今回は京都府京都市の粟田神社(あわた-)について。
粟田神社は知恩院の北の住宅地に鎮座しています。
創建は社伝によると876年(貞観十八年)で、勅命によって開かれたらしいです。ほか、当地を治めた粟田氏が、氏神として開いたという説もあるようです。平安後期の永久年間(1113-18)には比叡山の座主・忠尋によって再建され、応仁の乱のあとは1500年に吉田兼倶によって再興されています。江戸後期の1805年に境内を焼失しますが、1832年(文政六年)に現在の本殿などが再建されました。
現在の境内伽藍は江戸中期から後期のもので、拝殿などの3棟が市指定の文化財です。境内の手前には旧中山道・東山道が通り、「京の七口」のひとつ粟田口の鎮守のため、現在も交通安全の神として崇敬されているようです。
現地情報
所在地 | 〒605-0051京都府京都市東山区粟田口鍛冶町1(地図) |
アクセス | 東山駅から徒歩5分 京都東ICから車で20分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 粟田神社 |
所要時間 | 10分程度 |
境内
拝殿
粟田神社の境内は西向き。入口の鳥居や参道は北向きです。
上の写真は二の鳥居で、石造明神鳥居。扁額は「感神院新宮」。
一の鳥居はここから30メートルほど北にあったようですが、知恩院のほうから歩いてきたため見落としてしまいました。
坂を上ると境内の中心部に到着し、西向きの社殿が現れます。こちらは神楽殿。
梁間1間・桁行2間、入母屋(妻入)、檜皮葺。
正面の入母屋破風。木連格子が張られています。
破風板の拝みには三花懸魚。
正面は1間、側面は2間。
4面すべてが吹き放ちです。
柱は面取り角柱が使われています。
軒下にはちょうちんが並べられ、組物などが隠れてほとんど見えず。
神楽殿の右手前(南)には社務所の玄関。
向唐破風、銅板葺。
拝殿
神楽殿の先には、拝殿・幣殿・本殿の3つが一体化した社殿が鎮座しています。上の写真は拝殿部分。
入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間 向唐破風、銅板葺。
社伝によると拝殿は1703年(元禄十六年)再建のもので、建築様式からその頃のものと推定されているようです。市指定有形文化財。
向拝の唐破風。
破風板の飾り金具には、菊や三つ巴の紋があしらわれています。
兎毛通や桁隠しは、菊の籠彫り。元禄年間のものにしては、非常に良い造形だと思います。
向拝の正面の中備えは蟇股。唐獅子の彫刻が入っています。
その上の妻虹梁には笈形付き大瓶束。笈形は植物の葉の意匠。
向拝柱は几帳面取り角柱。柱上は出三斗。軒桁の上にも雲状の彫刻があります。
柱の正面と側面には、菊の籠彫り。
向拝の屋根は、母屋の軒下の壁面から向唐破風を伸ばした構造になっています。
幣殿と本殿
拝殿の後方には拝所(右)があり、その先に幣殿(中央)と本殿(左)がつながっています。
幣殿は、梁間3間・桁行2間、入母屋(妻入)、銅板葺。拝所は梁間1間・桁行1間、切妻(妻入)、銅板葺。
本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、銅板葺。
幣殿と本殿は、棟札写によると1823年(文政六年)再建。
主祭神はスサノオ(牛頭天皇)と大国主。ほか、稲田姫や八王子神などが合祀されているようです。
本殿部分。
破風板には猪目懸魚が4つ下がっています。
雨で見づらいですが、向拝柱は几帳面取り角柱で、柱上は出三斗。側面に木鼻が確認できます。
組物の上には海老虹梁があり、軒裏をかすめて母屋頭貫の位置に取り付いています。母屋側は、挿肘木で海老虹梁を持ち送りしています。
母屋柱は円柱。頭貫には木鼻があります。
組物は出三斗と平三斗。中備えは蟇股。
妻虹梁の上には豕扠首。
背面は3間あり、中央に扉が設けられています。ここに扉をつけるのは、めずらしい造りだと思います。
縁側は背面以外の3面にまわされ、脇障子を立てて背面側をふさいでいます。
境内社
境内には多数の境内社が鎮座しています。こちらは拝殿右手(北側)に南面する境内社2棟。
2棟のうち、向かって左は朝日天満宮と多賀社。
二間社流造、向拝2間、銅板葺。見世棚造。
正面が2間あり、二間社という様式です。このような小規模な社殿でも、二間社はめずらしいです。
向かって右は大神宮。
四間社神明造、銅板葺。
おそらく伊勢神宮の内宮外宮が祀られていると思われますが、正面には4組の扉があり、二間社よりさらにめずらしい四間社となっています。
大棟には外削ぎの千木がつき、鰹木は7本乗っています。
本殿の左手(北側)には出世恵比寿神社が南面しています。
神体として祀られた像は、社伝によると最澄の作らしいです。当初は金蔵寺という寺院にあったようですが、明治時代に現在地に遷座したとのこと。
一間社流造、銅板葺。
境内の南側、神楽殿の近くには北向稲荷神社。文字どおり北を向いています。
左奥は太郎兵衛神社。
北向稲荷神社の本殿は、覆屋の中にあります。
本殿は、一間社流造、屋根葺きは不明。見世棚造。
北向稲荷の左手にある太郎兵衛神社。
本殿は、一間社流造、板葺。見世棚造。
部材のほとんどは赤一色で、土台の木口だけは白く塗られています。
以上、粟田神社でした。
(訪問日2023/02/24)