刻。ネットがかかっていて見づらいですが、よく見るとコミカルで愛嬌のある顔つきです。
唐破風の小壁には大瓶束。結綿の部分は雲の彫刻で、白と緑色に塗り分けられています。
唐破風の兎毛通は赤い牡丹の彫刻。
破風板の飾り金具には、三葉葵と思われる紋が描かれています。
千鳥破風。
破風板の拝みには懸魚。
妻飾りには力神が見えます。
向拝柱の上の手挟は透かし彫りされています。
題材は菊。こちらも凝った造形ですが、彩色は控えめです。
海老虹梁。
向拝側は虹梁の高さから出ています。母屋側は頭貫の下に取り付き、唐獅子の彫刻で持ち送りされています。
母屋の扁額は「鬼子母神」。
母屋の側面。
前方の1間は吹き放ちの外陣。後方の3間は舞良戸が立てつけられた内陣となっています。外陣内陣の境目の柱間には、桟唐戸が設けられています。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。
母屋柱は角柱。軸部は貫と長押で固定されています。
頭貫には拳鼻。頭貫のすぐ上に舟肘木が置かれ、桁を受けています。
軒裏は二軒まばら垂木。
左側面の入母屋破風。
拝みには鰭付きの猪目懸魚。
妻飾りは虹梁と大瓶束。赤く彩色された力神は、虹梁を担いだポーズ。
拝殿の後方には相の間と本殿がつながっています。
写真左端の影は拝殿、中央が本殿、両者を連結する屋根が相の間(幣殿)。権現造(ごんげんづくり)と呼ばれる建築様式です。
拝殿と本殿を、両下造かつ土間の幣殿(相の間、石の間とも言う)で連結しているのが権現造の特徴。ただし、正式な権現造は本殿の屋根が入母屋で造られますが、この本殿は流造のため、鬼子母神堂は権現造の変種のひとつと考えるべきでしょう。
相の間は、両下造*4、銅板葺。
1700年造営。
本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、銅板葺。
1666年(寛文四年)造営。
案内板によると“広島藩2代目藩主浅野光晟の正室満姫の寄進により建てられ、その建築には広島から呼び寄せた大工が従事している。そのため、本殿の三方の妻を飾る梁や組物の彫刻には広島地方の寺社に用いられている建築様式が見られる”とのこと。また、“外見は三間社流造の神社本殿形式とするが、内部は方三間の仏堂形式とする点に特色がある”*5とのこと。
向拝柱(写真左)は角柱。几帳面取りの部分が金色に塗り分けられています。
組物は連三斗。側面に出た木鼻で持ち送りされています。
手挟は紅白の菊。江戸前期のものには見えないくらい良い造形だと思います。
母屋柱(写真右)は円柱。母屋柱と向拝柱の間には、虹梁がわたされています。
母屋の柱上。長押より下は黒塗り、頭貫より上は白木となっています。
頭貫には木鼻がついています。
組物は出組。中備えは蟇股で、花鳥の彫刻が入っています。
妻飾りは二重虹梁。
大虹梁の中央には雲の意匠の蟇股。その左右と、上の虹梁には大瓶束が立てられています。
妙見堂
本殿の背面には、本殿と背を向けあうかたちで妙見堂が鎮座しています。
妙見堂は一間社流造、銅板葺。
鬼子母神堂の附として国重文に指定されています。
標準的な流造で規模も小さいですが、彫刻や桟唐戸の造形が凝っています。
以上、雑司ヶ谷鬼子母神堂でした。
(訪問日2022/08/20)